新型コロナウイルスの感染者増大にもかかわらず、1カ月以上も記者会見しない安倍晋三首相。問題があると考えるから聞いているのに「全く問題ない」と繰り返す菅義偉官房長官。自分の都合の良い記者しか指名しない小池百合子東京都知事ー。
記者会見がテレビやインターネットで中継され可視化が進む中で、会見する側のさまざまな形でのうさんくささや、核心となる問題の追及を避け、相手側の嫌がる質問をきちんとしない記者側の姿が、浮き彫りになってきた。「記者会見」は国政や自治体で大きな力を持つ「権力者」に対して、権力を監視し、国民の「知る権利」を行使するジャーナリズムの大切な場であり、手段の一つである。プロンプターを読むだけの首相会見は、朝日新聞政治部記者(現在、休職中)で新聞労連委員長の南彰氏が、近著「政治部不信」(朝日新書)で「演説会」と呼んでいる。「記者会見」は、すでに権力者側の一方的な宣伝・広報の場となっているのではないか。
このところ目立つ「記者会見」の形骸化をあぶり出したのは、東京新聞社会部の望月衣塑子記者だ。望月記者が政治部の牙城である「官房長官会見」に乗り込み、官邸側からの強い圧力をも跳ね返して、決して諦めることなく粘り強く追及する勇気ある姿をみて、私は「やや不器用な質問の仕方だが、会見の在り方に風穴を開けたのではないか」と評価している。しかし、昨年の新聞労連のアンケート調査をみると、望月記者の手法には、記者仲間からかなりの反発も出たことがみてとれる。「官邸の会見はほとんど『宣伝だ』」(現代ビジネス、7月21日)と書く望月記者が提起した問題は大きい。なぜ望月記者が書いた本を元にした映画「新聞記者」が大ヒットしたのか。映画を見た人の共感がメディアの在り方に疑問を持つ市民の間に大きく広がったからだろう。
記者側の抵抗がほとんどないために、権力者によるメディアコントロールが国レベルだけでなく、自治体首長レベルでも進んでいる。このところの戦前の「大本営発表」のような、政府に無批判な「コロナ報道」を見るにつけ、政治家が目立つことや、「やってる感」で人気をとることに加担するメディアの姿が突出しているように思う。私が現役の記者クラブ記者として過ごした1960年代後半から80年代後半にかけて、記者会見には、女性記者がほとんどいない(採用がほとんどない)、週刊誌やフリー記者は参加できない、など今よりもかなりひどい状態にあった。しかし、「記者会見」では、もう少し権力側が嫌がるような鋭い質問もあったし、他社と競争しながらも会見では連携して二の矢、三の矢を放つ姿がけっこう見られたことも事実だ。以下は、「昔は良かった」とのノスタルジーなどではない。現状の姿を見て、読者として視聴者として記者会見の在り方に強い危機感を抱かざるを得ない、元記者の自戒を込めた嘆きである。もう一度考えてみたい。記者会見は「何のために」「誰のために」あるのかを。
記者たちが連携できた時代 佐藤首相の「退陣会見」
1972(昭和47)年6月17日。1カ月前に「沖縄県の本土復帰」を成し遂げた安倍首相の大叔父、佐藤栄作首相が7年8カ月の長期政権の退陣を発表。首相官邸で「退陣記者会見」に臨んだ。17年4月13日の毎日新聞デジタルの「メディアの戦後史」は、そのときの模様をこう再現している(NHKのアーカイブブスやYou Tubeで見ることができる)。
※「テレビカメラはどこかね」。会見場にびっしりと顔を並べた新聞記者たちを前に(佐藤)首相はけげんそうな顔をした。「新聞記者の諸君とは話をしないことになっていたんだ。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。首相は話が違うといわんばかりにそう言うなり、引っ込んでしまった。
竹下登官房長官の取りなしで首相は会見場に戻ってきた。「そこで国民の皆さんにきょう……」。言いかけると、前列の記者が声をかけた。「総理、それより前に……。先ほどの新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」
「出てください。構わないですよ」。間髪を入れずに首相はテーブルを右手でたたき、大きな音が立った。
「それでは出ましょう」。記者は応じた。一瞬置いて別の記者が「出よう、出よう」と呼応した。ぞろぞろと席を立っていく記者を首相は目を見開いてにらみつけた。
空っぽの会見場で「政界の団十郎」の最後の独り舞台が始まった。NHKのテレビカメラとそのクルーを相手に首相は実績を誇るように演説した。※
