1962年のキューバ危機で米空軍参謀長のルメイがキューバのミサイル基地空爆を求めたが、ケネディ大統領が退けた。当時、国防長官だったマクナマラは第二次大戦末期に、日本の都市への焼夷弾攻撃を命令したルメイの下僚だった。都市焼き打ちの非人道性に懸念を示したマクナマラにルメイが語ったという。「負けたらわれわれは戦争犯罪者だよ」 ウクライナで今起きていることの理不尽さを突いた毎日新聞3月10日朝刊のコラム「余禄」にこうした記述があった。
キューバ危機についてはわずかの知識しか持たず初めて知ることばかりだったのを反省し、「ながい旅」(大岡昇平著、新潮社1982年発行)を読み直す気になった。第二次大戦末期、名古屋市も数度にわたる米軍の焼夷弾爆撃を受けたが、最も被害が大きかったのは1945年5月14日の攻撃。米側記録で486機のB29による焼夷弾爆撃(総投弾量2563トン)で、名古屋市北部の80%が焼失した。この時、撃墜されたB29から降下して捕獲された搭乗員38人を処刑した責任は自分一人にあると言い続けた一方、処刑が無差別爆撃に対する国際法に則った処罰だとする主張を、戦後、連合軍軍事裁判で貫き、絞首刑に処せられた岡田資・元陸軍中将(東海管区司令官)の軍事法廷での戦いを詳細にたどった書だ。
夜間の焼夷弾に変わった空爆
コラム「余禄」が掲載された3月10日は、77年前、米軍による最初の大規模東京大空襲(死者10万人超)が起きた日でもある。「ながい旅」を思い出したのはそれも理由だったのだが、「読み直す」というのはどうも勘違いだったようだ。内容のほとんどが覚えていないことばかりだった。ルメイが、この書の最初の章にも出てくる。
「B29による空襲は、サイパンのB29爆撃司令官が、軍事工場目標主義のハンセルから、ヨーロッパの無差別爆撃の指導者ルメイに交代したことによって様相を一変する。昭和20年2月19日の東京空襲から、夜間の焼夷弾爆撃中心になった」
さらにルメイの果たした役割について次のような記述もある。「名古屋は3月12日以来、多くの悲惨な記録があるが、最も犠牲が大きかったのは、5月14日の名古屋市北部の絨毯爆撃、6月9日の熱田区千年船方の愛知時計電機、(以下一部略)の爆撃であった。それまでに東京、名古屋、大阪、神戸の軍需工場および都市の大部分は爆撃によって壊滅していた。ルメイは夜間攻撃の高度を1800~1500メートルに下げ、命中の精度の上昇を期していた」
岡田資・東海管区司令官の怒り
岡田・元中将と多数の部下を裁いた横浜の連合軍軍事法廷で裁判が始まったのは1948年3月。「ながい旅」によると裁判開始に先立ち、岡田・元中将は「米軍弁護士と初会見の機に」と題する「覚書」を書き、その中で次のように主張している。
「本件に関しては予の部下は予の命令あるいは予の意図を奉じて行動せるものだ。従って全責任は予にあり」。このようにまず責任を一人で被る意思を明確に示したうえで、「罰の軽重は問題とならぬが、願望がある」として記した中の一つに次のよう記述がある。
「吾人は惨たる無差別爆撃下に辛うじて自ら生き、最大の努力をもって本件を処理したのだ。吾人以外誰人を其衝に当てるも、あの状況下では吾人以上適法の処理は出来ざりならんと信ず。否、当時吾人の上下左右は一層の憤激に満ちたれば、吾人の行動に反対する物は皆無であったと信ずる。神の法廷で吾れ再び裁かるるの日、褒められはせぬかも知れんが、甚だしく叱られはせぬと確信する」
この主張は、2カ月後、岡田・元中将だけに絞首刑、部下はすべて死刑を免れる判決が出るまで、法廷での証言で揺らぐことはなかった。一方、米軍の無差別爆撃に対する追及は名古屋で自ら経験したことに留まらない。「ながい旅」は、名古屋での爆撃前に米軍が東京の住民たちに行った爆撃についても、岡田資・元中将が法廷で次のように非難したことを明らかにしている。
「一夜のうちに10万近い死者を出した3月10日の東京爆撃が、まず爆撃予定地域を包囲的に爆撃炎上させ、さらに幾つかの爆撃地区に分割し、住民がそこの地区から逃げ出さないように、焼夷弾、小形爆弾、機銃掃射をまぜて全員殺りくを意図したという残虐な方法だった」
さらに最終章「後記」には、大岡昇平が岡田・元中将の遺稿から引用したという次のような言葉が記されている。「敗戦直後の世相を見るに言語道断。何も彼も悪いことは皆、敗戦国が負うのか? 何故堂々と世界環境の内に国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫もまた重大なる戦因なりしことを明らかにしようとしないのか?」
許されない攻撃に結果責任を
一方的に侵攻した側が「攻撃はしていない」(ラブロフ・ロシア外相)といった主張を変えようともしないウクライナ情勢を見続けながら、かつて国際原子力機関(IAEA)に勤務し、今は大学に籍を置いているA氏と何度もメールのやりとりをした。中東では過去に原子炉が攻撃された例がいくつかあり、1987年にイラクの戦闘機がイランで建設中の原子炉「Bushher2」を攻撃し、10人の死者を出すという事態も起きている。氏はIAEA勤務時や帰国後、イランを訪れ「Bushher2」も視察している。
ウクライナでロシアの攻撃が原子力施設にまで拡大している現状をA氏はどう見ているのか。氏の答えは明快だ。「人道上許されない攻撃をした国と個人に責任を取らせるために、戦勝国か敗戦国かを問わず、また条約がなくても『結果責任を問う』形を慣例として定着させる必要がある」
