第60回 韓国の聖樹信仰
神社を訪ねていて気になっていたことは、朝鮮半島からの渡来人、特に新羅系の人々との関係を抜きに神社は考えられないということだった。
朝鮮半島に古代日本人の神社信仰の源
この先、海を渡ってきた人々の故地、朝鮮半島に古代日本人の神社信仰の源があるかもしれない、またどういう場所でどのように神を祀っているのかなど、この目で確かめなければいけないという衝動に駆られた。
韓国の大学に留学経験のある旧友に話したら、それじゃまた行ってみるかということになり、心強い相棒ができた。ソウルの大学に留学していたころの宿舎を拠点に回ることになった。以来、年に1回は訪ねているのでもう10回以上訪れていることになる。
韓国の山城
ソウル駅から釜山行きの列車に乗ると、すぐ山間に入る。初めて見た半島の森は、木々が若々しいことだった。日本の森といえば、樹木は黒々と茂り下草も鬱蒼としている。韓国の森の木は、まだ大きく成長していない感じで、森が遠くまで透けて見えて明るい。
高速バスで移動していると、よく見つかるのが、山城である。山の八合目あたりに、鉢巻をするように石垣が山を囲んでいる。これは韓国の山城で、二つの山を石垣が囲み、敵が攻めてくるとこの中に入って籠城する。石垣の中に食糧や武器の倉庫などを備え畑も作って、ゲリラ戦に持ち込む。為政者と住民が力を合わせて戦うところは日本と違うようだ。このゲリラ戦で隋や唐の大軍を破ったこともある。石垣が二つの山を囲んでいるのは、二つの山の間には、必ず水が確保できるからだ。
日本に30カ所以上の朝鮮式山城
実はこの山城は日本にも造られた。663年、新羅・唐の連合軍に攻められた百済救援のために、天智天皇は救援部隊を白村江に派遣した。しかし、新羅・唐の連合軍に大敗。多くの百済難民を連れて引き挙げた。近江朝廷は琵琶湖の東岸に土地や畑を与えている。
今度は新羅・唐の連合軍が、列島を攻めてくるのではないかということになり、百済から亡命した将軍たちの指導で、博多周辺から奈良にかけてこの山城が造られた。山の中に転々と発見された石垣は当初は、神籠石かとされていたが、後になってこの山城の石垣であることが確認された。このうち太宰府の四王寺山(標高410メートル)の大野城は朝鮮式山城の最大の規模とされる。結局、唐も新羅も攻めてくることはなかったが、この山城は30か所以上、発見されている。朝廷は、相当な危機感を持ち緊張していたことがうかがわれる。
「古木は笑い泣く」
高速道路を走っていると、山の南側の見晴らしのいい平坦な場所に、土がこんもりしてお椀を伏せたような小山をよく見かけるが、これは韓国の円墳、つまりお墓である。
鉄や陶磁器づくりには膨大な樹木を必要とする。オンドルでも木材を使う。しかも湿潤な日本の気候と違って韓国は大陸的気候で雨が少なく、若木が育ちにくいといわれる。古木は韓国でも神聖視され、神宿る木といわれる。樹木と神事、鉄、陶器の3者は、切り離せない関係にある。韓国から日本に来た留学生は、古老から「木には魂があり、「木は笑ったり、泣いたりする」という話があると教えてくれた。
例えば、1945年の独立記念日には、全羅南道康津郡の700年の欅は、笑ったという。また1910年8月の日韓併合、1950年6月の朝鮮戦争勃発の日には、忠清北道槐山郡にある1000年を超える欅が泣いたといわれる。
森と韓国文化
「森と韓国文化」の著者である金瑛宇氏は「韓国人は概して、樹木という個体としての木に多くの関心を持っているのではなかろうか。それゆえ、古い巨木や天然記念物に指定された木を保護するには熱心であるのに、苦労して緑化させた韓国の森林を上手に育てることには為政者や国民が吝嗇(りんしょく)なのではなかろうか」と言っている。金氏は、特定の樹木だけを大事にするのではなく、森林をひとまとめにして大事にする思想が育ってほしいと言っているのだ。