コラム「政治なで斬り」ワクチン接種予約に戸惑い、あたふた国民 不十分な集団接種体制と政府の隠された狙い 五輪強行へワクチン接種急ぐ菅政権

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今、新型コロナウイルスワクチン接種予約の話題で持ちきりだ。予約がなかなかとれず、皆が戸惑い、あたふたしている。これが、世界第2位の経済大国にのし上がった日本の今の姿だ。どうしてこんなことになってしまったのか。
 筆者も15日に川崎市の第2回コロナワクチン集団接種の予約申し込みにてんてこ舞いだった。8時半の開始時間とともにパソコンで予約申し込みをしたものの1回目に続き、予約できなかった。

五輪強行と選挙の思惑

それでも接種協力に名乗り上げた最寄りのかかりつけの病院に電話した結果、ようやく予約できた。たぶん6月下旬ころに第1回接種を受けることになるはずだ。この病院へのワクチン配布が国や神奈川県・川崎市の対応遅れによって配分日時未定のためだ。「やっと命拾いできそう」と思った。2回目の接種予約は1回目終了時にこの病院で受け付けるとのこと。どうやら菅義偉首相のいう「7月末までに高齢者接種完了」の目標の範囲となりそうだ。

 65歳以上の高齢者に対する新型コロナウイルスワクチンの接種について、菅首相は「7月末までに完了させる」と言っているが、政府が12日に発表した全国の1741市区町村への調査では「終わりそうだ」と答えたのは1490(全体の86%)にとどまる。

 それでも菅政権は東京五輪・パラリンピック強行にむけて突っ走る。ワクチン接種を急ぐのも五輪開催のためだ。そして五輪強行により総選挙に勝利する思惑があることは明らかだ。もう多くの国民には分かっている。だが国民の多くは2カ月後の五輪開催には反対だ。五輪開催しても、菅政権とり選挙が有利となる状況ではなくなっているのだ。それでも五輪開催を強行するのは、自身の地位が危うくなるからだろう。背後には五輪を誘致した安倍晋三前首相が控える。

「ワクチン後進国」

 日本のワクチン接種率は、現在、途上国並みの約3%(1回目)にとどまる。英オックスフォード大の研究者らによると、少なくとも1回接種を受けた人の割合は、米国が約47%、ドイツは約36%、フランスが約30%に達する。韓国でも7%を超え、日本を上回る接種率だ。日銀内では「(国内でワクチンの普及が遅れれば、日本は)成長の面で取り残されていくことが懸念される」との声が上がっている。

 国内でワクチン接種が遅々として進まない大きな要因として、集団接種体制が十分に整っていない点が挙げられる。国の大規模接種センターが開設されるのは、今のところ東京と大阪の2カ所にすぎない。ワクチン接種が遅れたもう一つの要因は、財務省などが税金漏れ防ぐために国民背番号制と連動させようとしていた—など政府側の隠された狙いがあったためのようだ。

 どうもコロナワクチン接種に関連して、政府が行政手続きデジタル化を急いでいる真の狙いは、預金・資産などの個人情報を把握して税金の徴収漏れを防ぐほか、マイナンバーカードによって個人の行動記録などを読み取って犯罪捜査など手がかりに使うなどにあるようだ。

 それにしてもデジタル庁設置にこぎつけてIT立国化の看板を掲げても ネット予約は相変わらず、瞬時に満杯。電話もNTTによる通信制限でお手上げ。なにをか言わんやだ。

 最寄りの市役所でも6月中に手続きをすると、数千円のポイントがもらえるなど鉦や太鼓で急がせている。菅政権のデジタル庁を急ぐ意図も、日米軍事同盟強化と国民を動員しやすい仕組みを作ることにあるのかもしれない。ともかく悪用されないように監視することが大事だ。

 さらに言えば一般大衆の不安解消や安全確保が統治行為の基本のはずなのに、日米同盟強化を理由に米国の要求に沿って中国や北朝鮮との戦争準備ばかりに奔走し、国内の安全・安心の基盤づくりにカネを惜しむ自公連立政権の姿が透けて見える。庶民無視の政治勢力を駆逐することが先決だ。

「人流」

 いささか気になっている用語がある。管首相の国会答弁だけでなく、小池都知事までが何ら躊躇することもなく平然と言い放っている「人流」だ。最近、辞書を開くこともなくなったが、「人流」は広辞苑にも載っていない。

 要するに「人の流れ」だろう。簡単に言えば「人出」のこと。それをもったいぶって作った官僚がいて、管首相はただ読み上げただけだろうが、そんな造語をなぜ使うのか。「人出を抑える」と言うと差し障りがあるから、「人流を減らす」と遠慮しているのか。冗談じゃない。人の流れを上から束に見立てて、抑え込んでやろうという底意地が感じられます。違和感は消えません。政府の発表に新聞もテレビも乗せられている。危ない兆候だ。