このとき、ちょうど私は共同通信名古屋支社から本社社会部に異動し、警視庁記者クラブの捜査第1課(殺人)担当になったばかりだった。2年間の担当だったが、捜査1課長が会見でミスリードをした。そして1課担当の各社の記者が強く1課長に抗議した。しかし、1課長がその抗議を受け入れなかったので、毎日行う1課長の定例会見を上司の刑事部長に代行させるという抗議行動をすることでまとまった。各社の担当記者全員一致の結論だった。2週間ぐらいで刑事部長が音を上げた。1課長から記者側にわびが入り、記者側がこれを認め1課長の会見は復活した。どのようなミスリードだったかは忘れてしまったが、私の記者生活で忘れられない出来事だった。
私が経験した行動は、佐藤首相の退陣会見ボイコットよりもインパクトは少ない。だから、記録に残ってもいない(誰かが書いているかもしれないが)。当時、「記者会見」は記者クラブ主催(これは今も原則は同じ)で記者側が力を持っていた。警察官と市民の代弁をする記者とは立場が違うことをキャップや先輩から何度もたたき込まれた。学生時代、何らかの形で「60年安保」を闘った先輩たちが各社にいたせいもあるのだろう。「マスゴミ」などと揶揄(以前は右翼の言葉だったが、今はリベラルも使う)される今とは状況も違っていた。新聞を中心とするメディアはもう少し〃世間〃から受け入れられていた。今よりも少し尊敬されていた。いずれもすでに「死語」となっている「ブル新(ブルジョア新聞)」や「国家権力」という言葉が生きていた。だから、どちらかというと、権力側よりも、記者の方が元気があった。「今は時代が違う」と言われれば、それまでだ。「記者間の連携」という意味で、クラブ加盟の各社の記者たちは全員一致で、このように行動することができた。もちろん、中にはこのような行動に出るのを快く思わなかった記者もいたのだろう。しかし、不思議と一人の落ちこぼれもなかった。
日本共産党書記局長の小池晃氏は佐藤首相の退陣会見について、ことし3月、安倍首相の会見と比較して「かつての内閣記者会は、総理の不当な要求に一致して抗議し、会見から新聞記者がいっせいに退席した。社会の木鐸であるメディアは、政権に対してこのような緊張関係で臨むべきだ」とツイートしている。ただ、先の毎日記事によると、「全員が出てしまったので首相の独演会を許してしまった。私ならば残って独演会をぶち壊す」という威勢のいい政治部OBもいたそうだ。正論だが、ぶち壊すのは難しいなあ。それよりも独演会を許したNHKの方が問題だ。
首相会見の情けなさ 内閣記者会よどこへ行く
それに比べて今はどうなのか。まず直近の「首相会見」から見てみよう。ただ前提として、コロナ禍により会見への参加人数が絞られるという事情があることも十分に考慮しなければ、公平ではないだろう。
国会閉会翌日の6月18日午後6時、首相官邸で始まった記者会見。この日の3時間前には、首相の側近の1人で元法相の河井克行、案里夫妻が東京地検特捜部に公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕されていた。
安倍首相は「本日、わが党所属であった現職国会議員が逮捕されたことについては大変遺憾であります。かつて法務大臣に任命した者として、その責任を痛感しています」と切り出した。「河井夫妻」の名前すら出そうとしなかった。まるで人ごとのようだった。
この後、プロンプターを見ながらの独演会が始まった。独演会では、コロナ禍が、経済社会に甚大な影響を与えていることを強調。改憲による「緊急事態条項」の創設をアピール。そして「イージス・アショア停止」に「安全保障戦略のありようについて新しい方向を打ち出したい」と「敵基地攻撃能力」容認をにおわせる発言をし「時がくれば、ちゅうちょなく、解散」と述べた。コロナ禍が続いており、「イージス・アショア停止」という失策など大きなテーマにほとんど丁寧な説明はなかった。記者からの問題の核心を突く質問もなかった。野党の延長要求をけって国会を閉会させた理由についても全く触れなかった。国会が延長されれば、野党から「河井夫妻問題」などでまた攻撃されることを嫌がったのだろう。その後の週1回の国会の閉会中審査にも1回も出ていない。
