日本学術会議に三権の監視役は無理か スポーツ庁長官への回答にも報道機関冷ややか

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渡辺美代子日本学術会議副会長から回答を受け取る鈴木大地スポーツ庁長官(右)。中央 はオンラインで手交式に参加した山極壽一日本学術会議会長(日本学術会議)

 立法、行政、司法の三権を監視する役割はどこに? 第四の権力などとも言われるマスメディアの責任が重いのは言うまでもない。ただ、筆者は科学者を代表する科学アカデミーの役割にもっと関心を持つべきではないかと考えている。日本で科学者あるいは研究者と呼ばれる人たちは、報道機関に務める人間より一桁多い。にもかかわらず社会のありように対する科学アカデミーの影響力は、主要先進国に比べ明らかに見劣りする。つい最近も、その思いを新たにさせられた。

 6月18日、日本の科学者を代表する機関として内外に認められている日本学術会議が鈴木大地スポーツ庁長官に「回答書」と「提言書」を手渡した。鈴木長官から審議を依頼されていた「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方」について、1年8カ月にわたって検討してきた答えである。審議のために渡辺美代子副会長を委員長とする特別委員会を設置し、山極壽一会長(京都大学総長)自らも委員となって12回にわたる会議を開き、そのための学術フォーラムとシンポジウムまで開いて議論した結果だ。渡辺副会長も山極会長も高校時代にバレーボールあるいはバスケットボールに熱中した人物だったことも影響したのかもしれない。学術フォーラムとシンポジウムはいずれもなかなか聴きごたえがあった。

 18日に日本学術会議で行われた記者会見と回答・提言の手交式の模様は、内閣府と文部科学省(スポーツ庁)の記者クラブ加盟記者だけでなく、事前に登録した筆者のような記者にネットでも公開された。さらに驚いたことに、記者会見の3日前に記者会見後解禁の条件で「回答」と「提言」の主要部分が提供されている。記者会見を開くこと自体、珍しいと思われる日本学術会議が、解禁付きで資料の一部を事前に提供するというのは、筆者はこれまで聞いたことがない。

 しかしながら、こうした日本学術会議の積極的な試みも記者諸兄姉には伝わらなかったとしか思えない。筆者が確認した限り、共同通信の「暴力なくし、科学的指導を 日本学術会議、スポーツ庁に提言」と、時事通信の「選手データの集約を スポーツ庁に提言―学術会議」という配信しか記事が見つからないからだ。両通信社の短い記事では、書き込むのは無理だろうが、今回注視すべきことは「提言」を出したことよりも「回答」という文書を出したことにある。日本学術会議が、行政府から具体的な課題に対し審議依頼を受けて「回答」するのはこの10年を見ても年に1度くらいの頻度でしかない。2度あったのは2012年の一度きりで、14年、16年、17年には全くなかった。

 このことからも日本学術会議が政府からどれほど頼りにされている機関か分かるが、だからといって報道機関が政府と同様に科学者の代表機関を軽く見てよいのだろうか。社会全体にとって科学アカデミーの影響力が小さいことは、よいはずはない。「エビデンスベイスト(実験データや症例など具体的な証例に基づく)」政策決定に大きな期待が持てないからだ。それどころか報道機関にとってもエビデンスベイストの報道を追求するうえで、有力なよりどころが抜け落ちてしまうことにはならないか、というのが筆者の大きな懸念である。

 以下は、押しつけがましいが、6月23日に国立研究開発法人科学技術振興機構のウェブサイト「客観日本」に中国語と日本語で掲載された筆者の原文を少々修正した記事を再録させていただく。「回答」を出したことに対する一定の評価は必要だと考えるし、回答の中身にも重要と思われる記述が少なくないと考えるからだ。

「証拠に基づくスポーツの価値見直しを 日本学術会議がスポーツ庁長官に提言」

 日本学術会議は18 日、鈴木大地スポーツ庁長官から審議依頼を受けていた、新しい時代のスポーツのあるべき姿について検討した結果を「回答」としてまとめ、鈴木長官に手渡した。日本学術会議はさまざまな課題について独自に議論した結果を「提言」あるいは「報告」「声明」といった形で数多く発信している。しかし、今回の「回答」はこれら一方的な信と異なり、政府からの具体的要請に応じた検討結果だ。回答を受け取った鈴木長官が盛り込まれた提言を今後スポーツ政策にどのように生かすか、注目される。

