衆院選の結果が、多くの新聞社、放送局の予測とは異なるものだったことが気になっている。現在、選挙報道で欠かせない手法として定着しているように見える出口調査の結果は大外れだった。さらに新聞、通信、テレビ各社が長年、活用し改良し続けてきたはずの事前の情勢調査も出口調査の結果を修正することはできなかったようだ。これらの調査について抜本的な見直しは行われるのだろうか。外れ具合がどのようなものだったかと、一部当事者たちの受け止め方は最後に紹介するが、外野席にいる人間としても今回の結果について少々、考えてみたい。
出口調査はテレビ局が先行
筆者は共同通信勤務時代、ほんの一時期ではあるが出口調査に関わった。橋本龍太郎首相が退陣に追い込まれるほど自民党が惨敗した1998年7月の参院選がこの時期に含まれる。驚く人も多いかと思うが、そのころ日本の新聞社は出口調査にほとんど関心を持っていなかった。共同通信自体、編集局がようやく出口調査に幾分かの関心を示し始めたのがこの1998年の参院選からだ。その共同通信がなぜ出口調査に関わったかは、次のような経緯がある。
日本の新聞社は早くから投票日前の情勢調査に取り組み、こちらの方が選挙報道には欠かせない調査となっていた。投票日当日は、開票所に記者を張り付け、選管の正式発表前に票数を選挙取材本部に報告させ、情勢調査や事前の取材結果を合わせてとにかく早く当選確実や当選を速報、各党の獲得議席の増え方を逐一報道する、というのが長年の報道スタイルだったと思う。ところがいち早く出口調査の効果に気づいたのが、テレビ局だ。民放キー局5局と共同通信の委託契約が成立し、共同が事務局となって合同出口調査を初めて実施したのが1995年の7月の参院選。翌96年10月の衆院選でも実施した。ところが契約で共同通信も活用可能とされていた出口調査結果が共同通信の編集作業に使われることはなかった。次の98年8月の参院選になって編集局の姿勢もようやく変わったということだ。投票開始直後から最終結果の推測につながる途中経過が手に入る出口調査の利点に気づいて…。
出口調査に否定的な統計学者も
今回の、衆院選結果から筆者が思い起こしたのが、高名な統計数理学者の林知己夫氏(1918~2002年)に当時、聞いた言葉だ。「出口調査はやる意味がない」。今になってみると、理由をしつこくうかがっておけばよかったと悔やまれる。与党と野党の候補者が激しく競り合う選挙区でいくつか出口調査と逆の結果が出た場合でも、与党、野党ともにそれぞれ逆の結果になる選挙区があるはず。全体としては間違いが相殺される結果、各党の最終獲得議席数に大きな違いが出ないことは大いにあり得る。何よりテレビ局にとって、投票終了直後に各党の獲得議席予測数を速報するのは、投票日当日の選挙特別番組最大の見せ場。さらに出口調査で早めに結果が予測できることから、番組の進め方も早く決められる。このようにテレビ局にとって出口調査の効用は相当大きいから、やめるという選択肢はない。林氏の言葉を真剣に受け止めなかった理由は、そう考えたためだと思う。
そもそも太平洋戦争まで、日本には世論調査というものが存在しなかった。林氏は、新聞社の世論調査の基盤をつくった人でもある。国民あるいは大きな集団がどのような考えを持っているかを調べるには、ほとんどの場合、調査対象者を選び出す確率標本抽出という手法が不可欠になる。すべての人間を調べるのはコストだけでなく時間もかかり、調査の意味がなくなってしまうためだ。占領軍の支援も受けながら林氏を中心とする統計数理研究所の研究者たちがつくりあげた調査の標本設計を基に1948年9月、朝日新聞の世論調査が実施された。同じ年の12月には初めての無作為抽出法による毎日新聞の世論調査が行われている。世論調査では後述するように回収率を低下させないことが重要だ。1973年にNHK放送世論調査所が調査不能の性格や理由を調べた調査を実施した際にも林氏が協力している。新聞界やNHKは林氏とともに世論調査の定着に大きな役割を果たしたわけだ。
統計数理学者の研究姿勢