この後、質問に移ったが、場合によっては首相自身の進退にもかかわる可能性のある河井夫妻の逮捕という前代未聞の出来事について、幹事社のフジテレビが「自民党本部から振り込まれた1億5千万円の一部が(買収に)使われたことはないということでいいのか」と質問があった。幹事社なのに、「ない」を前提とした不思議な遠慮がちの質問だった。この後、各社から真相に迫る二の矢、三の矢の質問はなかった。この質問も事前に官邸に提出され、首相はプロンプターで官僚の作った回答を読んだだけだった。さらに首相が支持者向けに発信したい「憲法改正」(産経新聞)、「北朝鮮対応」(NHK)、「ポスト安倍」(日本テレビ)などの質問が続いた。まるで首相を応援しているような質問ばかりだ。そして、会見が「外交日程がある」との理由で終わってしまった。さすがに、官邸側は、手を挙げながら指名されなかった記者やフリーの記者に、後に書面での質問を受け付けたが、後の祭りだった。
安倍首相による安倍首相のための会見
確かに、コロナ禍で会見の出席者は絞られていた。人数が少なかったからといって鋭い質問がなされなかったことの言い訳にはならない。東京新聞の望月記者は7月21日の「現代ビジネス」でこう書いている(望月記者は評論家の佐高信氏との共著「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」=講談社=を最近、刊行した)。
「質疑を見ていてめまいがした。国会議員二人による大規模な買収疑惑は、憲政史上まれに見る大事件。しかも、一人は前法相だ。その質問がわずか一つしか出ないとは。(中略)制止を振り切ってでも追及すべき場面だった。記者の凋落ぶりを示すダメ会見で、これは後世に語り継がれるだろう」
厳しい評価だが、テレビ中継を見ていた私も同じように感じた。記者たちは何でそんなに首相に遠慮しているのか。首相がムキになって反論するような質問はできないのか。相手が嫌がる質問こそ、国民が知りたい問題なのだ。その声を自分たちは代弁しているのだという自覚はないのか。
6月18日の記者会見は、コロナ禍に日本が襲われてから8回目だった。会見は「記者クラブ主催」のはずである。それなのになぜ、経済産業省出身の「官邸官僚」の長谷川栄一首相補佐官が司会をし、記者を指名するのか。このような状況だから、幹事社以外は、首相お気に入りの社の記者が指名されることになる。一部を除いて質問のほとんどが「親安倍」の記者ばかりではないか。私も見ていてイライラが募った。なぜか、この日はNHKが中継を中断していつも登場する岩田明子記者の〃解説〃こそなかったが、「安倍首相による安倍首相のための会見」と言われても仕方のない内容だった。このときから1カ月以上がたったが、首相は記者会見に応じていない。
「学歴詐称問題」都庁記者クラブメンバーは質問せず
次に小池百合子都知事の会見。6月12日午後6時から都知事選再出馬の会見を行った。「ウオッチドッグ21」(6月15日)に「『学歴詐称問題』で質問に丁寧に答えず」で会見のもようを書いたので詳しくは参照してもらいたい。この会見での一番の問題は、30万部を超すベストセラーとなったノンフィクション作家石井妙子氏の著書「女帝 小池百合子」(文芸春秋)が小池氏の「学歴詐称問題」を指摘し、記者会見で小池氏がこの問題にどのように答えるかが、都民が知りたい最大のテーマだった。少なくとも私はそう思っていた。ところが、都庁記者クラブメンバーの質問では、この問題に一切触れることはなかった。フリーの記者がようやく後半になって指名され、やっと質問したが、小池氏はあらためてカイロ大学の卒業証書などを提示する必要はないとの考えを示し、さらに質問を続けようとしたこの記者に対して「一人一問と決まっている」と小池氏自らが質問を遮った。複数あると指摘する人もいるカイロ大学の卒業証書などは後日、小池氏からなぜか何の説明もなく、記者団に公開された。
この問題について、朝日新聞の都庁キャップは7月22日の朝日新聞デジタルで「猛省しなければならない事実がある。本書が(5月末に)出版されて以降、定例会見やぶら下がり取材で、学歴詐称疑惑に関する質問はしばらく出なかったことだ。この疑惑に関する質問が初めて出たのは小池氏の都知事選出馬会見。しかも、質問したのはクラブ加盟社の記者ではなく、フリーの記者だった。(問題が)疑惑にとどまっていたとしても、事実関係の有無を権力者に尋ねる行為を怠った。記者クラブによる権力監視の機能が衰えたと指摘されてもいた仕方ない。そして、それが小池氏の圧勝を後押ししたとの批判が出てしかるべきだ」と〃自己批判〃している。
会見のたびに職員が記者の座席表作り
