「黒人の命は大切」差別解消へ3回目のチャンス 追い詰められたトランプ「再選」

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 黒人差別は民主主義の盟主ともいうべき米国が抱える「業」。南北戦争で奴隷制度は廃止したが、白人主義勢力の抵抗で「隔離」という別の差別構造への移行を許した。公民権運動では差別解消への法的枠組みを整えたものの、骨抜きにされた。そして今、米国を揺るがしている「黒人の命は大切(Black Lives Matter)」運動。ほぼ60年ぶりに訪れた差別解消を実現する3回目のチャンスである。
 「黒人の命は大切」運動は、歴史の書き替えを狙う「文化革命」と敵視し、危険な様相を呈する「コロナ」に対しては責任放棄。主要な世論調査が一斉に11月3日に迫った大統領選挙でトランプ再選は困難になったと伝える中で、追い込まれたトランプ氏は真の争点をそらす「敵」を仕立てて危機感をあおり、強行突破を図るほかに策は持ち合わせていないようだ。

奴隷制度は廃止されたが・・・

 奴隷制度廃止から1世紀半を経た今も米国が人種差別から抜け出せないでいるのは、勝利したはずの南北戦争が、実は本当には終わっていなかったからだ。それを象徴しているのが、南部諸州に広く展開されている南部連合の政治、軍事のリーダーたちを称賛し顕彰するための彫像や記念碑、あるいは彼らの名前を付した軍事基地、図書館・博物館、大学・研究機関、公園、道路などの存在である。ワシントン・ポスト紙によれば、その数は約1000カ所(一部は他の州にも)。

 そのほか最近までほとんどの州政府施設に南軍旗が掲げられていた(先月残っていた最後のミズーリ州が降ろした)。スポーツの応援や集会などで南軍旗が振られるのも南部の風景だった。奴隷制度をあくまで維持しようと連邦を脱退、戦争に敗れた南部諸州は「反逆者」だった。その指導者を称えるためのこうした顕彰行為が長年許されてきたところに、黒人差別の特異な歴史がある。

 「黒人の命は大切」を訴える運動が、これらの記念像・碑を撤去し、名前を外し、南軍旗の掲揚禁止を求めるのは当然のことだろう。軍当局も加わり、世論の多数が支持している。歴史をさらにさかのぼり、建国の父であるワシントンやジェファーソンも奴隷を所有する農園主だったとの批判も聞かれる。トランプ氏はこれをとらえて、「歴史の書き換え」は許さないと対決姿勢をとる。南軍の側に立つとの宣言に通じる。

執拗な抵抗で「再建」放棄

 南北戦争に勝った連邦政府(北部)は降伏した南部連合諸州を軍事占領下に置き、奴隷制度の上に築かれた南部の「北部化」に取り掛かった(再建時代と呼ぶ)。しかし、南部諸州の白人は強く抵抗、解放された黒人や「北部化」を支持する白人に対して凄惨なテロ攻撃を加えたり、誘拐してリンチにかけたりする白人至上主義の秘密組織も結成された。代表的なのが白人至上主義の秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)である。これらの組織には今も存続しているものもあり、トランプ政権ができると表に出て活動するようになっている。

 ワシントンの共和党政権は南部の執拗な抵抗に手を焼き、次第に疲れ果てていく(1874年グラント大統領)。南部白人を駆り立てる理由には、支配者としての人種的優位を手放したくないという思いと、自由を得て人口で多数派となる黒人の支配下に置かれることへの恐怖が混じり合っていた。

 1876年の大統領選挙は共和党ヘイズ候補と党勢を伸ばした(北部)民主党ティルデン候補の接戦となり、4州(3州が南部)の開票結果に疑いが出た。両党は秘密交渉の結果、有利とみられた民主党が譲歩してヘイズ当選を受け入れ、代わりに共和党が南部の軍政を取りやめ撤収した。「南部再建」は失敗に終わったのだ。

「隔離、しかし平等」

 1896年にはルイジアナ州の鉄道が車両を白人用と黒人用に分けたのは憲法違反と黒人が訴えた裁判で、連邦最高裁が「隔離しているが平等」というひどい論理で合憲判決。これが白人社会から黒人を締め出す「ホワイト・オンリー」の原理となった。

 これによって南部諸州は解放奴隷に与えられた憲法に基づく基本的自由をはく奪する州法を次々に制定していく。「黒人隔離法」(Jim Crow laws)と呼ばれる。特に狙いをつけたのが参政権で、読み書きのできない多くの黒人がテストを課せられて選挙人登録を拒否された。有権者の数で黒人は少数派に転落させられた。

 南部諸州は19世紀末に米合衆国の一員に復帰する。これとともに南部連合リーダーたちの顕彰像や記念碑が20世紀初めにかけて次々に建立されていった。南部が白人優位の世界であり続けることを誇示し、黒人を威圧するためだ。

「ルーズベルト連合」に黒人参加

 南北戦争後に北部の産業が発展、米国は第1次世界大戦にも参戦してベルサイユ講和会議をリードし、世界の大国に飛躍した。共和党はこの間、政治権力をほぼ独占し「共和党の時代」を謳歌した。しかし、共和党政権は1929年の世界大恐慌に対応できず崩壊した。1932年大統領選挙で民主党のルーズベルト候補はニューディール政策(大恐慌対策)を掲げて政権を奪取した。