1953年以来5年ごとに統計数理研究所が実施している大規模な調査「日本人の国民性調査」をはじめ、林氏が主導した調査は数多い。その中に野ウサギの生態を調べる調査がある。データをとるためスキーを履いて野山を駆けまわった、と聞いて思ったものだ。立派な統計数理学者というのは集められた数字を処理するだけでなくデータを集める時点から自分でやるのだ。体も動かして、と。今になってみるとこんなことで感心したのは、氏に対して大変失礼だったと思い知る。氏は太平洋戦争中、陸軍航空本部に属し、神風特別攻撃特攻隊が命と引き換えに得た初期の戦果を基に攻撃成功率を割り出す仕事をしていた、とつい最近知ったからだ。氏の著書「調査の科学」(ちくま学芸文庫)に、モデルを立てて計算し、データ分析を慎重に行った結果、船の進行方向から急降下する攻撃が最も成功率が高いことを突き止めた、と書いてある。「漫然と見れば数字の並びにしか見えないデータが、実は人間の尊い血であがなわれていること、そしてそれに基づいた現象分析の結果が人命を左右する凄絶なものであることを、身をもって知った」とも。
「血がにじむような戦争中の体験から得られた調査の有効性に関する確信は、本を読んだり人から教えられた理屈から生まれるものではない。どんな小さな調査でも自分でやってみて、その結果が実際に役立ったものことを実際に経験することが絶対的に必要である」。真に価値のある調査とそうでない調査があるらしいと気づかされた言葉も書かれている。
がん告知は日本人にふさわしいか
氏の多くの業績の中で筆者が取材したもう一つの研究事例に、がん告知の問題がある。1990年代半ばごろの話だ。がん患者に対して、余命どころかがんであることすら知らせない。こんな対応が日本では長い間、医療現場や家族の間で普通にとられていた。確か告知しなかった医師の責任を問う司法判断が出たのが大きな転機になったと思う。ある時期から急に患者本人に病名ががんであるだけでなく、末期であれば余命まできちんと知らせるのが当たり前になった。これについて日本人にはふさわしくないと考えた林氏が、日本癌病態治療研究会の中にQOL(生活の質)班という研究グループを立ち上げたのだ。「あとどれくらいしか生きられないなんて私だって知らされたくない」という言葉を林氏自身から聞いた。1996年3月、林氏に誘われて、日本癌病態治療研究会が主催する「癌告知シンポジウム」をのぞいたこともある。
このシンポジウムについては林氏の報告(日本癌病態治療研究会誌WWAVES Vol.02_p077.pdf (umin.ac.jp)に、氏らしい明快な記述がみられる。がん告知が日本人の約20%の人々にしか受け入れられていないことを挙げて「アメリカ流の一見の合理主義を金科玉条として日本人に押しつけることに信念を持つ非合理的な人々」である医師らを「異邦人」と呼んでいる。シンポジウムではこれら「異邦人」が「科学的データに基づく治療・告知の個別化を考えるQOL班や、個別化の不可欠性を感じとっている医師たちに立ちはだかっていることを明らかにできた」と言い切っている。
日本人の約20%の人々にしか受け入れられていないとする根拠は何か。林氏らによる「がん告知に関する調査」で、「家族や近い親類ががんにかかった場合、主治医にどうしてもらいたいか」という問いに対し、「どんな場合でも本当のことを告知する」と答えた人が19%にとどまった結果を指している。最も多かった答えは「本人の精神的条件、本人の気持ちや心の状態によって告知するかどうか決める」で47%。調査は、患者本人が「がんになったら告知してくれ」とかねがね言っていた場合についても調べている。「患者が告知してくれと言っていた場合でも、それが本心かどうか医師に考えてほしいか」という問いに対し、70%以上が「本心かどうか考えてほしい」と答えている。患者が日ごろ告知を望むようなことを言っていたとしても本心かどうかは疑わしい。従って「医師が一方的にがん告知をすることには反対」という人もまた多いということを調査結果は示している。
林氏は日本癌病態治療研究会誌の別の報告で、次のような指摘もしている。「告知してよい人 (知る権利を主張する人)、告知を好まない人(知らない権利を主張する人)がいる。がん告知の問題は医師の負うべき、また克服できない課題であって患者や家族のQOLを考える以上、簡単に割り切れる問題ではない」。先日、アマゾンの映画配信サービスで「フェアウェル」という2019年公開の映画を見た。米映画だが、中国系あるいは中国人たちが製作した作品のようだ。中国・長春に住む母親が末期がんで余命いくばくもないと診断されたことを知った日本と中国に住む長男、次男一家をはじめ大勢の子供や孫たちが、長男の息子が長春で結婚式を挙げるのに合わせて母親の下に集まる話だ。検査結果も書き直すなど母親にがんであることを知らせないよう大勢の家族たちがさまざまな苦労をするさまが描かれている。
