首相と記者のソーシャルディスタンス 「もっと距離を」 前共同論説副委員長の首相補佐官就任とパンケーキのオフレコ懇談会、その後の記者会見まがいの〃グループインタビュー〃について考えた

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 菅義偉内閣の首相補佐官という要職に、10月1日付で就いた共同通信社前論説副委員長の柿崎明二氏。自民党総裁選中に以前から取材で食い込んでいた菅氏から誘われて、直前まで 報道機関にいた人物が政権を守る側の事務次官級の「官邸官僚」に突然、大変身した。柿崎氏は、TBSやフジテレビの情報番組に頻繁に登場。その穏やかそうなマスクでたびたび安倍晋三政権に批判的なコメントをしていた。私から見れば、柿崎氏はごくまっとうなコメンテーターだったと思う。

 一方、記者クラブの〃総本山〃の官邸記者クラブ「内閣記者会」に所属する記者たち。政権が「学者の国会」といわれる日本学術会議の新会員候補者6人の任命を拒否したことが明らかになった。にもかかわらず、正式な記者会見も行われていないのに、3日朝、問題の最大の責任者である菅首相と「パンケーキ」を食べるオフレコの懇談会に多くの記者が参加した。菅首相がパンケーキ好きとはいえ、記者たちはあまりにものんきすぎないか。政権に対する緊張感が全く見えない。

メディアはその経緯を明らかにすべきだ

 この後の5日夕、菅首相は「インタビュー」と称するこれまでに個別のメディア以外ではあまり聞いたことがない〃記者会見〃かと見まがうやり方で対応した。菅首相は官邸が内閣記者会の常勤幹事社から選んだらしい3社の記者たちとのグループインタビューに臨んだ。学術会議の会員候補任命拒否問題について、「事実上、現在の会員が自分の後任を指名することも可能な仕組みとなっている。こうしたことを考え、推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」と述べて、首相自らが任命拒否に関わったことを示唆した。また、肝心の拒否の理由は明らかにしなかった。菅氏が就任以来打ち出している「悪しき前例主義の打破」に結びつけて、「拒否は正当だ」と一方的に国民に訴える内容となっている。

 このインタビューは、テレビで放映されたが、質問したのは3人なのに、画面の手前側に記者会の他の記者がぎっしりと座っており、見た人は「記者会見」と勘違いする。だれが、こんなやり方を考えたのか。メディアはその経緯を明らかにする報道をすべきだ。

 メディアの役割は「権力の監視だ」という言葉を改めて記者たちはかみしめてほしい。私自身、もうリタイアしてから15年も前のことになるが、共同通信という大手メディアに所属し社会部時代は記者クラブ取材にどっぷりとつかった身である。このような総理とメディアの間でおかしなことが新政権となり三つも重なったことに、「自分のことは棚に上げて」などと言われることを恐れずに、あえて言う。

 こんなことをやっていて、メディアとして国民の信頼は得られるのか。ジャーナリストとしての矜恃はどこにいった。本当にメディアは大丈夫か。

 柿崎氏の政権への取り込みについては、「米国などではジャーナリストから政権入りするケースはいくらでもある。これで日本も米国並みになった」と評価する向きもある。また、懇談会についても「この程度はいいではないか」という見方があることは知っている。しかし、これまで、安倍政権下で菅氏が官房長官時代にやってきた陰湿な「メディア統制」を考えると、失礼ながら、柿崎氏は「補佐官の持つ強大な権力」というアメに釣られて政権に取り込まれたとしかみえない。はっきりとした目的はわからないが、こんな芸当ができる菅氏はやはり恐ろしい。懇談に集った政治記者たちの振る舞いも、首相との距離が近すぎて「ズブズブの関係」にあるのではないか、と多くの心ある人たちはみていることにも気づいてほしい。私もこの状態を「やはり、よろしくない」と考えている。そこで、私が「よろしくない」と思う、首相と記者たちのソーシャルディスタンスについて考えた。

