世界規模の人口爆発と飢餓、地球温暖化という危機が現実化している中でも、日本国内では人びとの命と密接に関係している農業への関心は高まっているとはいえない。しかし国際社会は、農業の中心になっており、大きな可能性のある小規模の家族農業を強化しようとしてきた。
国連で「小農宣言」採択
まず国連は2011年(平成23年)の総会で世界の飢餓撲滅には家族農業が大きな可能性があるとして14年(平成26年)を「国際家族農業年」と定めた。
そして2018年12月18日、国連総会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」(小農宣言)が賛成121、反対8、棄権54という大差で可決、採択された。米国など穀物輸出国は反対。日本は米国が反対したためか「棄権」したが、圧倒的多数の途上国が賛成した。
この宣言の重要な点は「小農」が家族経営だったり、小作農だったりという狭い定義ではなく、次のように広範な認定であることだ。
「小農とは、自給もしくは販売のため、またはその両方のため、1人もしくは他の人びととともに、またはコミュニティとして、小規模農業生産を行うか、行うことを目指している人で、家族および世帯内の労働力ならびに貨幣で支払を受けない、他の労働力に対して、それだけにというわけではないが、大幅に依拠し、土地に対して特別な依拠、結びつきを持った人を指す」(小農宣言第1条「定義」)。
家族農業は時代遅れとみられていたが……
小農宣言の背景には、世界の食糧の8割が小規模・家族農業によって生産され、世界の全農業経営体数の9割以上を占めており、時代遅れとみられていた小規模・家族農業が持続可能な農業の実現に最も効率的だとの評価が示されていることがある。
翻って日本の状況はどうだろうか。日本の兼業農家は7割以上であり、2ヘクタール以下の小規模農家が8割以上を占めている。各地の道の駅などで見かける地域特産などの農産物を生産し続けているのが、こうした農家だ。
この100年間に94%の野菜の種子が世界から消えたといわれている。自然環境の変化で消えたものもあるだろうが、農薬・種子大手モンサントなどの多国籍アグリビジネスの農業支配で農家が生産できなくなり、消えてしまったものが増えているという。とくに遺伝子組み換えによって、この20年間で急速に種子の多様性が失われている。例えばトウモロコシ発祥地メキシコでは、従来品種の80%が消滅した(ヴァンダナ・シヴァ『危機に瀕する「種の自由」』月刊「世界」2012年11月号より)。
種子は本来、公共財だったはず
元々「種子」というものは公共の財産であったはずだ。
「たねは食物連鎖の鎖の最初の環であって、生命の青写真の格納庫。たねを守り、将来の世代に手渡すことは、私たちに課せられた義務であり責任」(同上)なのである。
既に2001年にはローマで開催された国連食糧農業機関(FAO)総会で「食料及び農業のための植物遺伝資源に関する国際条約」(ITPGR)が採択された。日本も批准した同条約9条では、農業者の自家採種の権利を制限すべきではないとしていた。
国連は2015年、持続可能な開発目標(SDGs)のための17の目標と169のターゲットを定めた。そこでは「貧困をなくそう」がトップであり、続いて「飢餓をゼロに」が続いている。
そうした状況にあって、安倍政権がもくろんでいるのは新自由主義の下、モンサントのような多国籍アグリビジネスに日本の固有種を含む種子を渡してしまおうということにほかならない。それは、多くの農民が危惧しているように、「小農」中心の日本農業の絶滅であり、遺伝子組み換えやゲノム編集で作られた画一的な農産物が席巻する社会である。ただ画一的な作物が激化する自然環境の変化に対応できるかどうか、検討すらされていないのが現状だ。種苗法改正案はいったん継続審議となった。しかし自民、公明両党は秋の臨時国会で成立を目指すことを断念していない。コロナウイルス感染拡大が峠を越したといわれる今、多くの人が真剣に考える必要がある。