2020年大統領選で投開票集計機の不正操作によって選挙結果が盗まれたとするトランプ前大統領の主張を広められて、名誉を傷つけられ多大の損害を被ったと集計機メーカー「ドミニオン・ボーティング・サービス」が大手テレビ局FOXニュースを訴えた裁判が和解で決着した。トランプ氏の主張を「明白な虚偽」と認め合ったうえで、FOXが7億8750万ドル(約1055億円)という史上最高の賠償金を支払う。トランプ氏の有力パートナーの実質的敗訴である。同じ訴えを受けて進行中のいくつもの裁判にこの和解モデルが波及して、大統領選で再選を目指すトランプがじわじわ追い詰められることになりそうだ。
「裁判攻勢」の始まりか
FOXニュースは和解発表から1週間後の24日トランプ支持層の人気番組司会者T・カールソン氏を、理由を示さないまま解雇した。28日付ニューヨーク・タイムズ紙国際版は同社の有力者から得た情報として、カールソン氏が議会襲撃事件をバイデン政権の陰謀とみるなど、そのトランプ氏支持が段々と昂じてFOXニュースに重大な打撃を及ぼす恐れが出てきたからだと報じた。
ドミニオン社は他にもトランプ氏側近の法律顧問およびトランプ氏を担ぐニューズマックス、ワン・アメリカン・ネット、極右・白人至上主義・陰謀論系の小規模テレビ局を同じように訴えている。同社最高経営責任者(CEO)のJ・ポウロス氏は今後の裁判では公の謝罪(放送、声明など)も認めさせたいと語っている(4月24日ニューヨーク・タイムズ紙国際版)。
ドミニオン社と並んで2020年大統領選で投開票集計機を供給したスマートマティック社も同じようにFOXニュースやトランプ政権高官らを提訴している。今回の和解成立はトランプ氏の「虚偽」戦略を脅かす裁判攻勢の始まりに過ぎないようだ。
「根拠なし」を知りつつ報道継続
FOXニュースとの裁判(デラウェア州最高裁)でE・デービス判事は審理準備のため双方から主張を提出させ、これを基に論点を絞ったうえで審理開始と決めた4月18日に突然、和解成立が発表された。米メディアの報道によると、デービス判事は論点整理のなかで集計機操作による「不正投票」はなかったことは「はっきりしている」と認定して論点から排除した。根拠はなくてもトランプ大統領(当時)が「不正投票」と主張していることは報道する価値があり、その報道は「報道の自由」の保護を受けるとするFOX側の主張も論点から外した。これでFOX側は勝訴の期待をほとんど失ったという。
FOX側はもう一つ大きな弱みを突き付けられていた。ドミニオン社はFOXニュースの首脳部やニュース番組ホストや記者たちがトランプ氏の「盗まれた選挙」の主張をどう受け取り、どう報じたかについてメールや通話記録などFOXニュース内部資料を独自に入手して裁判所に提出した。ワシントン・ポスト紙電子版などの報道によると、判事はこれらの資料を関係者に公開、FOX側に衝撃を与えた。
米メディアによると、彼らのほとんどは「選挙を盗まれた」とするトランプ氏らの主張を「バカバカしい話」「頭がおかしいのではないか」などと信用せず、ごく少数がそうした「陰謀」の可能性は捨てきれないと受け取っただけだった。それでも「根拠なき主張」をニュースとして流し続けた。その最大の理由は競争相手のニューズマックス、ワン・アメリカン・ネットがどんどん報道しているので、手をこまねいている視聴者を奪われるという心配だったという(「Watchdog21」3月8日拙稿参照)。
