対話型生成AI(人工知能)「チャットGPT」が世界に与えた影響の大きさに驚く毎日だ。欧州連合(EU)の欧州議会は6月14日、世界初の包括的AI規制案を採択した。国内でも東京都教育委員会が6月13日、夏休みの宿題でAIの回答をコピーして提出させないなどと注意喚起する通知を、都立学校に出した。こうした報道が続く。チャットGPTを開発・公開したオープンAIの最高経営責任者(CEO)、サム・アルトマン氏自身が、対話型AIの急速な進歩が社会に与えるプラスの影響とともに、悪用のリスクの大きさも指摘し、5月16日の米上院小委員会をはじめ世界各地で規制の必要を訴えている。欧州議会や都教委の対応は至極当然と思われる人は少なくないと思われる。
ところがこの問題は一筋縄ではいきそうもない。英エコノミスト誌の5月17日号記事は「AI規制はテック大手に恩恵をもたらし、その地位の強化につながる可能性がある。大手の方が規制に伴うコスト増への対応力が強い。そのうえ、規制は新規参入のハードルをより高くする」(日経新聞5月30日付朝刊)と疑問を呈しているのだ。この指摘が妥当だとすると、すでに一周遅れと言われる日本のIT開発・社会実装はさらに遅れてしまうことになる。
SF描く未来世界に現実味も
具体的な規制の動きだけでなく、5月19~21日に広島市で開催され、生成AIへの対応が議題の一つとなった先進7カ国首脳会議(G7サミット)以降、新聞、雑誌、放送、ウェブサイトにはさまざまな発言が引きも切らない。「チャットGPTが注目を浴び、米中によるAIの開発競争も過熱している。人工知能を備えたHALが自ら人を殺すという未来は、単なるSFではなかったことに背筋が凍る」(宮原拓也サガテレビ解説主幹)。1968年公開の映画「2001年宇宙の旅」を引き合いに出した記事は、筆者が目にしただけでこのほかにも複数あった。宇宙船搭載のコンピュ―タ「HAL」(確かIBMの3文字をそれぞれアルファベット順で一つ前の字に置き換えた名称)が搭乗員たちに敵対するという公開当時としては奇想天外としか思えない筋立ての作品だ。
SFを引き合いに出した発言は山極壽一総合地球環境学研究所所長(前日本学術会議会長・前京都大学総長)の論考「『スポンサーからの一言』からの教訓」(6月15日付朝日新聞朝刊)にもみられる。「スポンサーからの一言」というのは、フレドリック・ブラウンのSF小説題名だ。東西冷戦真っただ中の1954年6月9日、世界中あらゆる地域の午後8時半きっかりにラジオで「スポンサーからの一言」という言葉に続いて「戦え」という別の声が放送される。その後、世界の人々はどうしたか、という小説だそうだ。
山極氏はこの小説から学ぶべきことを次のように記している。「現在の技術を大きく凌駕するような科学技術を示した時、世界は震撼して自分たちの行いを別の角度から見つめる視点を持つ」。山極氏の論考はAIについて書かれたものではないが、最後の方に次のような問いかけがある。「もし、チャットGPTが『戦え』と言ったら人々はどうするだろうか」
もう一つあまた目にした著名人の発言を紹介したい。南直哉・恐山菩提寺副住職(恐山菩提寺院代)が6月14日付毎日新聞朝刊のオピニオン欄で次のように言っている。「人間の多くは凡庸であり、それで何も問題はない。人類に、そんなに大量の創造的な仕事はいらない。AIが事務仕事を奪い、他の機械が単純労働も代替した末には、無職で生活は保障された人の存在を許容する社会が必須だろう」
これを読んで筆者が思い起こしたSFの古典がある。H.G.ウエルズの「タイム・マシン」だ。主人公が「タイム・マシン」で移動した80万年後の地球は、地上でなんの仕事もせずただ漫然と生きているヒトと、地下の暗闇で生産活動を続けるヒトとに外見からして完全に分かれてしまっている、という不気味な世界だ。地下の暗闇で暮らすヒトを今後急速に進化するのが確実視される対話型生成AIとロボットに置き換えたらどうか。80万年などという気が遠くなる未来ではなく、近未来にウエルズが描いたような世界がやってくるかもしれない、などと考えてしまった次第だ。
あらゆる専門知の結集必要に
しかしである。いろいろな人のさまざまな個人的主張、予測を、新聞をはじめとするメディアで連日、読み聴かされる今の事態が、いつまでも続いてよいものだろうか。しかるべき集団が集中的に議論した結果をいつまでも目にすることなく…。山極氏は前述の論考の中で「国の指導者は慎重に世界の成り行きを見極めることが必要だし、あらゆる専門知を結集して事態の打開に臨まねばならない」とも述べている。「あらゆる専門知を結集して」という言葉で筆者がすぐ思い浮かべたのは、山極氏が2020年9月まで会長を務めていた日本学術会議である。氏自身、スポーツ庁長官からの審議依頼に応えスポーツのあるべき姿を検討する委員会に加わり、相当な時間をかけて審議、報告するなど、会長としての役割を真剣にこなしたことは筆者もよく知るところだ。
