学者を代表すると国が認める団体から推薦された新会員のうち6人の任命を拒否。こんな露骨な攻撃が、どのような反響を呼ぶか。菅政権は深く考えていなかったのではないかという思いがぬぐえない。菅義偉首相をはじめとする閣僚、自民党員たちの言動は、学術に対する関心の低さを露呈したといえる。さらに、政策決定に中立的な科学的助言機関が重要な役割を果たすという主要先進国では当たり前の常識が欠落していることも。その根底にはもともと行政府、立法府、司法府さらには国民全体にも学術や科学者に対する期待と敬意が高いとは言えない状況がある、と筆者は見る。
英国の科学誌「ネイチャー」も、「政治家が学問の自律や自由を後退させている」例の一つとしてこの出来事に言及した論説を10月8日に掲載している。この問題が尾を引けば、日本の学術、科学者の置かれた状況に対し、主要国科学者たちからは同情すら寄せられかねない。そんな懸念すら持つ。
標的は軍事的安全保障研究に関する声明か
10月8日、文化放送の早朝番組に出演した佐藤正久自民党外交部会長(前外務副大臣)は、日本学術会議が2017年3月に公表した「軍事的安全保障研究に関する声明」に攻撃の矛先を向けた。2015年度に始まった「安全保障技術研究推進制度」によって公募・採択された研究に対し「学術会議の幹部が北海道大学の総長室に押しかけて研究を控えさせた」と批判した。さらに中国科学技術協会と日本学術会議が2015年に取り交わした協力覚書もやり玉に挙げている。「中国共産党、国防部と関連ある組織と研究協力の覚書を結び、中国の軍につながるところで日本人が研究しているし、人民解放軍に関係する中国人を受け入れている日本の大学もある」と。
中国科学技術協会は430万人余の会員から成る科学技術者の団体だ。科学知識と科学思想・方法の普及を促進し、科学技術者の意見と要求を反映し、国家の科学技術政策・法規の制定や国家事項の議論などに参与することなどを活動目的に掲げる。日本には類似の団体が見当たらないような巨大な民間組織だが、中国に関心のある人以外、まず存在を知る日本人は数少ないと思われる。
元陸上自衛官ともなるとえらい細かいことも知っているものだと思い、佐藤氏のツイッターをみてみた。種本があるのに気づく。国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)のホームページに掲載されていた「学術会議こそ学問の自由を守れ」と題する奈良林直北海道大学名誉教授の寄稿内容にほとんど同じことが書かれている。ただし、奈良林氏は、中国科学技術協会との覚書取り交わしについては、「日中学術協力の抜本的見直しが必要ではないか」と主張しているだけ。覚書によって生じているとして佐藤氏が挙げた具体的事例は、佐藤氏が独自に調べたか、奈良林氏とは別の人から得た情報を基にしているようだ。
奈良林氏が批判し、佐藤氏が重ねてやり玉に挙げた日本学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」は、「安全保障技術研究推進制度」について、「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と大きな懸念を示している。軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について審査する制度やガイドラインの設定を大学や学協会に求めているところも、事実上、この制度での研究不参加を強いたとして、奈良林氏や佐藤氏には気に入らないところだったのだろう。
それにしても「日本学術会議の幹部が北海道大学の総長室に押しかけて…」というのは、穏やかでない。「軍事的安全保障研究に関する声明」作成の中心となった日本学術会議安全保障と学術に関する検討委員会の委員長、杉田敦法政大学法学部教授に確かめてみた。「そんな事実は全くない」。杉田氏から怒りに満ちたメールが返ってきた。奈良林氏の寄稿では「M教授」と書かれている研究者がどうも村井祐一北海道大学教授らしいと考え、村井教授本人にもメールで問い合わせたところ「私の研究プロジェクトは学術会議の宣言と、それによる総長と理事の判断で、私が了承したうえで取り下げた」ということだった。日本学術会議と総長の間でどのようなことがあったかは知らないという。
この原稿を書くにあたって、奈良林氏の寄稿を見直してみた。記事の末尾に以下のような「訂正」が載っていた。「当初の原稿では『学術会議幹部は北大総長室に押しかけ、ついに2018年に研究を辞退させた』としましたが、学術会議幹部が北大総長室に押しかけた事実はありませんでしたので、『学術会議からの事実上の圧力で、北大はついに2018年に研究を辞退した』と訂正します」。
自民党、政府、マスメディアも共同歩調
「軍事的安全保障研究に関する声明」に関しては13日、井上信治科学技術担当相も報道各社の共同インタビューで批判している。共同通信によると、井上氏は「考え方を尊重するが(研究成果を軍民両面で利用する)デュアルユースは、どの分野でもあり得る」と言っている。
一方、中国科学技術協会との覚書取り交わしについては、日経新聞13日朝刊に甘利明自民党ルール形成戦略議員連盟会長の次のような発言が載っている。「学術会議は中国技術協会と研究者の交流などで交流する覚書を結んでいる。なぜ日本の安全保障研究を拒否し外国の防衛研究につながりかねないものに理解を示しているのか説明してほしい」。翌14日には自民党の学術会議の在り方を検討するプロジェクトチームの役員会が初会合を開いている。