中国でがんは告知すべきではないとする考える人々が多くないと、この作品は成り立たないだろう。キリスト教徒が多い国では、がんの告知は広く受け入れられているように見えるが、こうした米映画がつくられるということは、米国でもがん告知が妥当かどうかに関心を持つ人が少なくないということだろう。日本で誰に対しても告知するという現状が本当に正しいのだろうか。日本ではそう思う人はもっと多いような気がする。林氏たちの調査結果が、がん告知について見直す動きにまでつながらなかったのはなぜか。あらためて考えさせられた。
複雑な日本人の国民性
林氏ががん告知の問題を重視し、日本の現状を明快におかしいと断じていた背景に、氏が長年、関わってきた「日本人の国民性調査」で得られた日本人の心情、行動に対するデータがあるのは間違いない。「日本人の国民性調査」は前述したように、本格的でしかも長く続けられている大規模調査だ。最近、数多く実施される電話調査やインターネット調査では不可能な数多くの質問を並べて、日本人のものの考え方や価値観、生活信条といったものの特徴を統計調査によって調べるのを目的としている。1953年の第1次調査以来、14回行われているので、太平洋戦争終了間もなくから現在までにどのように変わってきているか、あるいは変わらなかったかを読み取ることも可能だ。住民基本台帳から層化多段無作為抽出法で抽出した全国400地点で調査員が個別訪問し面接聴取する方法により5年ごとに行われてきた。20歳以上85歳未満の日本人男女6,400人を対象に2018年10月下旬から12月上旬にかけて実施した最新の「第14 次全国調査」結果の概要ResultSummary.pdf (ism.ac.jp)が、この10月に公表されている。
「第 14 次国民性全国調査」はまだ概要しか公表されていないので、前回の「第13次国民性全国調査」(2013年実施)kenripo116.pdf (ism.ac.jp)の「宗教」に関する調査結果を見てみる。林氏の「がん告知に関する調査」の狙いと、調査結果を根拠とするがん告知に対する氏の主張の妥当性が分かる。「第13次国民性全国調査」で「宗教を信じる」という人は26%に留まり、「信じない」人の方が74%とはるかに多い。1953年の「第1次国民性全国調査」の結果は、「信じる」35%、「信じない」65%で、以降、「信じる」が減少、「信じない」が増加する傾向を示している。一方、「宗教心は大切か」という問いに対する答えはだいぶ異なる。「大切」と答えた人は80%に上る。最初にこの問いが盛り込まれた「第2次国民性全国調査」(1958年)の70%より増えている。「『あの世』を信じるか」という問いに対する答えを見ると「第13 次国民性全国調査」では40%で半数に満たないが、「第2次国民性全国調査」の20%に比べると倍だから増え方は大きい。宗教を信じる人は、減少傾向が続く一方、「あの世」を信じる人、宗教心は大切とする人はともに増えているということだ。日本人の宗教に関する考え方は一筋縄でいかないということだろう。
さらに、「宗教を信じるか科学を信じるか」を聞いた問いに対する答えをみると、宗教に対する日本人の考えとはまただいぶ違った国民性がうかがえる。「科学の進歩と人間の救いとは関係がない。人間を救うことができるのはただ宗教の力だけである」と考える人はわずか3%しかいない。一方、「宗教というものは、人間を救うことはできない。人間を救うことのできるのは科学の進歩以外にはない」と答えた人も12%にとどまる。さらに「人間の救いには科学の進歩と宗教の力とが、たすけあってゆくことが必要である」が45%にとどまり、「科学が進歩しても、宗教の力でも、人間は救われるものではない」と考える人が32%もいる。
1953年の「第1次国民性調査」に比べると宗教を否定する人は増え、信じる人は減少し、科学の進歩と宗教の協力で人間は救われると考える人は減り、科学の進歩によっても宗教によっても救われないと考える人は増えていることが分かる。これらの問いに対する答えを見ても、日本人の国民性は複雑と言えるのではないだろうか。
本格的な調査困難に
