「虚偽」容認か「内戦」か
トランプ前米大統領の再選が不正投票で阻まれたとする主張には全く根拠はなく、2021年1月のトランプ支持勢力による米議事堂襲撃は選挙結果を覆そうとした不法なクーデター未遂事件だった。同事件を調査している米下院特別委員会がこうした結論をまとめた膨大な報告書の内容を9日から始めた同委員会の連続公聴会で次々に公表している。主要メディアには司法省がこの報告公開を受けていよいよトランプ訴追に踏み切るとの見方も浮かんでいる。だが、これはトランプ派が猛烈に反発し、内戦の引き金になると懸念されている。それを避けるとすればトランプ氏の「虚偽」を容認するしかないのだろうか。米民主主義は逃げ道の見えない重大な危機に追い詰められてきたようだ。
2,000人の証言-法の番人、身内も離反
同委員会は下院の多数を持つ民主党が主導し、11カ月にわたってトランプ政権のホワイトハウス高官、政権内外の側近、主要省庁高官、2020年選挙にかかわった連邦・州関係者など2,000人を超える証人に面接聴取した。彼らはトランプ側の人たちがほとんどだが、その多くが「不正選挙」はなかったとトランプ氏の説得に当たった、議事堂襲撃でバイデン当選をひっくり返そうとしたのは違法行為だと認識しているなどと語り、その証言を記録したビデオを流すなどして全面的に公開した。
そのなかで最も注目されたのは、トランプ政権で選挙不正があれば取り締まる立場にいた司法長官で「不正はなかった」とメディアに発言して辞任したバー氏が、改めて「不正があったなんてばかばかしい話」とこき下ろしていることだ。バー氏はそのうえで、ある開票所に不正投票を詰め込んだ大きな箱がどこからか持ち込まれた、自動投票機がバイデン票を増やすように操作されていたなど、トランプ氏と一部の側近が持ち出した「不正選挙の訴え」はすべて捜査した結果、「選挙結果を左右する」不正はなかったと説明、他の出席者もいた3回の会議でトランプ氏に選挙の不正はなかったことを認めるよう説得したと述べている。
もう一つはトランプ氏の高級顧問を務めた娘イバンカ、その夫クシュナー両氏の離反だろう。両氏も不正選挙はなかったと考えていて、イバンカ氏はバー氏の「不正否定」発言について、バー氏を尊敬していると述べて支持の立場を示している。ニューヨーク・タイムズ紙(国際版)によると、夫妻はトランプ氏が不正選挙と言い出したところで同氏と距離を取るようになり、父親とともにビジネスの拠点にしていたニューヨークを離れてフロリダに移っている。イバンカ発言が公開されたことについて聞かれたトランプ氏は、彼らはずっと前に「チェックアウトした」とだけ答えている。
司法長官・検察当局が注視
公聴会は9日に続いて13日、16日と連続的に開催、その後も21日の第4回、さらに少なくとも2回の開催を予定しているという。新聞、テレビなど米メディアは公聴会を大きく報道しており、ガーランド司法長官が、議事堂襲撃事件の捜査・訴追に当たっている検察当局とともに重大な関心をもって注視していると語ったことも報じている。
トランプ支持派最大のメディア、FOXニュースは無視。トランプ氏は報道のすべてが「フェイク」(でっち上げ)と攻撃していたが、20日付ニューヨーク・タイムズ紙(国際版)は、3回目の公聴会が終わったところでトランプ氏が12頁の声明を発表したと報じた。同紙によると、声明はこれまで通りの「根拠なき不正選挙」の主張を繰り返しただけとしているが、「訴追の可能性」の報道が気になっていることを示唆しているようだ。
トランプ政権の結論も「証拠なし」
トランプ氏が主張する「不正投票」の有無は、トランプ政権自体の「法の番人」だったバー司法長官(当時)によって、トランプ政権としての結論が出されている。トランプ大統領(当時)が各州の共和党を動員して起こした60件にもおよんだ「不正選挙無効」の訴訟は、最高裁判断も含めてすべて証拠なしと却下されている。トランプ派が議会を支配していくつかの接戦州では、独自に再集計をしたものの、やはり結果を覆すような不正票は発見されなかった。それでも当時の大統領だけが「不正選挙」を叫び続けて政治活動を続けている。米国はもう「法が支配」する民主主義の国ではなくなったといわれても仕方がないのではないだろうか。
