遊説中に安倍晋三元首相が暗殺されるという衝撃と重なった参院選挙は、さまざまな意味で政治の転換を促すことになるだろう。
果敢なリーダーシップ
安倍氏は改憲、防衛力増強や積極財政、金融緩和などの持論で、党内世論を引っ張ったが、参院選では、参政党、NHK党など右寄りの政党が進出した。自民党に満足できない急進保守層ともいえるので、日本全体を右に傾斜させるのではないかという懸念も生まれた。立憲民主党は連合などと一体となった陣営の立て直しが急がれる。
岸田文雄首相は今のところ、党内調整に気を配るあいまい路線に見えるが、大事なことは安倍政治の遺産を引き継ぐのではなく、多くの有権者の意見を聞きつつ、直面する課題に果敢にリーダーシップを発揮することではないか。
金融危機の回避
政治の使命は何よりもまず国民生活の安心、安全を守ることにある。その中で今、国際金融問題は、極めて大事な時期にきているといわれる。岸田政権にとって大きな脅威は、世界的インフレが日本を襲い、これまでの金融政策が破綻するシナリオである。多くの国民は憲法改正よりも、今はこうした経済や物価、コロナ、雇用不安などに不安を感じているのではないか。今は国民とじっくり憲法の議論をしている時にふさわしいように思えない。ただ与党の一部から憲法73条の首相の職務権限に、防衛省と書き加えるだけならすぐにも足並みがそろうという見方もあるが、改憲問題は別の稿で触れることにしたい。
欧米各国の金融当局は、インフレ対策のために金利を引き上げ始めている。しかし、日本では金利を引き上げる選択肢はないとしている。金利が上昇すると国債の利払い費が増えて、財政赤字がさらに拡大するからである。もっとも財政赤字の約1000兆円は、財政当局が毎年、自民党の要求を入れて積み上げてしまったという経緯があるが、金利が上がれば国債価格は下落し、日銀は500兆円以上の国債を保有しているので、巨大な含み損から債務超過に陥り、紙幣が信認を失いかねない。
そればかりか、今の物価上昇率は、金融緩和政策の目標の2%を超える勢いにあり、異次元金融緩和は続けるかどうかもある。黒田東彦日銀総裁は、円安は良いことだとして異次元金融緩和を続ける意向だが、一方ロシアのウクライナ侵略以来、世界的に資源や食糧価格が高騰を続けており、日本は円安と重なって消費者は大きな負担を強いられている。
異次元金融緩和は、2013年に安倍政権が始めて以来、日銀は巨額の国債を買い続け、低金利政策で円安を誘導してきた。その結果、輸出企業は大きな利益を得たが、内部留保や自社株買いに利益は向けられ、賃上げや設備投資、雇用拡大、格差の縮小などにはつながっていない。看板だったトリクルダウン現象(富が富裕層から低所得層に向かって徐々に流れ落ちる)も失敗と言われる。
1930年代と似た状況
前途が不透明な時は歴史を紐解けという教えがある。日本の大きな転換点になった1930年代は、現在と似た状況といわれる。駆け足で振り返ると、浜口雄幸内閣は金本位制を導入する。第一次世界大戦で戦勝国側だった日本は、好景気になったが反動ですぐに景気が悪くなる。そこに世界恐慌が起きて、欧米は金本位制を中止するが浜口内閣は続けた。景気はさらに悪くなり銀行や商社が倒産し、農村部では日本の外貨を稼いでいた養蚕が打撃を受け、女の子を売りに出すという窮状になる。義侠心にかられた右翼の青年たちが、政治家や経営者が悪いとばかりに金解禁を続けた浜口首相(前蔵相)、井上準之助前蔵相、そして経済界の指導者、団琢磨ら要人を次々に殺害。2・26事件へと続き、日本の政党政治、議会政治は崩壊し軍部は大陸での戦争に突入していくという経緯をたどる。
後藤田正晴元副総理は、当時、中学生だったが、「人々はテロが起きるたびに拍手喝采しているようだった。それほど不況は深刻だった」と語ったことがある。「秀才事を誤る。誤っても責任をとらない」とは東洋の古典にある言葉だが、歴史の転換点に立って岸田首相をはじめ政府、金融当局の責任者は注意には注意を怠ることなく、慎重の上にも慎重なかじ取りを期待したい。
旧統一教会との関係
テロというと、背景に政治団体や軍部による挑発などがつきものだが、今のところ今回は個人的な怨念のようである。政治家は多くの人に会う職業だと言われるが、旧統一教会、勝共連合などの一連の組織は、疑惑の存在だったことも広く知られていた。