しかし、日本学術会議と日本政府の関係は山極会長就任以前から希薄としか言えない状況が続く。そもそも政府が同会議に特定の課題に対して諮問や審議依頼をすること自体がまれでしかない。その上、山極氏が会長任期を終える直前に菅義偉首相(当時)による会員候補6人の任命拒否という異常な出来事が起きてしまい、以来続く関係悪化の改善も見られない。AIと今後どのように付き合うかという大きな課題に対して「あらゆる専門知を結集」する役割を日本学術会議には当面、期待できそうもない。こうしたないない尽くしの悲観的話で終わってしまってはあまりに悲しいから、希望が持てそうな最近の出来事も紹介する。
AI利活用戦略プロジェクト
6月6日、衆議院第二議員会館で「政治家と科学者の対話の会」という会議が開かれた。主要国の中で政策決定に関するアカデミア(科学者団体)の役割が著しく小さく、特に立法府とアカデミアの連携が長年全くない。こうした現状に危機意識を持つ日本工学アカデミーの呼びかけに、科学技術に関心の高い自民党、公明党の国会議員が呼応して始まった会だ。日本工学アカデミーは、政府の一機関でもある日本学術会議と異なり独立の中立的機関だ。2020年12月に最初の会を開いて以降、7回目となる「政治家と科学者の対話の会」のこの日のテーマが「生成AIをはじめとするAIの社会実装、利活用に向けた共創」だった。
関係者以外あまり知られていないが、日本工学アカデミーは昨年5月に「5G/6G時代のAI利活用戦略」というプロジェクトを立ち上げている。瞬く間に世界中の関心を集めたチャットGPTを米企業「オープンAI」が公開する半年前のことだ。高速大容量情報ネットワーク化時代に目指すべきAI社会実装の姿や、必要な技術開発課題対応策などを提言するのがプロジェクトの目的。情報通信技術やAI技術の専門家に加え、インタフェース、ロボティクス、ウェアラブルデバイスなどの工学技術の専門家、AI技術の応用・社会実装を進める企業人、AI倫理・法規制の専門家など、関連する多様な分野の専門家22人の委員から成る。
検討チームは、すでに6回の検討会を重ね、今後、AIの社会実装が進む前に社会的コンセンサスをどのようにして得るかという残された検討作業を経た後、9月中に政策提言をまとめる予定だ。
この日の「政治家と科学者の対話の会」では、プロジェクト主査の森健策名古屋大学大学院情報研究科教授らから詳しい報告があり、国会議員や日本工学アカデミー会員たちとの間で活発な意見が交わされた。生成AIが今後、さらに機能を向上させ、さまざまな分野での社会実装が急速に進むという見方は、プロジェクト委員だけでなく、参加者たちの共通認識となったようだ。同時にプロジェクト委員たちが強調したのが、ヒトの能力・パワーを超えた技術を倫理や法によって適切に管理する必要。原子力発電、人工化学物質からゲノム編集、人工臓器など使い方によっては益にも害にもなる科学技術成果がこれまでにもたくさん生み出されている。AIなど情報分野でも、強力なデータ統合・解析アルゴリズムが同様の二面性を持つ。こうした現実に注意を促したうえで強調されたのが「賢くて安全な生成AI」の社会実装を目指す必要だった。
このほかプロジェクト委員からの興味深い発言としては「AIをよく使いこなしている人は、AIがなくとも処理できる人」がある。AIの急速な進歩に対応していくには、漫然と利用する人が増えるだけでは駄目で、AIがなくともものごとを処理できる人が増える必要があるということだ。当然、教育の在り方の見直しも迫られることとなり、「AIを使わなくとも仕事ができるようにする教育」と「AIを使いこなす教育」の両方が重要となるという指摘が参加者たちの関心を集めた。
実結ぶか科学者と政治家連携
「政治家と科学者の対話の会」に参加している国会議員はどのような人たちか。今回の会合に参加したのは、自民、公明両党の国会議員7人。議員になる前に企業、大学あるいはその両方で研究開発経験があるか、中央官庁で科学技術や財務政策に関わった経験を持つ政治家ばかりで、ほとんどが大学は工学部あるいは理工学部を出ている。会議の最後にまとめのあいさつをした大野敬太郎衆議院議員(自民党)は、東京工業大学工学部卒、同大学院修士課程修了後、富士通に入社、米カリフォルニア大学バークレー校客員フェローなども務め、情報理工学の博士号を持つ。
「今日のように盛り上がった議論は、米国でチャットGPTが公開される前にやるべきだった」。大野議員の発言は、海外で問題化してからようやく議論が始まることが多い日本の状況全般にも通じる自省の言葉に聞こえた。まだ少数でしかない国会議員と日本工学アカデミーによる政策共創推進の動きが今後、どれだけ日本の政策決定のありようを変えることができるか。AIをめぐる議論の急激な高まりが、こうした動きを後押しすることになるか。注視し続けたい。