✺神々の源流を歩く✺

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第22回 滋賀県草津市 3つの安羅(やすら)神社   

医術の祖、天日槍が祭神            

 草津市は東海道の宿場町として栄えた。草津市と隣の栗東市に合わせて三つの安羅神社がある。まず、草津市野村町の安羅神社は偶然、すぐに見つかった。ただ、社務所がなく特に変わったものは見当たらない。鳥居の横に立つ社伝には、「慶運元年(704)三月、牛頭天王この地に降臨なり、これ当社の創なり」とある。牛頭天王は素戔嗚尊(すさのおのみこと)に習合し同一神とされる。社伝の終わりの方に、「野村、穴村に安羅神社、(栗東市)十里に小安羅神社の鎮座あるは、安羅郷の古へを推想するに足る」とある。この地に渡来した人々の子孫は、遠い先祖の地、安羅の地に思いをはせてこの名を付けたのであろう。

                         
 草津市穴村町の安羅神社は探すのに難航した。道行く人に「あら神社はどう行くのですか」と尋ねていたからで、怪訝な顔をされるだけだった。安羅と書いて「やすら」と読むのが正しい。おかげで栗東市の小安羅神社を尋ねる時間がなくなってしまった。 


 安羅が出てきたので、6世紀半ばごろの朝鮮半島情勢をちょっと振り返ってみると、高句麗、新羅、百済のほかに、半島の南端に安羅、安楽、加羅、伽耶、大伽耶などの小国が栄えた。安羅、安楽,安良は同音なので同じ国を指すとされ、いずれも須恵器づくりや銅、鉄、金の生産加工などで先進技術を持っていたといわれる。このうち安羅(那)人というと、安羅から渡来した人々を指すようだ。

あぶった石で患部温めお灸

         
 社務所でもらい受けた「日本医術の祖神/安羅神社由緒書」には、こう書かれている。「祭神は天日槍命(あめのひぼこ)である。安羅神社は、一名安良明神と申し、その創建時代はつまびらかではないが、神話の研究者、三品彰英氏は『御祭神は朝鮮新羅王子である』と伝えている」。続けて「天日槍は、…一族郎党を引き連れて来朝された。まず九州の糸島に着き、次に播磨に上陸し、さらに宇治川をさかのぼって近江の吾名村に止まられた。再び鏡山を経て若狹に至り,海路但馬国出石に居を定め、長らく子孫代々定住された。一族のある者は吾名村の地に止まり、この地に部落を造り、もっぱら農業を業としていたその子孫が天日槍命の遺徳をしのび、一社を建てて奉祀したのが安羅神社であると称されている」とある。                       
 天日槍についてはまた別稿でも触れることになるが、天日槍の従者の一部がこの地にとどまり、医術・陶器・土木・鉄工業をもたらしている。 


 穴村町の安羅神社のご神体に24個の小判型の小石が保存されている。この石は近くを流れる野洲川の玄武岩と同質という。半面が黒色をしているのは火にあぶって温め、患部に当ててお灸に使ったものだと見られている。「穴村のお灸」は古くから知られていたが、そのお灸も往古、天日槍の一行とともに朝鮮半島から伝えられたのかもしれなかった。