新型コロナウイルスの感染拡大の中、安倍政権が強行する観光支援事業「Go To トラベル」に逆風が吹いている。東京都で16日、過去最多となる286人のコロナの感染が報告されたが、政府は同日、東京都を除外して事業の強行を決めた。新型コロナ対策分科会で見直し案を説明、了承されたという。だが事業が新たな感染の拡大にならないのか不安をぬぐえない。感染の拡大につながった場合、安倍政権は責任をとれるのだろうか。
こうした状況で、菅義偉官房長官の高圧的強弁が続いている。菅氏は北海道で「コロナ感染拡大は東京の問題だ」と東京都の責任を言い立てていた。これに対し小池百合子都知事が「拡大防止策について政府の方針が定まっていないことにも原因がある」と反論すると、菅氏は13日の会見で「いちいち個々の発言に答えるのは控えたい」と常套句を繰り出し、触らぬ神にたたりなしの姿勢に終始した。
22日から始まる事業実施の見直しを問う質問には「毛頭考えていない」と一刀両断。識者や感染症専門家の間から首都圏以外の地域に感染を広げかねないので慎重に検討すべきという指摘があるのに、鼻にも引っかけない姿勢を際立たせていた。だが感染拡大で事業への懸念が強まると、政府は事業の見直し東京発着を除いて強行することにしたが、この見直しも菅氏の主導的な判断によるものとみられる。
利権拡大や利益誘導の疑念も生じかねない
菅氏の「うるさい 黙ってついて来い」と言わんばかりの発言が目立ち、言葉に険を含むようになっている。だいたいこの事業の主管は国交省のはず。外交問題でもなんでも官房長官が一人で仕切っているのも異常感がぬぐえない。これが内閣への一極集中ということの典型的な表れに思える。特にカジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業問題やレジャー・旅行問題などに絡んだ分野では「余計なことを言うな」と高姿勢だ。何か利権拡大や利益誘導でも企んでいるような疑念さえ生じかねないほどだ。
「経済とコロナ対策の両立」を図るのに否定するつもりはないのだが、経済優先にアクセルを吹かすあまりブレーキとの兼ね合いも必要なことを棚上げしてしまっているようだ。まともな政治感覚が欠けているのだ。
からくりの背景
自民党の二階俊博幹事長が会長を務める全国旅行業協会の動向に関心が高まっているようだ。二階氏の「圧力」めいた話は出ていないものの、菅氏が「予定通リ」22日からの実施にこだわっている裏には、二階氏の影もちらついているのではないかという憶測を呼んでいる。首相周辺はコロナ感染拡大傾向が収まらない中で、事業実施について安倍晋三首相も思案投げ首の様子と背景説明をしているそうだ。
背景にこんなからくりもあるらしい。二階氏が会長を務める全国旅行業協会とは別に日本旅行業協会という組織もある。全国旅行業協会は、日本旅行業協会に比べて年会費が低額で、比較的小規模の旅行代理店が多い。一方、日本旅行業協会は、旅行会社約1200社からなる会員組織で、海外・国内の募集型企画ツアーを企画実施できる大手旅行会社が半数を占める。同協会の会長は政治家でなく、東武トップツアーズ社の坂巻伸昭社長だが、「陰の指南役」は菅氏と言われている。坂巻会長は官邸のヒアリングに出て、前例のない大規模な観光需要喚起キャンペーンの実施などを要望していた。菅氏はインバウンド(訪日外国人客)の2020年の4000万人誘致やIR事業でも旗振り役をやっており、二階氏と利害が一致する。この二人が組んで、逡巡する官邸に圧力をかけているのだろう。コロナ制圧より、自身の支持団体に向けて1兆円以上の補助金をばらまくことに血道を上げている感じだ。
安倍氏とすれば、ポスト安倍で二階・菅連合軍ができるのを恐れ、菅氏を手元に引き戻したいところだろう。そのためには菅氏のご機嫌を損ねるわけにはいかず、「Go To トラベル」事業に反対できないのだろう。首相が指導力を封じられるという事態は、日本の政治の機能不全を意味する。
