今年は1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日にスパイ容疑で北海道帝国大学の学生と米国人教師夫妻が逮捕された、いわゆる「レーン宮沢事件」が起きて80年になる。この冤罪事件があらためて蘇ってきたのは、菅政権になって、安倍政権時代以上に「特高警察国家」を目指しているのではないかと思わせる法律づくりが進んでいるためだ。それが、一連のデジタル監視法案に続いて、国会に上程された「重要施設周辺および国境離島等における土地等の利用状況の調査および利用の規制等に関する法律案」だ。その内容は与党の一角を占める公明党の顧問で前衆議院議員・漆原良夫氏(元公明党中央幹事会会長)をして、ブログで「まるで戦時下を思わせる民有地等の規制」「一定範囲の土地等を国家の規制下に置こうとするもの」と書くほどの危険極まりない法案といえる。一歩進めばレーン宮沢事件のように戦前・戦中の特高警察の流れをくむ公安警察によって新たな冤罪事件が多発しかねない。
諸外国では規制を周辺まで拡大せず
略称「土地規制法案」または「重要土地法案」というあいまいな響きとは異なり、同法案は米軍や自衛隊施設など指定された防衛関係施設から周囲約1キロの範囲を「注視区域」に指定し、所有者の個人情報や利用実態を調べ、「施設の機能を阻害する」と判断されれば利用中止を命じることができるというもの。さらに司令部機能がある基地や重要性が高い国境離島は「特別注視区域」として、民有地の土地の売買には双方に個人情報や利用目的などの事前届け出を義務付け、利用の中止命令に応じなければ2年以下の懲役または200万円以下の罰金刑に処すという厳しい内容だ。「必要に応じて」国が買い取ることも明記されている。
この法案についての解説は上記の漆原良夫氏のブログが一番分かりやすい。漆原氏の「うるさん奮闘記」(http://www.urusan.net/urusan/2021/20210209.htm)を基に問題点をみてみる。
第一に、この法案のポイントは「安全保障の観点」から民間を規制しようとするものだ。一部の自民党議員やゴマすり評論家が「中国人などの土地の爆買いを規制するもの」と言っているが、法案の目的は「安全保障の観点から、重要施設(防衛関係施設、海上保安庁の施設および重要インフラ施設)および国境離島等の機能を阻害する土地等の利用を防止」とはっきりうたっている。そして、これらの区域を「注視区域」としているが、漆原氏は「こんな広範囲な私権制限は行き過ぎです。諸外国では、英国やフランスではそもそも安全保障上の土地規制は存在しません。規制のある米国、オーストラリア、韓国でも軍事基地などが中心で、日本のように『重要インフラ』の周辺区域まで拡大している立法例はありません」と断言する。
そして、法案概要の「調査事項」に記載されている「所有:氏名、住所、国籍等 利用:利用の実態」との記述について、「本人の氏名に付属する属性、すなわち思想・宗教、団体の所属、趣味、家族・親戚構成、友人関係、海外渡航歴の有無、現在および過去の職歴などを住所や戸籍と総合的に判断することによって、初めて調査の意味をなす」ことになり、「個人情報が際限なく収集・蓄積されることにならないか」「日本版CIA発祥の契機とならないか」と懸念する。
法案は国会提出時に、慎重姿勢だった公明党が自民党との協議で、「特別注視区域」から市街地に加え、海上保安庁施設、原子力関係施設、自衛隊共用の民間空港など重要インフラの周辺地域などが外されたことで法案に同意した。しかし沖縄県の普天間飛行場のある宜野湾市、嘉手納飛行場のある嘉手納町はほぼ全域が「注視区域」の対象となり、あいまいな「機能を阻害する」という定義で、基地周辺の人々は犯罪予備軍に指定されかねない。近年、自衛隊基地が急速に増えている「国境離島」なども同様だ。
国民への監視求める読売、産経の社説
この「重要土地法案」に対して、新聞は二分した論調となっている。社説を比べてみても地方紙の見方は厳しいところが目立つ。特に監視・規制の対象地域が多い沖縄2紙は「土地規制新法案 私権侵害は認められない」(3月7日付け琉球新報)、「市民の権利 侵害の恐れ」(3月28日付け沖縄タイムス)と主張しているが、本土の新聞でも「土地規制法案 安保名目の強化危うい」(3月25日付け北海道新聞)「土地規制法案 危うさは国の権限強化に」(3月30日付け信濃毎日新聞)と批判的な見方を示している。
一方、安保法制以来、日本の「戦前化」に躍起となっているとすら感じられる読売新聞と産経新聞はいつものように真逆の論陣を張っている。まず読売新聞。「土地規制法案 実効性ある監視体制作り急げ」(3月30日付け社説)とまるで進軍ラッパが聞こえてきそうな論調を張る。「今国会で確実に法案を成立させ、監視の目を光らせたい」とスパイ活動を奨励するような口ぶりで、「土地取得に対する監視の実行性を高めるには、情報収集が鍵を握ろう。各省庁や自治体との連携を強化することが必要だ」と締めくくっている。
一方、産経新聞。「土地規制法案 危うい骨抜きを懸念する」(3月29日付け「主張」)は「自衛隊や海上保安庁の施設、原子力発電所など重要インフラ施設の周辺や国境離島を、日本に敵対的な国家や勢力から守る上で(法案は)必要だ」とし、「土地利用規制法が運用されて困るのは、スパイ行為や妨害、破壊工作をしかける意図がある敵性国や勢力だけではないのか」と露骨に主張する。
このように、読売と産経からは「うるさん奮闘記」で漆原氏が危険だとしている国民にたいする規制、圧力が問題とする意識はないようだ。産経に至っては、緊急事態宣言下で深夜銀座のクラブで飲み歩いたのが発覚した遠山清彦元幹事長代理が議員辞職したため、公明党が慎重姿勢に転じたことへのグチめいた記事も出ている(2月21日、「土地利用規制法案、公明に目立つ慎重姿勢」)。こうした一連の記事を読むと、法案のブラックな側面が際立ってくる。そして参議院に審議の場が移ったデジタル監視法案と合わせることによって、国民はプライバシーも何もかも絡め取られてしまいかねない状況にあることが分かってくる。
レーン宮沢事件では冤罪被害者側を攻撃のマスコミ
冒頭に記載した「レーン宮沢事件」は、同大学生だった宮沢弘幸さんが担当の英語教師だったハロルド・レーン夫妻と開戦の日に会い、既に公知の事実であった海軍根室飛行場について話したという軍機保護法違反容疑で逮捕されたという冤罪事件だった。レーン夫妻は米国に送還されたが、宮沢さんは特高警察の拷問などで病気を患い、戦後釈放されたが27歳の若さで死亡した。
日本が敗北したことで、宮沢さんとレーン夫妻の軍機保護法違反の冤罪は晴れたが、3人が逮捕された当時、多くの人が根室飛行場の情報を持っていたにもかかわらず、マスコミはこぞって3人を攻撃した。「監視の目を光らせたい」とする読売新聞は、再び「レーン宮沢事件」が起きないようにという意識がないのだろうか。