こうした団体の会合に一国の首相経験者が祝辞を述べるというのは異例だ。自民党議員の中には積極的に関係を公表する議員も出ているが、開き直っている感じもする。安倍氏でいえば、祖父の岸元首相以来、同団体と長い交流が続いていたのはなぜか。どういう窓口で接触が行われていたのか、利益供与などはなかったかなど、捜査当局の解明が待たれるが、メディアの発掘力も期待されるところだ。
長期政権、数多くの外国歴訪、対米接近外交など評価されるが、「国葬」と決まっていささか驚いたのは、森友学園をめぐる公文書改ざん、加計学園、「桜を見る会」問題、統計偽造、北方領土2島返還方針などの疑問点はまだ十分説明されていない。岸田政権にはこの疑問に応える必要があるのではないか。
ある県の知事が、財務省の公文書改ざん問題で自死した赤木俊夫(近畿財務局職員)氏について、「行政に信頼や信用があるとすれば、赤木さんのような人々の努力が支えてきたものです」と言ったが、この言葉は重い。
「小異を棄てて大同につく」
国会議員の第一の任務は、法律や政策を作ることにあるので、野党の多党化現象について、別の面から少しつけ加えたい。多党化は有権者の公正な選択だから尊重しなければいけないが、ただ少数野党はメディアで時に話題になっても、国会の舞台で活躍の機会がそれほどあるわけではない。
例えば国会法56条には、法律案を国会に提出するには、衆院では20人以上(参院では10人以上)の賛成者が必要だ。予算を伴う法律案になると、衆院は50人以上(参院は20人以上)の賛同者が必要となる。したがって国民のためになるいい法律を作っても、20人以上の同調者がいないと日の目を見ることはない。「数は力なり」の国会では、小異を棄てて大きくまとまることが大事になる。
繰り返しになるが野党の本来の責務は、議員を増やして政権与党に対して、民意に沿った、より望ましい政策、指針を示して政権にとって代わることにある。そのためには、日本の進むべき針路を大きく示して、国民の理解と期待に応えながら、現行政権に優る施策を絶えず示していく不断の努力が欠かせない。立憲民主党は中長期の目標、「公平な税制と再分配で格差と貧困の少ない社会」を示したが、岸田首相の「新しい資本主義」と同じで、まだ肉付けが不十分である。
「提案型」と「追及型」の二刀
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する」といった英国の政治学者で政治家だったジョン・アクトンの名言は、権力の本質を突いたものとして知られるが、同時に野党の監視役としての大事な役割を喝破した言葉でもある。
国会事務局の調べでは、安倍元首相の森友問題に関する国会答弁には108回の虚偽が指摘された。与野党審議の舞台でこの事態が許されたこと自体、野党は非力の責任を感じるべきである。
野党は「何でも反対の野党」と烙印されるのを嫌い、現実的な施策を提起する提案型政党に脱皮しつつあるが、その分、批判力が弱くなったといわれる。野党には政治の現状認識と的確な批判力が欠かせない。それがあるからこそ国民は内外の情勢への理解が深まり、政府や官僚機構にも緊張感が生まれる。繰り返しになるが「政策提案型」も大事だが、野党である限り、政治、経済のすべてについて税の使い方が適正か、税の無駄遣いはないか、天下りはルーズになっていないかなど、チェック、監視することが大事だ。巨大な政権党の近くに野党大きな塊がいることだけで、無言の圧力になるといわれる。
野党は党内外から専門的な人材を集め、世論の要望も収集し、多彩なブレーン機能を備えて国民の意向を汲んだ政策を練り上げることが急がれる。政権奪取を言いながら、政権にすり寄る野党もあるが、お天道さまと世論は見るところはちゃんと見ているはずだ。
「何でも反対の野党」などと揶揄されて、ひがむ向きもあるが、政府提案の法案に対する各党の賛成率を見ると、立憲民主党は79・5%、維新は86・8%、国民民主党は82,2%、共産党も53・4%賛成している。何でも反対党どころか共産党も含めて政府提出法案の半分以上は賛成している。プロパガンダに脅されてはいけない。野党の責務とは少しでも大きくまとまること、追及型と提案型の双方を鍛えて、目の覚めるような国会論戦を期待したいところである。