統計数理研究所がこれだけ力を注いでいる調査結果をみても日本人の国民性を知るのは簡単ではないということが理解できるだろう。標本抽出を厳密にするなど科学的な方法で調査の精度を高めても、調査対象となる日本人の国民性が一筋縄ではいかない。こうした難題に加え、年月を経るごとに調査すること自体が容易でなくなっているという深刻な問題もある。林氏の後に調査の中心になり「第13次国民性全国調査」(2013年)も担当した中村隆統計数理研究所教授(当時、現名誉教授)に、6年前、筆者が編集を担当していたサイエンスポータルというサイトに寄稿してもらったことがある(日本人の国民性調査 60年の継続から見えてくる変化(中村 隆 氏 / 情報・システム研究機構 統計数理研究所 教授) | Science Portal – 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 (jst.go.jp))。
この中で中村氏は調査に対する答えの回収率が調査するごとに低下していることに大きな懸念を表明していた。「第5次国民性全国調査(1973年)」まで75%以上の回収率を維持していたのが、調査対象者の調査拒否や一次不在のため漸減を続け、「第13次国民性全国調査(2013年)」では50%となってしまったことを挙げて、「調査結果で捉える日本人の自画像とその変化はひずみを増し、ますます見えにくくなっている」と危機意識を示している。10月に概要だけが公表された「第14次国民性全国調査(2018年)」も回収率はほとんど同じで、「調査に対する日本人の協力度も変化している」とする中村氏の懸念は解消されそうもない。
「第13次国民性全国調査」で調査できなかった対象者について調べた統計数理研究所の別の研究者たちによる報告がある。調査ができなかった対象者の多くは、調査員が接触できなかったことによる。家族と同居していると思われる一戸建住宅で特に不在であることが多く、(おそらく)家族による調査拒否が増えている。接触できたものの拒否する対象者は男性に多く、特にその割合が高いのは30 代から 50 代前半の男性。こうした実態がそれまでの調査ですでに判明していたが、「第13次国民性全国調査」では、さらに都市度が高い地域ほど接触不能、本人拒否,他者拒否のいずれも増加する傾向などが新たに明らかになった、としている。
今回の衆院選で如実に表れた出口調査の結果と実際の投票結果の違い、さらには事前の情勢調査も投票結果の予測精精度向上にあまり役立たなかった現実にも、調査というもの対する日本人の協力度の低下が反映してはいないだろうか。回収率が低いというのはほかの本格的な調査でも見られる現象と思われるが、今回の出口調査や情勢調査結果で気になるのは、調査に対してうそを言う調査対象者が増えている可能性だ。
ちなみに林氏は著書「数字から見た日本人のこころ」(徳間書店)で、事前(情勢)調査の効用ははっきり認めている。1995年発行の著書で、「第9次国民性全国調査」(1993年)の中の「選挙への関心」を調べた調査結果や日本新党の躍進で非自民の細川政権発足につながった1993年の衆院選結果などにも触れて、次のように明快に述べている。「事前調査の結果を集計した『調査支持率』を横軸に取り選挙得票率を縦軸に取ると、『調査支持率』と『選挙得票率』の関係が三次元曲線を描くことが経験的に分かっている。この曲線に選挙の種類、選挙区定数、何日前の調査かといった基礎的情報を入れ、その他の変動要素(候補者の知名度、直近の政党支持の動向、対立候補の力、選挙区の特性など)で補正してやると、各候補者の推計得票率と選挙区内での順位がきちんと出てくる」
氏が存命なら今回、新聞、通信、テレビ各社の予測がことごとく外れた理由をどのように説明していただけるか尋ねてみたいところだ。出口調査はもともと氏が実施に否定的で、今回、全く予測が狂ったのは、氏が見通していた出口調査の限界が露呈しただけ、と言われるかもしれない。しかし、情勢調査も役に立たなかったというのは、どのように説明されるだろうか。以下に選挙報道の当事者たちが今回の事態をどう受け止めているかを紹介するが、出口調査、情勢調査の改善策は難しいという気がしてならない。
NHK小選挙区で大きな違い
NHKは「NHK政治マガジン」というサイトに「衆議院選挙 NHKの議席予測はなぜ外れたのか」衆議院選挙 NHKの議席予測はなぜ外れたのか | NHK政治マガジンという記事を11月11日付で載せている。「自民党は単独で過半数に届くかどうかはギリギリの情勢」。「立憲民主党は選挙前の109議席から議席を増やす勢い」。NHKが午後8時の投票締め切りと同時に報じたのがいずれも大外れだった結果について詳しく検証している。212~253議席と予測していた自民党の獲得議席は実際には261(追加公認の2人含む)。99~141議席と予測していた立憲民主党の獲得議席は96とどちらも予測範囲の上限値、下限値のいずれからも大きくはみ出す結果となった。