私はこの会見をYouTube(ユーチューブ)で見て「ウオッチドッグ21」に「プロンプターは使っていない」と書いてしまった。しかし、これは誤りだった。プロンプターは使っていた。ここで訂正しておく。さらに、「ダイヤモンドオンライン」の「小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別、批判的な記者は排除」(7月6日)によると、毎週金曜日は小池氏の定例会見だが、会見のたびに政策企画局報道課の職員が、記者席を何度も見回し、手元の紙にサインペンで、どこの社の記者がどこに座っているかを示す「座席表」を作成。その座席表はいつも、会見開始後15分から20分ごろ、職員から担当理事によって、質疑応答の前に都側からの発表事項についてプロンプターに浮かぶ文字を読み上げている小池知事に手渡される、と実情を暴露している。17年の総選挙で小池氏が「希望の党」を率いて惨敗したが、このとき、惨敗の原因となる「排除発言」の言葉をフリーの記者が引き出した。このことのトラウマになっているのだろうか。小池氏は質問する記者を自分で指名するが、座席表によって、小池氏が記者の顔を知らなくても、批判的なメディアや記者の指名を避けて、厳しい質問を回避しているという。私がYou Tubeを見て間違えたように、さすがにテレビのニュースキャスター出身とあって画面を通じてはプロンプターを読んでいるようには見えなかった。しかし、座席表まで作って質問する記者を選別するとは。
やられっぱなしの会見を活性化するための六つの提言
記者クラブでの「記者会見」のありようは様々である。市民団体が飛び込みで訴えることも多い司法記者クラブのようなものもあれば、首相や閣僚、自治体の首長など程度の差こそあれ「権力者」の会見もある。問題なのは権力者の記者会見の在り方である。安倍首相や小池都知事でみたように、現在のままでは記者たちはやられっぱなしではないか。そこで、どうしたらよいのかを私なりに考えてみた。私は「記者会見」について①記者側が相手を忖度しない、強い批判精神を常に持つ②相手のホンネを引き出す「質問力」を鍛える③普段は競争関係にあっても、二の矢、三の矢とつなげる記者間の連携プレー④会見の主催はクラブなのだから、司会と質問者の指名など会見の仕切りは記者側でやることを原則とする⑤その際に質問は記者単位とし何度でも質問は許される⑥このためには相手側にできるだけ多くの時間をとってもらう(次に予定があるとの理由だけで逃げさせない)-ことなどを考えている。時間的な面については公人は忙しいことも事実なのだから実現は確かに難しいところもあるが、自民党でもかつてかなり長時間応じた閣僚もいたと聞く。
官房長官会見とは別に「オフレコ懇談会(通称オフ懇)」があり、会見よりもオフ懇を重視する記者の姿勢が、かったるい会見の原因になっている可能性がある。これは、「政局記事」を重視する政治部の伝統なのだろうが、市民に説明しにくい取材のやり方は、「癒着の温床」ともなり得る。もう時代遅れなのではないだろうか。だからといって、公務員の「守秘義務の壁」を破る努力を記者が怠るならば、ジャーナリズムの「権力監視」の機能は著しく後退する。検事長との賭けマージャン問題を契機として、夜回り取材や、「記者会見」を含む取材の在り方について、メディア各社だけでなく、新聞協会編集委員会で再検討する必要がある。なぜそのような声が上がらないのか不思議である。
なぜ〃文春砲〃だけが強いのか
このところ政権を揺さぶるような記事は、「週刊文春」による〃文春砲〃しか出にくくなっている。安倍政権も毎週の〃文春砲〃にビクビクしているそうだ。なぜ、記者クラブに記者を配置していない文春砲は強いのか。おそらくアンテナの張り方と「内部告発」が入ってくるシステムにあるのだと思う。「特ダネが特ダネ」を呼ぶということなのだろう。週刊誌は大手新聞や通信社、NHKに比べ記者の数も少ない。少数精鋭主義やこれはと狙った獲物には動員をかけて集中的に取材する。張り込み要員も惜しまない。「調査報道原理主義」だともいえる。まんべんなく官庁などに人を配置する大手メディアとは重点の置き所が違うことが特ダネ連発の理由だろう。いま、大手メディアに求められているのは、悪しき伝統は捨て、良き伝統は残すことである。新聞は著しい発行部数の低下に見舞われ、テレビの広告収入も落ちている。重点はどんどんネット報道に移っている。どのメディアも、生き残るのが大変な事態となっている。いまのところ、特効薬はないが、少なくとも権力にすり寄ることでは解決しないのは確かだ。記者会見は、その在り方を根本的に変える時期にきている。そのためには、まず現場の記者たちが変わる必要がある。