FOXニュースはこうして以後2年半にわたって「嘘(うそ)」と知りつつトランプ氏の「虚偽主張」を継続的に報道してきた。この明らかにジャーナリズムの倫理を逸脱した「虚偽報道」がトランプ支持世論の形成の後押しをしたことは明らかである。だが、ドミニオン社の抗議の提訴に勝ち目なしに追い込まれて和解に逃げ込んだ。トランプ氏の主張を公に虚偽と認定した以上、トランプ氏を支持する立場からの報道を続けることは許されない。同テレビはおのずとトランプ支持勢力から離脱するしかない(注:同テレビは今後もジャーズムとして報道活動を継続することを示唆している。この問題については別稿で取り上げる)。
保守派メディア王、反トランプに転じる
しかし、FOXテレビはこの裁判をトランプ氏の「虚偽の世界」から抜け出すチャンスに使ったのではないかとの見方ができる。昨年11月の中間選挙で勝敗のカギを握る6〜7の激戦州にトランプ氏が強引に擁立した保守強硬派者候補が次々に民主党候補に敗れ、圧勝の予測を裏切る敗北となった。共和党にとっては2018年の中間選挙(トランプ政権下の議会選挙)、2020年大統領選に続いて3回連続の敗北であり、トランプ氏の責任追及や2024年大統領選もトランプ氏では勝てないという声が上がった。
保守派のメディア王とされるマードック氏の傘下にあるFOXニュース、経済専門紙ウォールストリート・ジャーナル、大衆紙ニューヨーク・ポスト3社がそろってトランプ批判の報道に踏み切った。背後にマードック氏の意向があったことは想像に難くない。
しかし、「責任追及」に強く反発したトランプ氏は、共和党内の強硬保守派MAGA(トランプ氏の基本スローガン「再び米国を偉大な国に」を表す)や極右・白人至上主義および陰謀論を信奉する組織につながる勢力の支持を固め直し、共和党のさらなる右傾化を進めてきた。
強固な保守派メディア王といっても、マードック氏は民主主義を壊そうとしているわけではない。米メディアにはマードック氏がトランプ支持継続に危険を感じてトランプ氏に代わる2024年大統領選挙の候補探しに転じているとの見方がちらつくようになっていた(「Watchdog21」2022年11月28日拙稿参照)。
FOXの影響力
2020年大統領選でトランプ氏は「不正投票」の声を上げるとともに、各州の共和党組織を動員して再集計を要求したり、訴訟を起こしたりした。しかし、60件を超えた訴訟はそろって証拠なしで却下、各種捜査機関の捜査でもすべて証拠なし(司法長官声明)。それでもトランプ氏は「不正選挙」の主張は取り下げず、FOXニュースなど保守派メディアがこれを後押しする報道を続けてきた。
各種世論調査によると、共和党支持者の7〜8割、民主党支持者や無党派層でも2〜3割が「不正投票」があったと信じている。トランプ支持者はまずトランプ氏の発言を信じ、FOXニュースと少数の極右メディア以外の一般の新聞、テレビ、ラジオ報道にはあまり接しない。トランプ氏の固い支持層はFOXニュースの「虚偽報道」自白による動揺は起きてもわずかと思われる。だが、共和党支持者でも穏健派、民主党支持者や無党派の「トランプ評価」には相当な影響が及ぶだろうだろう。
FOXニュースはケーブルテレビ局への24時間ニュース配信が専門。米国では新聞界とともにテレビ・ニュースの世界もABC、NBC、CBSの3大テレビのニュース、および後発のケーブルテレビ配信のCNNも加わってリベラル路線が支配的だった。オーストラリアで保守派報道に徹して成功しメディア王となったマードック氏はまずサッチャーの英国に進出、さらにレーガンの米国にも足を延ばしてして映像の老舗FOXを買収、1996年に開局したのがFOXニュースだった。保守派テレビが複数競い合う中でFOXニュースは湾岸戦争の「愛国報道」で一気に視聴者を増やして以来、最高の視聴率を誇ってきた。今のトランプ氏にはFOXニュースに代わる強力な支持メディアを見つけることは難しいだろう。(4月28日記)