多様な人たちの参画重要

 「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方」と題する回答は、スポーツが個々人だけでなく社会全体の便益にも寄与することをまず強調している。さらに科学的証拠に立脚した練習やコーチングを進めることで、経験主体のスポーツに高度な合理性が与えられることを、さまざまな研究例を引いて示している。それが、繰り返し問題化しているスポーツ界の暴力を削減することに貢献できることも併せて強調している。スポーツが、その対象や社会的意義を時代とともに変化させてきたことにも注意を促し、世界各国で急速に普及しているeスポーツを「新たな価値の提供につながる」と明確に評価し、必要な政策を提言しているのも目を引く。

18日午後、日本学術会議の山極壽一会長と渡辺美代子副会長は鈴木大地スポーツ庁長官とそろって記者会見し、渡辺副会長から「回答」の内容と、「回答」に併せて公表された提言「科学的エビデンスを主体としたスポーツの在り方」について詳しい説明がなされた。ビデオ会議システムを利用して記者会見に加わった山極会長は、下半身に支障がない普通の人たちが座ったままプレーするバレーボールを例にあげ、スポーツの多様化にきちんと対応する必要を強調した。鈴木長官からはデータの交換、共有など回答に盛り込まれた提言を生かす意思が表明された。「回答」は記者会見後、渡辺副会長から鈴木長官へ手渡された。

日本学術会議が鈴木スポーツ庁長官から「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方に関する審議について」という審議依頼文書を受け取ったのは2018年11月。渡辺美代子副会長を委員長とする「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方に関する委員会」をすぐに設置、翌2019年1月から今年の3月まで12回の委員会を開催し、審議を重ねてきた。この間、科学的なデータを基にスポーツをとらえ直すことをテーマにした学術フォーラムを昨年10月に開催、さらに今年2月にも対象を「スポーツと暴力」に絞ったシンポジウムを開いている。

鈴木長官からの審議依頼は、東京オリンピック・パラリンピックを控えてスポーツに対する関心がさらに高まりつつある一方で、スポーツ界ではパワーハラスメントや暴力行為が続出している時期に出された。学校の運動部活動でも効果的な体力・運動能力の向上につながらない合理的でない過度な練習が行われ、学業やその他の生活にも悪影響を与えている。こうした危機意識も審議依頼の背景にある。

経験主体のスポーツに合理性を

 回答は、あらゆる年齢層におけるスポーツの実践が、健康保持や脳の発達・老化防止に資する可能性を示していることを、これまでの研究結果を基に紹介している。生涯を通じたスポーツ実践が、医療費抑制を含む社会全体の便益にも寄与することも強調している。一方「個々人を尊重した画一的でないスポーツ実践」を促す必要も指摘した。これは、「『スポーツの価値』が社会に広く認識され、共有され、社会の便益に資するためには、障害者を含む多様な人たちの参画を促すことが重要」との考えに基づく。

 スポーツの価値を高める大きな力になると強調しているのが、科学技術の進展により、スポーツを科学的に分析することが可能になったことだ。実戦における体の動きを科学的手法により計測した結果、選手の持つ主観的イメージと全く違っていた。こうした研究例を挙げて、計測と解析による科学的証拠に立脚した練習やコーチングを進めれば、経験主体のスポーツに高度な合理性を与えられる、としている。さらに、科学的証拠に基づいて指導方法を考案し、実際に指導にあたることで、スポーツにおける暴力の削減にも貢献できることを強調している。

eスポーツの可能性も評価

もう一つ回答が重視しているのが、科学技術の進展や情報技術環境の変化がもたらす「スポーツの価値」の多様化。スポーツが時代とともにその価値を変化させてきた事実を指摘した上で、近年の大きな動きとして若年層を中心に競技人口が急増しているeスポーツの大きな可能性を取り上げている。評価しているのは、スポーツに対する見方を変え、身体運動を超えた新たな価値を提供していることだ。幅広い年齢層や多様な人々のスポーツ参加を促し、実空間における身体活動とサイバー空間での動きの親和性を高める力を持つ、と期待は大きい。

他方、世界保健機関(WHO)が懸念している青少年のゲーム依存というマイナス面にも目を向け、eスポーツをめぐる組織の整備、ルールの確立、指導者と選手育成のシステムづくりが急務であることも注意喚起した。青少年のゲーム使用時間を規制するだけでなく、子どもたちが自ら行動を制御する力や健康認識を育む教育など、根本的対策の必要も指摘している。

