トランプ氏は米大統領選挙で勝ったのは自分だとする根拠なき主張の上に「再び不正選挙を許さないため」と称して州選挙法を共和党により有利になるよう改変するキャンペーンを推進している。民主党はこれに対抗して、正攻法の誰もが投票をよりしやすくする連邦法を議会に提出し、次の政権争いの前哨戦が始まっていた。そこに連邦最高裁が7月初め、アリゾナ州で成立した州法を合憲とする判決を下したことで、両者の対決はたちまち本番の様相を呈してきた。
最高裁判決の衝撃
トランプ共和党の州選挙法改変は2本建てになっている。民主党支持が圧倒的に多く、昨年選挙でバイデン当選の決め手になったとされる黒人やヒスパニック(ラティノとも呼ばれる中南米系移民)、先住民族(いわゆるアメリカインディアン、イヌイット)が投票をしにくくするように投票規則を厳格化する。
具体的には、顔写真付きの身分証携行を義務付ける、郵便投票と期日前投票の条件もあれもこれもと増やし期間も短くする、居住地以外での投票を禁止、投票函の設置場所を大幅に減らすなどだ。住居や勤務先などの交通の便は悪いしマイカーも少なく、生活条件のほとんどで白人より劣っている少数派の投票を、より不便にするものばかり。人種差別があからさまである。
既に48州で大小合わせると400件近い法案がそれぞれの州共和党から州議会に提出され、17 州で28法が成立したと報道されている。最高裁はそのひとつ、アリゾナ州法について(少数派の)投票に不都合な状況が起こることを認めながら、公開された博物館に行くにも都合の良し悪しはありえるので差別とは言えないと判断した。判事の顔ぶれはトランプ大統領時代にルール無視の指名権行使で保守派多数で固められていた。保守派6人が合憲、リベラル派3人が違憲と主張した。
現状の選挙法の下でも、昨年選挙では黒人居住者の多い地域では投票所が少ないために、5〜6時間も行列待ちさせられたなどの不満が数多く報道されている。ニューヨーク・タイムズ紙(国際版)は、投票権行使を博物館行きと並べるのは酷すぎると批判した。
アリゾナ州のほかジョージア、ペンシルベニアなど2016年、2020年と大統領選挙が接戦となった6州のうちバイデン候補が勝った5州の票差は数%。だからトランプ氏がこうした訴訟を起こしているのだ。
「歴史ある党」からカルト集団に
連邦最高裁判決が共和党の州法書き替えを勢いづけることは間違いない。バイデン大統領以下、民主党はにわかに危機感を深めることになった。投票規制強化が実際にどの程度、民主党票を減らす効果があるかは分からない。身障者、病人などへの影響は共和党にも同じようにおよぶだろう。だが、敵をつくって敵対心を煽り、内部の批判勢力を封じ込めて組織を固めるとともに、外部の敵を徹底的に叩くーこれがトランプ流の政治手法である。
ホワイトハウスに居座ることはできず、ツイッターからも閉め出され、影響力低下をささやかれたトランプ氏だった。だが「盗まれた選挙」(民主党は大嘘と呼ぶ)に加えて、1月6日の議事堂襲撃事件は選挙の不正を正すための平和的請願行動だった、暴力化させたのは左翼の陰謀という新たな「大嘘」を付け加え、さらに「再び不正選挙を許さない」という「大義」を掲げた州選挙法改変キャンペーンを通して、共和党支配を固め直した。
共和党は「偉大な歴史ある党」(GOP-Grand Old Party)と呼ばれる。しかし、トランプ氏が「虚偽」の上に「虚偽」を積み重ねるうちに極右・白人至上主義や陰謀論グループなどの過激な勢力の影響力が強まって、トランプ党の色合いがますます濃くなっている。いまやカルト集団だとみるメディアも出ている。
「選管」権限を政党に
米国の選挙は州政府長官(州民の投票で選ぶ)の下に置かれている選挙管理委員会が選挙の実施、開票、集計の管理から投票結果の監査・承認の権限を担っている。米国では有権者は民主党か共和党かの党籍ないし中立(無所属)を登録することを求められている。選挙管理委員会はこの党籍のバランスをとって構成される中立機関で、選挙経験を積んだプロ職員が実務に当たっている。選挙の結果は同委員会が監査・承認すれば知事の署名を経て州議会に送られて認証を得る。
トランプ氏が投票規則の厳格・複雑化と合わせて狙っているのが、この選挙結果の監査・承認の権限を選挙管理委員会から奪って多数党が支配する州議会に移すことだ。トランプ氏は大統領のとき省庁の監査報告書に批判されると直ちに監査局長を解任している。監査とは権力に奉仕するものと考えているようだ。