12日投開票の鹿児島知事選では、現職の三反園訓氏が敗れた。三反園氏は前回選で「脱原発」を掲げ、野党の支援も得て初当選したが、今回は稼働容認に転じ、自民、公明の与党の推薦を受けた。与党は2016年の前回知事選に続いての敗北となった。知事選の結果は、安倍首相の衆院解散戦略に一定の影響を与える可能性もある。有権者は安倍流ではない、なんらかの変化を求めているようだ。
身内主義、秘密主義、排他的、利益誘導の安部流側近政治
ところで中央省庁の官僚は、いまや自らの省庁の大臣ではなく、官邸の方を向いて仕事をしているようだ。その結果、霞が関に「忖度文化」が広がった。古巣の先輩が官邸の後輩に注意したら「安倍政権をつぶす気ですか」と言い返されたという話もある。官邸は最近ではさらに経済産業省が安倍首相の周辺を固め、側近政治がさらに強化され、官邸のグリップ役、菅官房長官の耳に入らないこともあるらしい。
法相などを務めた古井喜実氏や、官房長官などを歴任した後藤田正晴氏は内閣制度に詳しかった。この二人の政治家の著した本を読んでいたら、官邸の機能について、総合調整機能を発揮して各省庁の施策が矛盾なく、迅速に行われるよう簡素で弾力的であることが望ましいーとあった。戦後の内閣制度については、戦前、政権が軍部に左右された反省から、憲法は内閣の統一を図るために首相を「内閣の首長」と位置づけ、国務大臣の任免権を持ち、首相(党総裁)は最大与党の代表が就くので、首相は力量次第で相当のことができるようになった。もちろん三権分立を前提にしての話だーとしている。竹下登元首相は「司、司に任せる」が口癖だった。
官邸の機能強化は、政治改革の議論の中から生まれてきたが、安倍流のトップダウンは政治改革論議の中では悪例として話題に出たらしい。だから安倍流は憲法や内閣制度などの想定外であり、違反していることになる。安倍政権の勝手放題、我儘三昧のやり放題に、ブレーキが掛けられないのは残念至極だが、安倍流の側近政治は、身内主義、秘密主義、排他的、利益誘導、汚職の温床とまさに同義語だ。息のかかった検事総長にこだわったのは、退陣後の発覚を恐れていたのに違いない。
総理になると見えなくなる「三つのもの」
1936年の2・26事件の時の首相だった岡田啓介の回顧録を読んでいたら、総理になると三つのものが見えなくなると言っている。一つは「金」で、職権でいくらでも金は使えるから、まず金の価値が分からなくなる。
二つ目は「人」で、取り巻きは知らず知らずのうちにイエスマンばかりが増え、耳障りのいい気に入った情報しか入らなくなる。三つ目は「国民の顔」だ。国民は、今の政治をどう思っているのか皆目わからなくなり、やがて野垂れ死にするそうだ。今の政権は、その匂いがプンプンしてきた。
以前から安倍氏の国会答弁、記者会見を通じて気になっていたことがある。「私は総理大臣として」「総理大臣の職責から」と、「総理大臣」をやたらと連発していたからだ。言葉尻を捕らえるつもりはないが、よほど気に入っているのか、官僚作文を棒読みしながら、そこだけは自分を誇示している。
学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当した元財務省近畿財務局職員赤木俊夫さん=当時(54)=の自殺で、妻が国と佐川宣寿元国税庁長官に計約1億1千万円の損害賠償を求めた裁判が始まった。これも発端は安倍氏の国会答弁からだ。「もし私や私の妻が関わっているなら、私は総理大臣も国会議員も辞めますよ」。この一言に飛び上がった当時理財局長の佐川氏ら財務省は、近畿財務局に国有地売却の書類改ざんを指示した。官邸への忖度そのものだ。
安倍氏の父親の晋太郎氏は毎日新聞記者だったこともあり、気さくな人柄で親しまれていた。安倍氏の答弁、会見は饒舌だが共感を呼ぶところがない。ここだけは親父ではなく祖父の元首相、岸信介氏の血を引いているようだ。