菅氏の陰湿な「メディア統制」 岸井成格氏に起きたこと

 安倍政権への辛口批評で知られる評論家佐高信氏が語る、毎日新聞政治部出身のキャスター岸井成格氏への菅氏の嫌がらせともみられるあるエピソードがある。インターネットのブログ「ハーバー・ビジネス・オンライン」の「菅義偉政権で言論統制はより陰湿化する危険性」(9月22日)によると、佐高氏と岸井氏は慶応大学時代からの友人で、これは2018年に亡くなる前に岸井氏から聞いた話だという。

 岸井氏が安倍批判を強めていた15年の春先、官房長官だった菅氏は突然、岸井氏の私的な勉強会に現れ、終わりまでいて「良い勉強になりました」と言い残して帰っていった。この年の秋に岸井氏がキャスターを務めるTBSの「NEWS23」で安保関連法案を批判すると、安倍首相の応援団が名前を連ねた「放送法遵守を求める視聴者の会」が読売新聞と産経新聞に1面広告を出して、岸井氏の発言は放送法の規定に対する「重大な違反行為だ」などと名指しで個人攻撃を加えた。翌16年には、岸井氏はキャスターを降板になった。「岸井攻撃の黒幕は菅氏だったのではないか」と佐高氏は指摘する。

 佐高氏の指摘は、残念ながら、いずれも状況証拠でしかない。菅氏ならば「指摘には当たらない」としゃあしゃあと言い抜けるに違いない。ただ私的な勉強会に現職の官房長官が予告なく現れ、じっと話に聞き入っていたというだけで、岸井氏にとって〃無言の圧力〃になったであろうことは想像がつく。普通ならば、事前に連絡して了承を得るのが筋だろう。佐高氏は「これほど菅氏の陰湿さや陰険さを象徴するエピソードはない」と言い切る。

 佐高氏によると、菅氏は第1次安倍内閣の総務相時代にも①放送法を改正して放送事業者に対する罰則規定を盛り込もうとした②総務省の下にテレビ番組の内容を監視する第三者委員会を作ろうとした③NHKの番組編集に介入したりした、という。また、官房長官時代には、15年にテレビ朝日の「報道ステーション」でコメンテーターの元経産官僚の古賀茂明氏が、イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人拘束事件で、安倍首相(当時)の対応を批判して「Iam not Abe」というプラカードを掲げた際に、番組のプロデューサーに直ちにクレームを付けたのも菅氏の秘書官だった。官房長官会見で東京新聞の望月衣塑子記者に対し司会者を通じて質問妨害を繰り返したことは周知のことであろう。

共同の加盟新聞社からも一部「懸念」の声

 柿崎氏はもちろん、これらの菅氏の「メディア統制」を知らないはずはない。柿崎氏は10月1日、首相補佐官に就任した。官邸で辞令を交付された後、記者団の取材に応じた。前日まで共同の職員だったのだから、たった1日で取材者から取材を受ける側に立場が変わったことになる。柿崎氏はまず「メディアからの転身なので、いろんな受け止め方があると思うが、それを踏まえて、結果を出せればと思う」と述べた。その上で、記者団から「報道機関から直接就任したことに対し批判もあるが」との質問に「私がこういう立場ではなくて、他の人がそうなれば、同じように思うと思う。批判するだけでなく、『こういう風にした方がいい』ということもある。その部分ができればいい」と答えた。柿崎氏はかなり悩みに悩んだろうし、親しい人に相談もしたのだろう。4人いる首相補佐官の中で「政策の評価・検証」を担当するという。補佐官の2人は政治家で、1人は国土交通省出身の和泉洋人氏である。和泉氏は,安倍政権から引き続き補佐官を担当する菅氏の側近中の側近で」、出張中の女性審議官との不倫を疑わせる週刊誌報道の「コネクティングルーム」で話題となった

 柿崎氏は、早大卒業後、毎日新聞を経て1988年に共同通信に入社。政治部員から編集委員を務め、論説副委員長になり、9月30日付で退職した。菅氏とは、野中広務氏(故人)に1996年に衆院議員に初当選した菅氏が将来有望だと知らされて接近。柿崎氏が秋田県横手市、菅氏が南隣の湯沢市出身とあって懇意になった、といわれる。文春オンライン(9月30日)によると、共同通信社は常務理事編集担当、編集局長、論説委員長名で、加盟社の編集・論説担当者宛に9月26日付で事情を説明する文書を出した。それによると、柿崎氏は9月8日に告示された自民党総裁選の最中に、菅氏から補佐官就任の打診を受けたという。この後、「菅氏の要請を受諾したい」として内閣発足の9月16日付で退職届が柿崎氏から出された。