NHKの議席予測は選挙当日の出口調査に加えて、期日前投票をした人たちに対して実施した出口調査の結果、さらに事前の各党への取材結果も加味して算出したとしている。期日前投票者に対する出口調査は投票日当日の出口調査と異なり、統計学的にきちんとした手法で行うことが難しいことは、この記事の中でも指摘されている。検証記事で目を引いたのは、比例代表は予測通りだったが、小選挙区で大きな違いが出たことを強調していたことだ。自民党の小選挙区当選圏内者は、当日の出口調査結果だけで予測すると171だったという。期日前投票者に対して実施した出口調査結果と事前の各党に対する取材結果を加味すると、171のうち負ける可能性があるのが25あるとなった。
逆にさらに当日の出口調査では当選外と出た106のうち、勝つ可能性があるのが9ある。これらを足し引きして最終的に提示した小選挙区の獲得議席数は145~180と、実際の獲得数189(追加公認の2人含む)を大きく下回った。投票日当日の出口調査で当選圏外なものの負ける可能性ありとした25人のうち、実際に負けたのは5人だけ。さらに投票日当日の出口調査で当選圏外と出たもののかつ可能性ありとした9人をはるかに超す21人が当選したため、と説明している。
予測が間違った典型的な激戦区の例が紹介されている。野党の一本化候補である立憲民主党と自民党候補の戦いとなったある選挙区では、当日の出口調査で自民党候補がわずかながらリードし、当選圏内に入っていた。しかし、期日前投票の出口調査では中盤以降、立憲民主党の候補が優位な情勢を保っていたことから、自民党候補が敗れる可能性もあるとみていた。しかし、結果は5,000票以内という僅差で自民候補が競り勝った。これは結果から言うと投票日当日の出口調査が当たっていたのに、期日前投票の出口調査結果を過大に見込んだというケースだが、全体としては投票日当日の出口調査結果自体が実際の結果と大きな違いがあったことを重視すべきだろう。
NHK以外のテレビ局はどうだったか。NHK同様、すべてのキー局が実際の獲得数より自民党は少なく予測し、立憲民主党は逆に多く予測していた。投票終了直後に各テレビ局が報じた獲得予測数で、自民党に最も多い(実際の獲得議席数に最も近い)数字だったのはテレビ朝日の243で、最も少なかった(実際の獲得議席数に最も遠い)のは、フジテレビの230。立憲民主党は、テレビ東京の110が実際の同党の獲得議席数96に最も近く、フジテレビの130が最も過大に予測していた。いずれにしても自民党261(追加公認の2人含む)、立憲民主党96という実際の結果とのずれは大きい。
新聞・通信社も五十歩百歩の出来
新聞、通信社の出口調査結果はどうか。共同通信社が投票終了直後に配信した獲得予測数は自民党が235~256で、立憲民主党は103~123。NHKの予測(自民212~253、立憲民主99~141)と五十歩百歩というところだろうか。共同通信社の予測の基になったのは同社が新聞社5社と共同で実施した出口調査だ。投票日の夜、朝日新聞デジタルは「ばらついた獲得議席の予測 出口調査は各社同じデータ、分析で違い」という記事を載せている。共同通信社、各新聞社とも投票終了直後に予測する各党の獲得議席数は出口調査結果そのままではなく各社独自の判断が加味されているということだろうが、新聞・通信社の合同出口調査もまた、今回は実際の結果と大きくずれていたとみてよいだろう。
さらに新聞・通信社が長年、重視してきた投票日前の情勢調査による獲得議席数予測結果にも注目する必要がありそうだ。「自民、議席減の公算大 63選挙区で接戦 与党、過半数は確保」(毎日新聞、10月21日)、「自民が単独過半数確保の勢い、立憲はほぼ横ばい」(朝日新聞、11月25日)、「与党、絶対安定多数を視野 自民減も、立民伸び悩み」(共同通信、10月27日)、「小選挙区接戦なお4割 衆院選終盤情勢 野党、共闘効果続く 競合区では与党優位」(日経新聞、10月29日)。こうした報道はばらつきが目立つとはいえ、まずまずの結果を予測していたものもあるといえる。一方、投票日間際の時点でも「接戦区で立民優勢、自民苦戦」(産経新聞、1029月日)、「自民の単独過半数維持は微妙、立民が議席増・維新は勢い保つ」(読売新聞、10月29日)とみていた新聞社があるのが目を引く。