議事堂襲撃事件については、米連邦捜査局(FBI)などの捜査機関が既に、デモ参加者の中の600人を暴力行為や建造物侵入などの罪で起訴していて、武装デモを率いた極右、白人至上主義、陰謀論者の団体のリーダー10人余りは反乱・共謀の重罪で訴追している。
これらはすべて詳しく報道されてきたし、主要な米メディアはさらに優れた調査報道によって「トランプ虚偽戦略」の内側を描き出している(『Watchdog21』2021・10・22拙稿「トランプ・シナリオが判明」など)。
民主党に暗鬱な危機感
しかし、トランプ氏はこうした報道はすべて「フェイク・ニュース」と切り捨て、「不正選挙」という「大嘘」(民主党はこう呼ぶ)を再び許さないためにとの「嘘」を積み重ねて、両党が競り合いになる州で民主党支持が多数を占める黒人や先住民族、ヒスパニック(中南米系)などの少数派の投票を抑圧する州選挙法の改定を進めるなど、政権奪還戦略を推進してきた。
民主党は選挙結果を認めないという前例のない攻撃に対す有効な反撃ができず追い詰められている。11月の中間選挙で上下両院で大きく議席を失う可能性は高いと見られており、2024 年大統領選挙では共和党候補(トランプ再出馬が有力)はたとえ敗れてもまた「不正投票」を持ち出して、共和党の権力独占の時代が始まるのではないかとの暗鬱とした危機感が漂う状況にある。下院特別委員会報告書の連続的公開には、トランプ訴追という「切り札」を司法当局に発動させるしか、民主主義を守る方法はないとの切迫した期待が込められているとみて間違いない。
動くか・・・慎重な司法長官
しかし「法の番人」の総元締めである司法省のガーランド長官は、トランプ訴追には極めて慎重な姿勢を取り続けてきた。トランプ氏は前大統領で、しかも現政権と激しく対立している。トランプ訴追はトランプ派からは「政治捜査」の非難が突き付けられるのは間違いない。ガーランド氏と共和党の間にはもう一つ、ある因縁が絡んでいた。
ガーランド氏はオバマ大統領のもとで、退職したリベラル派最高裁判事の後任の指名を受けた。承認権限を持つ上院の多数を握っていた共和党は、11カ月もの前例なき長期の審議拒否でオバマ大統領の任期切れ退任を待った。次のトランプ大統領はガーランド氏に代わって保守派判事を送り込んだ。バイデン氏はそのガーランド氏を司法長官に据えた。
2020年9月18 日最高裁リベラル派判事が亡くなった。大激戦となった大統領選が11月3日に迫っていた。こうした状況では後任人事は選挙戦の勝者(次期大統領)に委ねるのが慣例。だが、トランプ氏は大急ぎの駆け込み人事で保守派判事を指名、共和党多数の上院が承認。
トランプ氏は1期4年間で3人の保守派判事を送り込んだことになり、そのうち2人はリベラル派減らしに大きく貢献し、保守対リベラルのバランスが6対3とかつてない極端な差になった。リベラル対保守の分断がますます進んだ米国では、人種差別問題や人工中絶などで最高裁判決が党派対立に及ぼす影響がますます大きくなっている。
司法長官は閣僚の一員ながら「法の番人」として、政権の利害には中立を堅持することが求められている。50年前の大統領の犯罪「ウオーターゲート事件」ではニクソン大統領が身を守ろうとして司法長官を入れ替えて批判され、その効なく辞任に追い込まれている。ガーランド長官には、トランプ氏が絡むこのいきさつも「政治捜査」に慎重になる理由になっていると思われる。しかし、トランプ氏のメンタリティを推察すると、当局の捜査が及んでも自分が指名した保守派判事が3人もいる最高裁が悪いようにはしないと思っているかもしれない。