トランプ氏は接戦州の開票終了を待たずに「不正投票」と声を上げて、共和党員の州議会や政府幹部、さらに選管委員にまでに選挙結果を認めないよう圧力をかけた。各州選挙管理委員会は繰り返し再集計を求められたが結果は変わらず、州議会もその結果を認証した。議事堂襲撃というクーデター未遂事件でもそれを覆すことはできなかった。この敗北がトランプ氏を「選管乗っ取り」に走らせたと思われる。
共和党が州議会と知事を握れば選管を手に入れることになる。選挙で負けても勝ったと虚偽承認する可能性が開ける。この争いもいずれ法廷闘争持ち込まれるだろう。相争う2つの政党のどちらかに監査・承認をゆだねるというとんでもない法律を、いかに保守化したとはいえ最高裁が認めるとは思えないのだが……。そんな事態が心配される接戦州では、早くも選挙担当のベテラン職員が辞意を漏らしているとの報道もある。
1965年投票権法を骨抜きに
トランプ氏の強引な選挙法改変は決して思い付きではない。背景には黒人差別・白人至上主義者の執念の歴史がある。
南北戦争後の1869年、人種差別による投票権の差別を禁じる憲法修正15条が成立した。これは原理をうたっただけだったので、白人至上主義勢力が解放奴隷に人頭税や学力テストを条件にしたりして選挙権を与えず、黒人は隔離という新たな差別に閉じ込められた。96年後の1965年、公民権運動の高まりによって、公民権法に続き投票権法が生まれた。歴史的な成果とされている。
同法は具体的に人種差別を禁じ、投票権行使に影響がでる州法改定には司法省の事前承認を必要とする条項がつけられていた。48年後の2013年、同法をめぐるアラバマ州と司法省の係争について、最高裁が人種差別を認定する基準が時代に合わなくなったとの理由で、事前承認条項まで一緒に違憲とする判決を下した。
「歯止め」が外されたことによって共和党保守派は、再び少数派投票権の抑圧を狙って動き出すことになった。テレビのリアリティ番組のホストで、執拗にオバマ攻撃を続けていたトランプ氏はこの流れに乗って、3年後に大統領選挙に出馬した。黒人やヒスパニック(南米系移民)移民を公然と差別した現職大統領は他にいない。
両党の強みと弱み
トランプ氏は2024年大統領選挙に出馬するのか、まだ公にしていない。だが、選挙法改変キャンペーンが1年3カ月後の中間選挙(連邦議会や州知事・議会選挙など)で議会を取り戻し、続く大統領選につなげようとしていることは明らかである。
昨年の議会選挙の結果、州議会上院・下院の多数と知事を独占したのは、共和党が2つ増やして23州、民主党は変わらず15州、ねじれたのが2つ減って12州だった。上下院別に過半数を取ったのは、上院は共和党32州、民主党18州、下院は共和党30州、民主党19州(1州は同数)。知事選は11州で行われ、共和党が1州を民主党から奪って合計27州、民主党が23州になった。
この数字は州別に見た勢力争いで共和党が民主党を圧倒していることを示している。10年ごとの国勢調査に従って行なわれる議員選挙区の調整で、議会を握る共和党が自党に有利に線引きをしてきた(ゲリマンダーと呼ばれる)のが理由のひとつとされている。
米国の法体系には大英帝国の13植民地が一緒に独立した歴史から、今も州の自治権が強く残っている。選挙法が州法に任せられているのもそれだ。これがトランプ氏と共和党の強みになっている。しかし、民主党支持地域や州は北東部と西部の太平洋岸に面した大都市を中心に少数派も含めて大きな人口を持つので、大統領選では共和党をしのぐ得票力を持っている。
2000年ブッシュ、2016年トランプの両氏は当選したが、総得票数では敗れた民主党ゴア、クリントン両氏が多数を得ていた。大統領選挙の当落は各州を代表する大統領選挙人の投票で決めると憲法に定められていて(間接選挙の一種)、その選挙人の数が小さい州に有利に決められているからである。
中間選挙で米民主主義の行方に答えが
民主党の北東部と共和党の南部・中西部にはさまれる地域は工業が栄え、民主党の強固な地盤だった。だがグローバリズムに取り残されてラスト(さび付いた)ベルトと呼ばれるようになった。2016年選挙でトランプ氏が地域の苦悩と不満を吸い上げて当選、昨年はバイデン氏が取り戻し、さらに共和党地盤の2州を制して勝った。合わせて6ないし7つの「揺れる(swing)州」が2022年中間選挙でどう動くか。それは2024年の大統領選挙にも大きな影響を持つ。
米国がバイデン民主党のリベラルな多元的民主主義とトランプ共和党の白人支配の米国第一主義(米国を再び偉大な国に)のどちらを選ぶのか。あと1年余りでその答えが出ようとしている。
(7月21日記)