反国策捜査のすすめ このままでは「秋霜烈日」のバッジが泣く

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 新型コロナウイルスの感染拡大のかげで進む、安倍晋三政権による黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題は、政権が自分たちの利益を守るために「そこまでやるのか」という”一強支配”の恐ろしさを改めて国民にみせつけた。内閣人事局をつくって約600人のキャリア官僚の首根っこを押さえ、「忖度」や「公文書の改ざん」すらさせる安倍政権。日銀、内閣法制局、NHKと本来は「独立性」の高いはずの組織のトップの人事を次々と思うがままに操る。そして、その集大成として政権はついに、総理大臣でも逮捕・起訴する権限を持つ検察庁のトップ人事に露骨に介入してきた。

検察の危機

 22月19日に開かれた全国の検事長や検事正を集めた「検察長官会同」。2月24日の週刊朝日(AERA dot版)によると、今回の問題の当事者の黒川東京高検検事長、林真琴名古屋高検検事長や稲田伸夫検事総長、森雅子法相が居並ぶ中で、神村昌通静岡地検検事正が挙手して、黒川氏の定年延長を念頭に法務大臣が発することのできる検察庁法の「指揮権発動」の条文を読み上げたあと「今回のことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている。この人事について、検察庁、国民に丁寧な説明をすべき」と発言した。東京地検特 捜部OBの郷原信郎弁護士や若狭勝弁護士らは雑誌やブログで今回の問題を 「検察の危機」ととらえて政権を批判する発言をしているが、現役幹部としては、極めて異例な勇気ある発言といえる。

 私は1976年に米国で発覚したロッキード事件の前後約5年間、共同通信社会部で検察を担当した。あのとき、後に“ミスター検察”といわれ、事件の主任検事だった吉永祐介氏(故人、後に検事総長)は、「世論や国民がわれわれを支えている」と常々、漏らしていた。良い悪いは別にして、当時の検察とメディアの記者は、「巨悪を許さない」という一点で一致していた時代であったと思う。法曹三者の中でも、特に検察官を選ぶ人たちは「巨悪を許さない」 「正義の実現」への意識の高い人が多いと思う。副検事を含め約2800人の現役の検察官はこの問題でもっと声を上げてほしい。

奥の手

 「秋霜烈日」(しゅうそうれつじつ)バッジ。裁判所の法廷に行くとよく見かけるが、検察庁HPによると、検察官が上着の襟に、紅色の旭日に菊の白い花弁と金色の葉があしらったバッジを付けている。その形が霜と日差しの組み合わせに似ているところから、厳正な検事の職務とその理想像が相まって、検察官のバッジをこう呼ぶのだそうだ。さらに、同HPには、「検察の理念」というページがあり「権限の行使に際し、いかなる誘引や圧力にも左右されないよう、どのような時にも、厳正公平、不偏不党を旨とすべきである」と書かれている。 その理念が政権により真っ正面からないがしろにされようとしている。今回の人事の政権の目的には、トップ人事に介入することで、検察を意のままにすることもあるだろう。しかし、本当の目的はIR汚職の拡大や河井克行前法相の妻で案里参院議員の選挙違反事件の捜査、「桜を見る会」をめぐり、市民団体が公職選挙法や政治資金規正法違反で告発のことが頭にあるのではないか。検察は法と証拠に基づいて、国策捜査ではなく、国民目線に立った「反国 策捜査」を進めてほしい。このような事態に黙っていては、「秋霜烈日バッジ」が泣く。

 閣議決定による法律の一方的な「解釈変更」は、集団的自衛権の行使容認のときと同様、このところ乱発が続く政権の常套手段手口だが、このときもかなり強引ではあったが、一応、国会の審議を経たうえでのことだった。今回は突然というか、いきなり政権が2月8日の黒川東京高検検事長の63歳の定年直前の1月31日、検察庁法で検事総長65歳、その他の検察官の定年を63歳と定めているにもかかわらず、一方的に国家公務員法にある「勤務延長」の規定を使って黒川氏の定年を延長した。これは法務・検察官僚として、いわゆる「共謀罪」法案などでこれまでさまざまな形で政権に気を遣い、メディアで「政権の守護神」ともいわれる黒川氏を検事総長にするために政権が編み出した「奥の手」と見てよさそうである。

法の支配破壊する政治

 安倍首相は2月13日、衆院本会議で黒川氏の定年を延長する閣議決定に際し、検察官の定年は適用外とする国家公務員法の解釈を変えたと明言。さらに、2月17日には黒川氏の検事総長任命は可能とするという答弁書を決定した。新聞報道などによると、昨年11月、稲田検事総長は黒川氏の同期の林名古屋高検検事長を次期検事総長との意見をまとめたが、官邸に拒否され、 同年暮れに官邸は稲田総長に勇退を打診。1年以上の任期を残す稲田氏はこれを拒んだという。そこで安倍政権は、黒川氏が2月8日に63歳の定年を迎えてしまうため、ギリギリの1月31日に定年延長の閣議決定に持ち込んだというわけだ。

 2月26日、衆院予算委員会が開かれたが、森雅子法相は野党の追及につじつまの合わない答弁を繰り返し、国会は紛糾している。法律上、一般法である「国家公務員法」よりも特別法である「検察庁法」が優先するという原則がある。検察庁法には、定年延長の規定はなく、国家公務員法に定年制を盛り込んだ1981年、人事院は「検察官はすでに定年が定められており、国家公務員法の定年制は適用されない」と国会答弁している。また、検事総長を務めた伊藤栄樹氏(故人)はその著書「逐条解説検察庁法」の中で「検察官の定年は職員の特殊性に基づき、国家公務員法の影響を受けていない」と述べている。場合によったら、総理大臣をも逮捕・起訴できる強力な権限を持つ検察官が時の政権の意向に左右されてはならない。

 行政権に属しながらも、「準司法機関」として司法と密接なかかわりがある検察の独立性、公平性、中立性は検察の根幹である。「眠れる検察」といわれても仕方がない「モリカケ問題」での検察のふがいなさ、さらに日産ゴーン事件でも国際的に日本の司法の恥をさらす形となった「人質司法」など、検察のあり方には数々の問題があることは事実である。しかし、検事総長の人事はこれまで、検事総長が選ぶという慣例になっており、これがその「独立性」を担保してきた。この慣例を破って政権にとって都合のいい人物を選ぶことは、「法の支配」や「法治国家」を政権自らが破壊する行為であり、到底許されるものではない。3月3日午前、広島地検は河井前法相の議員秘書らを公選法違反容疑(買収)で逮捕した。これが何を意味するのか・・・。