 全国紙の元論説主幹も「人流」についてこう指摘している。

 「『「まんぼう』『人流』など、ひとつは、政治家、官僚どもが意味も考えずに使いまわし、その抵抗のないこと、次に用語の定義が定着せずに使いまわし、ゴマカシの意図がほの見えること、などです。
 『人流』は、使うとすれば人の流れですから、従来なら『動線』でしょう。人出と『流れ』は違うし、インチキの意図があります。
 菅が、医師らの強い意見に屈して、緊急事態の対象地域を増やしたのは、以前は『総理大臣の私が責任を持って…』などと強気の恰好つけをしていたのに、今回は投げやりで、責任は医師ら分科会にあるかの言いようです。支持率低下は、当然で、むしろ遅きに失しています。安倍は菅の失政が膨らむのを待ち、おのれの3回目の登場か、派閥からの幹事長送り込みか、首相生産のイニシアティブ掌握か、を狙っているでしょう。少なくとも、菅、安倍、二階、麻生の4人を除去しないと、日本は劣化するのみです。追随しがちな総裁候補や、言動不一致・3歩歩くと忘却、といった次世代組も退場させたいものです」

「束ね」の拡大の夢

 別の方からの指摘も紹介したい。

 「かつての権力機構は、一網打尽で国民を掌握し、都合の良い情報のみを提供して『束ね』を成功させてきました。自由と民主主義になじまない一部自民党権力者には、『束ね』の拡大を夢見ており、小選挙区制度以前には岸を除けば歴代首相は、それでも何とか民主主義・国民主権・自由の意味合い・多様な個の共存のための調整の必要などを踏まえようとしてきました。しかし、小選挙区制度によって権力のありようが様変わりし、制度としての国民の  『束ねやすさ』を確保した結果、『数』によって理念はどうでもよくなろうとしています。菅氏をはじめ若い層の政治家には、そうした世の中の変化を身につけず、多くの意見に耳を傾けず強引に決めつける手法を身に着けています。しかも彼らの欠陥は、よかれ、の気分で取り組みますが、歴史的な経験や、多様な意見のある社会状況がわかっていないことです。反省のないイケイケどんどん体質は、大正期後半の、関東大震災を機とする軍部・新官僚などの膨張と、中国浸出の誇大妄想の宣伝効果とによって、当然視されてきました。物言わぬ学者や官僚は許容し、物言うグループを腕ずくで抑え込み、情報や思考力の育たない大衆を挑発して、社会の流れを握ってしまいました。
 近年の状況は、民主主義の名を騙りながら、デジタル化もそうですが、『束ね』の社会をつくりつつあります。ともかくその試みは食い止めなければいけませんね。後藤田(正晴)さんもたびたび強調していましたが、「ちょっと待てよ。おれには異見がある」という勇気ある行動が求められています」

傲慢と焦り

 2019年参院選広島選挙区を巡る買収事件で有罪が確定した河井案里元参院議員陣営に対する1億5千万円の党資金投入問題について 自民党の林幹雄幹事長代理が「根ほり葉ほり踏み込んだ質問はするな」と平河クラブでの記者会見で述べたとのこと。よほど後ろめたい点があるのかもしれない。検察に押収されている捜査資料がいずれ戻されたら総選挙情勢に暗雲が覆いかぶさると危機感を示している。

 しかし「根ほり葉ほり踏み込んだ質問はするな」とは、なんとも傲慢にして不遜な言い方だろう。記者クラブ側も言われっぱなしにしてはいけない。

 森友学園への国有地売却を巡り公文書改ざんを強いられ、自殺した財務省近畿財務局元職員の赤木俊夫さんがまとめた文書「赤木ファイル」の開示は国会閉会後とされ、広島への資金投入関連文書も会期中は封印されたまま。だが今国会中は逃げきれても遅くとも10月までに行われる総選挙への影響を回避ができるのか。林幹事長代理の質問制止発言は土俵際に追い込まれた焦りを裏書きしているようだ。

「他人の振り見て我が振り直せ」

 安倍晋三前首相は、架空の接種券番号でワクチンの大規模接種センターの予約ができるか検証したとするニュースサイト「AERA dot.(アエラドット)」と毎日新聞の報道について「朝日・毎日は悪質な妨害愉快犯」とし、AERAや毎日新聞によるコロナワクチン大規模接種への試しアクセスも軽率の極みと言う謗りを免れないと批判した。一方で安倍氏は、森友・加計学園問題や桜を見る会問題で随分と世の中を惑わし続けてきた。「虚偽答弁」に類する言辞を繰り返し“愉快犯”ぶりを演じてきたのは、安倍氏自身ではないのか。「他人の振り見て我が振り直せ」ということわざをかみしめてほしいものだ。