 文春オンラインの記事では、共同通信社は直ちに柿崎氏を論説資料などの執筆から外し、柿崎氏が数カ月間に執筆した記事について調査。その内容を点検したところ、「菅氏に対する公正性を疑われるような内容はなかった」と結論づけた。その上で「報道機関の重要な責務の一つは権力の監視です。(中略)菅政権に対しても公平な立場で取材、出稿を続けます」と書かれている。共同通信としては、当然の対応で、加盟社だけでなく、ネットの「47ニュース」で一般読者や視聴者にもこのことを知らせた方がよかったのではないかと思う。

 共同通信加盟新聞社の反応では、10月3日付の東京新聞は「こちら特報部」で「報道不信につながる懸念 監視から一転政策に関与」との見出しで「政権を監視するのが役目だったはずなのに、メディア全体の信頼を失いかねない、との意見もある」と厳しく論評した。また柿崎氏 と菅氏の地元の秋田魁新報は、9月30日付で「横手出身・柿崎氏、菅政権でメディア対策か 『報道不信招く』と懸念も」との記事を掲載した。秋田魁新報は、イージス・アショアの配備問題をめぐる報道で19年度の新聞協会賞ニュース部門を受賞している。

 柿崎氏と私は16歳も違うだけでなく、出身がそれぞれ政治部と社会部で取材でも接点はなかった。菅氏よりも枝野幸男立憲民主党代表にかなり食い込んでいた記者として知られていた、という報道もある。柿崎氏は以前、「報道する人間は権力の監視の役割を担う」と雑誌に書いたこともあるようだ。また、15年に護憲派の憲法学者、水島朝穂氏からもブログで高い評価を受けた著書「検証 安倍イズム」(岩波新書)でこう書く。

 「今、特定秘密保護法が施行され、マイナンバー制も始まった。情報をめぐる国家と国民の非対称性はこれまでになく強まっている。かつてのような強制的でない、新しい形で国家主義が胎動しつつあるように感じる」

 柿崎氏は時の政権や野党党首に食い込み、かなり近い距離にあったということなのだろう。来年60歳の定年を迎えるはずなので、きっと人生の転機だと考えたのだろう。就任時の会見で「『こういう風にした方がいい』ということもある」と語っている。やや分かりにくい表現だが、菅氏にもこれまでに作った関係で自分ははっきりものを言える立場であることを強調したかったのかもしれない。正直言って、私は菅氏が人の言うことを素直に聞いて、考え方を直すような人物ではないと思っている。だから「報道不信への懸念」なのだ。まさかと思いたいが、政権に取り込まれた上、「メディア統制」の手兵に使われることだって考えられる。そのときはきちんと反対して、その事実を国民に明らかにしてほしい。それこそがジャーナリストの矜恃である。

朝日、東京、京都が内閣記者会懇談会に不参加

 次に、内閣記者会の菅首相との「パンケーキオフレコ懇談会」。首相動静によると、3日午前7時24分、東京・神宮前のレストランで菅氏が大好きなパンケーキを食べる内閣記者会所属の記者たちとの懇談会が開かれた。約1時間半。参加者数は明らかにされていない。2千円の割り勘だったらしい。学術会議の会員候補6人の任命拒否が1日に明らかとなったが、菅首相は2日のぶら下がりで、記者団の質問に「法に基づいて適切に対応した結果だ」と一言答えたのみ。9月16日の就任時以来、正式な首相記者会見はない。1日に記者団は任命拒否について会見を申し入れたが、官邸側は官房長官会見が行われていることを理由にことわったという。朝日新聞、東京新聞、京都新聞の3社は「懇談ではなく、記者会見できちんと説明してほしい」などとして懇談会を欠席した。当然だろう。