ICT(情報通信技術)の進歩で取得・収集・解析が容易にできるようになったさまざまなデータを科学的証拠としてスポーツ政策に役立てるための手立てについても、具体的な提言が盛り込まれた。政策に反映できる科学的証拠の作成と共有が何よりも重要だとし、スポーツ庁だけでなく、他省庁や諸機関、さらには既存の学協会など全国ネットワークを活用して、データ収集と分析を進める体制整備と仕組みの構築を求めている。

暴力に関する科学的解明進む

 回答は、こうした提言の根拠となるさまざまな研究結果や動きも紹介している。スポーツの実践が、健康保持や脳の発達・老化防止に資するとした根拠として示されているのが、日本スポーツ協会の報告。1964年東京オリンピックに出場した日本代表選手と候補選手の健康・体力状態を追跡調査した結果だ。高齢期に至るまで、筋力、瞬発力、敏捷性、柔軟性、口腔状態、全身骨密度が一般人に比較して高く、健康状態を維持し、要介護者が少ないことが明らかになっている。一方、元オリンピック選手は日常生活で健康状態を維持している人と体に痛みの影響のある人に二分される傾向があり、後者には現役時の体の酷使やけが、故障が影響している。こうした実態も紹介して、スポーツ実施がすべてにおいてその後の健康に良好な影響だけを与えているわけではないことにも留意するよう求めている。

 暴力についても興味深い脳科学の研究結果が紹介されている。前頭葉(特に眼窩前頭皮質)に損傷があると、自分の感情を抑える力が欠如し暴力が増える傾向にある。また、脳に損傷がなくても善悪の判断を学習する教育を受けなかった場合には、同様の傾向がみられる、とする研究成果だ。善悪の判断を学習するのは幼少期が大事で、報酬と罰の刺激バランスとタイミングが重要。一般的に、罰刺激(しかられること)は報酬刺激(褒められること)より効果の強度が高いため、罰刺激を中心とする指導(しかる指導)では善悪の判断力を伸ばすことができずに、暴力は減少しないことになる。このようにスポーツの指導者に限らず教師や親にとっても重要な助言になりそうな記述も多い。

 eスポーツについても、世界の動きは急速であることが紹介されている。世界の市場規模は、2021年には16億ドル(約1,800億円)を超えると見込まれている。米国、欧州、中国を中心に、eスポーツ世界大会をプロスポーツと認定する動きや、学校教育で体育プログラムの一環として扱う動きも出ており、既に競技人口が3億人とも言われる中国では、国家事業として選手育成も進められている、という。懸念されていることとして、オンラインゲームなどを続けると、快感の反復刺激によって脳の構造や動きに薬物依存のような変化が現れるという報告が紹介されている。一方、eスポーツのプロプレーヤーとしてトップを保つには、苦しいトレーニングを必要とするため、依存の原因とされる繰り返しの快感刺激(学習)による脳の神経回路の変化が起こらず、依存症にはなりにくい可能性もある。このようにeスポーツやゲームと脳機能の関連を調べる研究は始まったばかりであることも丁寧に説明されている。

日本学術会議は、日本学術会議法により「科学の向上発達を図り、行政、産業および国民生活に科学を反映浸透させる」ことを目的とする機関と定められている。一方、政府は科学に関する予算をはじめとする専門科学者の検討を要する重要施策などについて日本学術会議に諮問することができる、と明記されている。しかし、日本学術会議が政府からの具体的な要請に応える機会は限られているのが実情。政府からの諮問は2006年以来なく、諮問より格が下と言える今回のような「審議依頼」も年に一つあるかないかという状態が長年、続いている。今回の回答は、環境省自然環境局長からの「人口縮小社会における野生動物管理のあり方の検討に関する審議依頼」に対する昨年8月の回答依頼、10カ月ぶりとなる。

日本の科学者を代表する機関と法的にも明確に位置づけられている日本学術会議が、政府から意見を求められることはあまりない。そのこと自体が一番の問題だが、とはいえたまにある政府の要請に応えた審議結果に日本国民はもう少し関心を持ってよいのではないか。民主主義国家でも科学アカデミーが弱い国では科学的な根拠に基づく政策決定も、きちんとした政策評価も期待できないと考えるが、どうだろう。