 ニューディール政策の柱の一つが、失業者救済のため大規模な公共事業。恐慌の大波を一番重くかぶった低所得層や少数派(南欧・東欧系やカトリック教徒のアイルランド・スコットランド系、ユダヤ系、そして黒人)の支持を引きつけた。黒人の多くが奴隷解放の恩人であるリンカーンの共和党支持から民主党支持へ転じた。

 ルーズベルトはその支持基盤に北部民主党の中核となってきたリベラルなインテリ層や労働組合に加えて、これらの少数派を取り込んだ「ルーズベルト連合」を政治基盤にして、1970年代へと続く「民主党時代」をスタートさせた。黒人は「隔離」されながらも、政治勢力としてこの連合の一角に場所を得た。

 黒人の「隔離」は軍隊にも及んでいて、第2次世界大戦では白人部隊とは別に黒人部隊が編成され、日系人の2世部隊とともに欧州戦線に派遣された。両部隊はともに大きな犠牲を負いながら戦争勝利に貢献、黒人兵は重い勲章を胸に凱旋した。だが、彼らの多くが帰った先は隔離されたスラムだった。黒人たちの怒りをばねに、白人の暴力的な弾圧に耐えて差別反対の運動が南部諸州にじわじわと広がっていった。

公民権法・投票権法と大統領命令

 黒人別撤廃を求める公民権運動は、非暴力運動を唱えるM.L.キング牧師という指導者を得て、白人も加わった運動になって全米へと広がった。1960年の大統領選でケネディ大統領が生まれ、63年8月にはワシントンに20万人が集結。ケネディはキング牧師ら代表をホワイトハウスに招いて支持を約束、公民権法案を議会に提出した。

 2カ月後に暗殺されたケネディを受け継いだジョンソン大統領は、南部テキサス州出身だが「ニューディール」支持者で、議会政治のベテラン。共和党の反対を切り崩して64年に公民権法、翌65年には投票権法を成立させた。ジョンソンは法律をつくっただけでは中身は入らないことを知っていたので、大統領行政命令で補強した。

 行政命令は➀公的機関や規模の大きい企業は雇用に際して、それぞれの地域の黒人人口の割合に応じ黒人を採用する➁大学は入学選考に当たって全体の人種バランスを図って黒人を合格させ、小中学校でも学校区の人口バランスに応じて、生徒数が白人と黒人のいずれかに偏らないようにするーなどを求めた。これは差別是正のための積極的措置(Affirmative Action)と呼ばれた。

 これが「第2次南北戦争」の成果である。だが、今度も黒人差別に固執する勢力の抵抗によって、ほとんど失敗に終わった。人種バランスをとる雇用は白人やその他の人種に対する逆差別との訴訟攻勢を受け、「バランス」は「割り当て」ではなく「目標」に薄められた。教室の人種統合を進めるためのバス通学が取り入れられたが、白人の親らの反発がすごく、私立学校への転校や移住などによって教室の人種統合も十分な成果は上げられなかった。

 公民権運動は1960年代に入ると、ベトナム反戦運動と一体化して大都市や大学キャンパスにデモが広がり、米国は混乱に陥った。その中で68年、72年と大統領選挙で民主党南部の保守的な白人票が共和党へと流れ、ニクソン共和党政権が続き、80年には共和党保守派のレーガンが圧勝して「ルーズベルト連合」は崩壊した。

裏目に出るトランプの破滅的政策

 冷戦終結からグローバリズムの時代を通して、共和、民主両党のせめぎ合いが党派対立を先鋭化させた。2008年に初めての黒人大統領オバマが生まれた。民主主義の勝利と称賛された半面、共和党保守派の白人主義を強くかき立てた。共和党は徹底的な反オバマ政策をとり、政党政治はマヒ状態に陥った。そしてトランプ政権が登場する。

 黒人が白人警官の暴力的職務行使によって殺害される事件は各地で続発し、黒人差別を象徴するものになっていた。ミネソタ州で5月末に起きた事件は、人種差別に対する世論が大きく動いていたことを浮かび上がらせた。

 抗議デモはたちまち全米に広がり、若者を中心に黒人、ヒスパニック、アジア系に白人と多様な人種が参加、一部の暴徒や極右・極左の挑発行動にも冷静に平和デモを維持、様々な抗議行動が息長く続いている。その背後に2012年の同様事件を機に立ち上がった「黒人の命は大切」運動の積み重ねと、グローバリズムがもたらした格差拡大に対する若い世代の憤懣があった(Watchdog21・6月4日、同14日拙稿)。

 トランプ大統領は新型コロナウイルスを「民主党の陰謀」と切り捨て蔓延を呼び込んだ大失敗に加えて、「黒人の命は大切」デモをすべて暴徒扱いし、軍現役部隊動員によって弾圧しようとして軍部に拒絶され、国民の支持を大きく失った。トランプ氏の自己破滅的な政策は支持固めの狙いとは逆に、民主党のバイデン政権の登場、そして人種差別との戦いに第3のチャンスを与える可能性を大にしている。(7月12日記)