 政治部OBに聞いてみたが、このような形での首相と内閣記者会との懇談会など聞いたことがない、という。安倍首相もメディア各社のトップや官邸キャップとの「キャップ懇談会」などをやってきたが、早朝にオフレコ懇談会などということはなかったという。菅氏にとっては、記者たちへの就任あいさつの代わりぐらいに考えたのかもしれないが、私には露骨な〃メディア懐柔策〃にしか見えない。その時期も悪すぎた。内閣記者会ははじめから菅政権になめられていることに気づくべきだ。

ネットメディアでは、〃偽装記者会見〃との指摘も

 そして、5日午後5時半から約30分行われた「グループインタビュー」。朝日新聞は10月6日付朝刊で、1面の「首相、主体的関与を示唆」の見出しの記事の末尾に、簡単にこの会見について以下のように説明している。

 「インタビューは首相官邸に取材を申し込んだ各社で行われ、この日は読売新聞、日経新聞、北海道新聞の記者が質問。他の内閣記者会の記者は傍聴する形式で行われた。朝日新聞も取材を申し込んでおり、インタビューは今後も開催が検討されている」

 朝日新聞のこの説明だと、記者会見と異なり、記者クラブの主催ではなく、首相官邸がインタビューを申し込んだ各社の中から3社を選んだのだろう。日本学術会議の問題で大揺れになっているのに、記者会見ではないので、テレビ中継も動画配信サイトYouTubeで生配信されることもなかった。私は夕方の民放テレビのニュースを見たが、初めは菅首相がやっと記者会見したのかと思ったぐらいだった。学術会議問題では、北海道新聞の記者が質問したが、画面に出ているのは、首相の一方的なコメントばかり。よく見ると、中央の菅首相を囲んだテーブルに3社の記者が座り、やや離れた後ろの方にその他の社の記者が座る。ちょっと見には、まるで菅首相が記者会見しているように見えた。

 5日のネットメディアの「リテラ」や「日刊IWJガイド」、6日の日刊ゲンダイデジタルによると、このグループインタビューには、内閣記者会の常勤幹事社19社が同席。事前登録の記者29名が別室で音声のみを傍聴できた。傍聴室には常勤幹事社19社の記者が参加するので、フリー記者は10名が抽選で選ばれたという。写真撮影を許可されたのもインタビューした3社のみ。動画撮影はクラブ加盟の2社だけに許された、という。

 リテラは「グループインタビューなのにテレビは菅首相のコメントだけを放送、記者会見に偽装」と書いた。ジャーナリストの神保哲生氏は5日「菅首相が今日から内閣記者会を対象に3社ずつグループインタビューなる不思議な催しを始めるんだって。どうしても会見はやりたくないのね」とツイートした。これでは〃偽装記者会見〃といわれても仕方がない。

 安倍前首相も記者会見を嫌い、各社との個別のインタビューを好んだ。個別のインタビューならば、二の矢、三の矢の質問が記者から飛んでこないからだろう。また、各社も「単独インタビュー」となると、まるで特ダネのように大きく報じるということもできる。2017年5月3日の安倍氏の「憲法改正」をアピールする読売新聞の首相インタビュー報道を思い出そう。あのとき、安倍氏は5月8日の衆院予算委員会で、野党議員に憲法改正への見解をただされ、「自民党総裁としての考え方は詳しく読売新聞に書いているので、熟読していただければいい」と答えた。このやり方だと、当初は各社平等で順番だったはずが、いつの間にかその対象が政権に寄り添うメディアばかりになっていく。また、政権がインタビューの相手メディアを選ぶこともできる。

 今回は3社のグループインタビュー。これも菅氏が自分にとって都合の悪い質問をできるだけ避けるための「メディア統制」だと思う。官邸側からこの方式をどのように持ち出され、内閣記者会は官邸とどのような交渉をしたのか。記者クラブ内で議論はあったのか。「コロナ禍で三密を避けた」との言い訳もできそうだが、それだけでは説得的な理由とはならない。言わずもがなではあるが、十分な時間をとった正式な記者会見を求めていくことこそが「国民の知る権利」を担ったメディアの責任であろう。