具体的には「賠償責任を課してもこれらの国・個人は払わないだろうから、凍結した資産を賠償に充てるなどの手立てがいる。結果に基づいて責任を取らせるためには、ICT(情報通信技術)を活用して、だれがやったかを追跡し、記録しておき、個人にも賠償責任を課すようにしていく必要があろう。後で大変な債務を負うことになると知っていれば、攻撃も躊躇が出てくるだろう。そうしないと国際協定や条約など気にしない国々にブレーキをかけることはできない」。新たな協定をつくれば済むような話ではない、ということだ。
期待されるIAEAの役割
「ウクライナに攻撃はしていない」というラブロフ・ロシア外相の発言は、トルコ外相が仲介して10日にトルコ国内で開かれたロシア・ウクライナ外相会談に記者団に明らかにされた。この発言に象徴されるように、この会談では成果がなかったという報道がもっぱらだ。国連安全保障理事会の場などでも、ロシア代表と多くの国の主張は全くかみ合わない状況が続く。ウクライナで進行中の事態にロシア以外の国々や国際機関が緊急に対応すべきことはないのか。A氏は国際原子力機関(IAEA)の役割を重視している。ロシア・ウクライナ外相会談に併せてグロッシIAEA事務局長がトルコに飛び、ロシア、ウクライナ外相とそれぞれ、ウクライナの原子力施設の安全・保障について話し合った動きに注意を促す。
A氏が今後IAEAに期待することの一つは、ロシア軍がすでに制圧し、ロシア国営原子力企業「ロスアトム」の管理下に置かれたと伝えられるザポロジエ原発に対するIAEAの積極的な介入だ。同原発はウクライナ南部のドニエプル川に面した場所にあるが、川のすぐ上流にある巨大ダムをもしロシア軍が電力インフラ破壊を理由に攻撃して崩壊させたりすると、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震のように津波となって冷却設備あるいは電源系を破壊しザポロジエ原発に大変な被害が出る可能性が高い。このダムの決壊がどのような事態を招くか懸念するウクライナは、以前から影響を調べる研究を進めており、A氏自身、この研究に接したことがあるという。ロシアにダムが決壊した場合の危険性をきちんと伝え、攻撃をさせない役割をIAEAが果たすよう求めている。
映画「明日への遺言」の訴え
「ながい旅」の主人公、岡田資・元中将が処刑されたのは、1949年9月17日。「何も彼も悪いことは皆、敗戦国が負うのか」と、遺稿の中で岡田資が厳しく問いかけたのと変わらない状況が今、ウクライナでも進みつつあるのではないだろうか。「ながい旅」を原作とする映画「明日への遺言」が、岡田・元中将処刑の59年後、原作発行16年後の2008年に公開されている。この作品の監督(脚本も)は、小泉堯史氏。黒澤明監督最後の弟子ともいえる小泉氏は、当時、デビュー以来、「雨あがる」(2000年公開)、「阿弥陀堂だより」(2002年公開)、「博士の愛した数式」(2006年公開)と3作続けて高い評価を得た作品を世に出していた。
「明日への遺言」は、これら前作とは内容がだいぶ異なる。小泉氏は黒澤監督同様、脚本も自分で書き、さらに自身の作品についてあまり語らないのも黒澤監督譲りだが、あらためて映画化を思い立った理由を聞いてみた。
「私の中の日本人」(新潮社1976年発行)を読んだのがもともとのきっかけという。多くの文学者がそれぞれ共鳴する日本人一人を選んで書いた雑誌の連載記事を集めた本だが、この中で大岡昇平が執筆していた人物が岡田資・元中将。初めて岡田資という人物を知って、強くひかれた。さらに自身の体験を重視する作家として高く評価していた大岡昇平が、岡田・元中将を主人公にした小説「ながい旅」を書いたことで映画化を強く願ったという。
しかし、「明日への遺言」は、当時、多くの日本人にとってはあまり関心を引きそうもない過去の話とみられたのだろうか。映画化の話がなかなか進まず構想から実現までに10年ほど要した。それまでの小泉氏の作品同様、映画興行成績は良かったものの、評価は前3作品とはだいぶ異なったという。「大岡昇平にぜひ見せたかった」と、すでに亡くなっていた原作者と親しかった作家から称賛された一方、「日本の軍人によい人間などいない」と映画化自体に批判的な批評など評価ははっきり分かれた、ということだ。ロサンゼルスで特別上映したときの反響も、この作品の奥深さを裏付けるものとして興味深い。米軍が日本で大量の市民を犠牲にした爆撃を行っていたことを初めて知ったという多くの米国人観客から好意的な評価を受けた、という。
子供まで徹底抗戦の意思を示している今のウクライナ国民の心情、行動は、人間としてはむしろ普通なのではないか。太平洋戦争中の多くの日本人と共通するものも多い。一方、戦争を武力以外の手段で終わらせるのは困難なのが現実。こうした見方を示したうえで小泉氏は、「ながい旅」や「明日への遺言」にこめられた主張が今、人々にどのように受け入れられるかに関心を持っていることを明かした。
国連憲章第107条の影響は?
人道上許されない攻撃をした国と個人には、戦勝国か敗戦国かを問わず結果責任を負わせる仕組みが必要とするA氏の提言や、大岡昇平や小泉堯史氏の作品にこめられた主張や批判が、ウクライナで進行中の状況とどのように関連するだろうか。戦争犯罪とは何かという論争を引き起こすだろうか。岡田資・元中将の処刑前にすでに発効していた国連憲章の第107条を読みながら考えこむ。
「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり、または許可したものを無効にし、または排除するものではない」