コラム「政治なで斬り」トップダウン政治かボトムアップ政治か ソ連からの小児麻痺ワクチン輸入で戦った古井厚相の覚悟 

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 安倍、菅政権の政治はトップダウンと言われるが、国会答弁は迷走気味で、コロナ担当3閣僚の足並みも乱れがちだ。首相の持てる機能を発揮してほしいところだが、気の早い向きには内閣人事局の廃止論が出始めた。制度はなんでも一長一短があるもので、トップダウン、ボトムアップにも功罪の両面がある。
      
 実は60年前にポリオ小児麻痺が流行し、ポリオワクチンを急きょ当時の社会主義国、ソ連(現ロシア)から緊急輸入して蔓延を防いだ古井喜実厚相(厚労省)の覚悟と決断にこの問題を解くヒントがありそうだ。

大蔵省接待汚職事件がトップダウンを推進

 官邸機能の強化、官邸主導政治、トップダウンは同義語だが、その源流は2001年の省庁再編に行きつく。橋本龍太郎政権は、グローバリズムのスピードに遅れないために政治や行政の決定、省庁間の縦割りの改革を掲げた。

 実は表には出されなかったがもう一つ、背景がある。霞が関の影響力が強大になりすぎていたことだ。霞が関の中には気に入らない内閣を倒すぐらい朝飯前だという空気があり、自民党役員会を通った法案でも、国会提出直前に語句や趣旨を巧妙に書き換えることがあった。ある首相経験者は「天下り先が気に入らないと法案の準備を遅らせたり、政治家の行状を週刊誌にリークすることもあった」という。

 1998年の大蔵省接待汚職事件〈別名、ノーパンしゃぶしゃぶ事件〉が、官邸機能強化論を推し進めたとされる。橋本政権を継いだ小泉純一郎政権は、首相が郵政民営化など改革路線の先頭に立ち、官邸主導政治ができあがる。安倍晋三政権は官邸に霞が関人事を一括管理する人事局を新設、トップダウンが制度として完成する。

「身内」で固めた官邸機能強化

 一方従来型のボトムアップは、下から政策を積み上げていく方式だ。各段階で、吟味するので誤りは少ないが、決定までに時間がかかった。またトップが責任を取らずに下に押し付ける傾向があるとされる。                       
 
 トップダウンは、少数のスタッフで指示を出すから経験、資質、バランス感覚、説明力などが重要だ。またトップが指示を出すので評価とか責任の所在が分かりやすい。

 安倍、菅政権では「おれが決める」「問題はない」など秘密主義型トップダウンだったから、霞が関は大臣ではなく、官邸を向いて仕事をするようになり、忖度文化を広げた。

一日一食の人々にも「自助」か

 民主政治の基本原則は、多少時間はかかっても多くの人々が議論に参加して、合意を形成していくプロセスが大事である。コロナ禍のような国家的な危機の場合には、国民に情報を開示して、全体状況を総合的に見て舵を取ることが求められる。                          
 
 コロナ禍で1日1食を手にするのもやっとだという人達が大勢いるのに、「自助」とか「個人の責任」を押し付けようとする言動はおかしい。旅行 観光 飲食業界の救援は大事だが、コロナ禍に立ち往生している人にも、政治、行政は目を向けるべきである。苦学力行、徒手空拳を売りにするのだったら、真っ先に支援の手を打つのがトップダウンであろう。

 こう見てくると、トップダウン、ボトムアップともに長短、功罪があることに気が付く。政治にまず大事なのは覚悟とか責任、決断力、実行力などではなかろうか。

教訓を生かす政治と行政を

 今から60年も前の1960年、小児麻痺ポリオ〈5歳までがかかりやすい)が、猛威を振るった。以下は社会主義国、ソ連(現ロシア)からポリオワクチンの緊急輸入を決断した古井喜実厚相の奮戦記である。

 対策にはソークワクチンの予防接種か、生ワクチンの投与があったが、当時の日本は開発が遅れ不足し、全国的な蔓延を前に各地でお母さんたちがワクチンを求めて県や市役所、保健所に押し掛ける騒ぎになる。

 生ワクチンの使用には、綿密な検定と実験が大前提になる。生ワクチンは生きた菌なので一歩誤れば取り返しのつかない事態になる。国産ができても全員に行きわたるかの見通しもつかなかった。古井厚相はワクチン不足という最悪の事態への対応が迫られた。急を要するので古井氏は夜も寝付けなかったという。そこで英国のファイザー社などから、生ワクチンを取り寄せて試験的に使ってみた。祈る気持ちで結果を待っていたら犠牲者は出ない。それを見た専門家も「厚相がやりたいというのなら、やらしてみたらどうか」という空気になったという。

 古井氏は「これは自分が決断すべき問題だ。子供の命にかかわることだから失敗したら取り返しのつかないことになる。大臣や政治家を辞めたぐらいで責任が取れるものではない」と、随分悩んだ。当時、ソ連が緊急輸出を申し出てくれたが反対もある。秘書官と二人だけで浜離宮や日枝神社を歩き回り、愛宕山に上ったりして腹が座るまで考え抜いた。そしてやらなければいけないと決心して、記者会見をして「どんなことが起ころうと責任はすべて私にある」と、言った。                                 
 
 反対を押し切って、ソ連などから1342万人分のポリオワクチンを輸入し大流行は防げた。古井氏は「しくじれば厚相はおろか政界を辞めても追いつかない。非常な時には非常なことをするしかない。良いことは思い切って断行する勇気が必要なんだ。このような難しい病気には日ごろから研究しておくことが欠かせない」と後に語っている。いきさつは松山善三監督の「われ一粒の麦なれど」という映画になった。残念ながら60年前の教訓は、今回のコロナ禍に生かされているようには思えない。