さらに15日発売の週刊新潮は「日本の科学技術を盗む『中国千人計画』 『学術会議』会員もいる!」という特集記事を載せた。京都大学名誉教授と東京大学名誉教授がそれぞれ哈爾浜工程大学と北京航空航天大学で教えていることと、これら2大学が「国防七校」の指定大学であることなど紹介し、日本人の研究が中国で軍事転用される危険があると指摘している。中国科学技術協会はこの記事の中でも取り上げられている。「同協会が中国政府直属のアカデミーである中国工程院と提携しており、中国工程院は中央軍事委員会ならびに人民解放軍が管轄する軍事科学院と盛んに人的交流や情報交換を行っている」という関係を挙げて、中国科学技術協会と日本学術会議の協力覚書に対する懸念を示している。この辺りは佐藤正久議員の主張にそっくりだ。
菅政権、自民党、日本学術会議を快く思わない科学者さらに一部のマスメディアも加わった相次ぐ攻撃から、菅政権による日本学術会員6人任命拒否の理由が浮かび上がってくる。実は最初に報道された時点で、見抜いていた学者がいる。阿部博之元東北大学総長だ。機械工学者としての実績は米国工学アカデミーの外国人会員に選ばれていることからも明白だが、東北大学総長として数々の大学改革を成し遂げ、科学技術政策の司令塔とも言われる総合科学技術会議(現総合科学技術・イノベーション会議)の議員としても、科学技術予算増などに大きな役割を果たしている。
「『軍事的安全保障研究に関する声明』を出したことと、それによって事実上、防衛省からの研究費を大学の研究者がもらえなくなったことに有力な自民党議員たちが怒っていた」。阿部氏はこのように語り、6人拒否の背景にこの声明があったことは間違いないとの見方を示した。ただし「今回の出来事を、学問の自由に結びつけるのは無理がある。学問の自由というのはもっと大きなテーマ」であることも強調している。阿部氏の直近の主要な活動は、2016年5月から今年6月まで務めていた日本工学アカデミー会長として、科学技術政策に対して積極的な提言を行ったことだ。「緊急提言-わが国の工学と科学技術力の凋落をくい止めるために-」を2017年5月と2019年6月の二度にわたって公表し、科学技術政策担当相、文部科学相などに提言を手渡し、早急な対応を求めるなど、提言の実現に向けて積極的な活動をしている。
こうした活動を通じ、多くの有力国会議員と意見交換する機会も多いため、日本学術会議が「軍事的安全保障研究に関する声明」を出したことに対する自民党の怒りの大きさもよく知るというわけだ。菅政権と自民党、一部の研究者・マスメディアによる日本学術会議攻撃は、今後も続くと見るのが妥当だろう。
海外主要国の科学アカデミーとの違い
日本学術会議はどう対応すべきか。欧米主要国の代表的科学アカデミーのように政府から独立した機関を目指すべきだ、と筆者はかねてから考えていた。ただし現実には、これは難しい。9月まで日本学術会議副会長を務めていた渡辺美代子科学技術振興機構副理事も「いつかは独立の機関になった方がよいと思うが、今すぐは無理」と語る。渡辺氏は副会長在任中に米国、フランス、オランダ、ハンガリー、南アフリカを訪ね、さらに来日したポーランドアカデミーの会員から、これらの国の科学アカデミーがすべて政府から独立した機関であることを確認してきている。ただし運営費の6~10割を政府が支援しており、会員の会費を集めて運営しているような機関はないという実態も知る。
阿部氏の見方も同様に悲観的だ。「政府だけでなく科学者自身にも欧米のような科学アカデミーが必要だという認識は脆弱。日本全体を見ても弱い」。さらに日本の科学者には、むしろ政府機関の中で活動することを喜ぶ人が多い実態を次のような表現で明かした。「学術会議の新会員が首相から辞令を受け取る儀式があるが、これに出ることを多とする会員もたくさんいる」。こうした指摘は、だいぶ前に元日本学術会議会長の黒川清氏から聞かされたことと符合する。「日本学術会議は真に独立・中立の機関となるべきではないか」という筆者の質問に対する黒川氏の答えは次のようだった。「日本学術会議が政府の機関だから会員をやってもよいという人間が大半」
それにしてもこうした状況は変わりようがないのだろうか。阿部氏は日本学術会議が変わり得たのは2003年だったとみている。阿部氏が日本学術会議の会員を3期務め、会員のまま総合科学技術会議議員に就任したのが2003年1月。総合科学技術会議は、それまであった科学技術会議の権限を大幅に増強する形で2001年に設置された。科学技術政策の立案・推進機関として首相が議長を務め、主要閣僚のほか、学界と産業界から7人が有識者議員として名を連ねている。阿部氏の就任前から議論が進んでいたのが、日本学術会議の在り方だった。日本学術会議にとっても、総合科学技術会議の誕生は大きな出来事だった。法律にも明記されている任務の相当部分が総合科学技術会議の役割とされたからだ。実際に重要な科学技術や学術政策に関する政府からの諮問はほとんど総合科学技術会議に出されることになり、日本学術会議への諮問は2006年を最後に全くない状況が続く。
政府から独立のチャンス逃した学術会議
日本学術会議の在り方に関する検討のために総合科学技術会議は、議員の法学者、石井紫郎東京大学名誉教授を委員長とする専門調査会を設け、外部の学者、ジャーナリストも専門委員として議論に加わる。石井氏が強く主張したのが、日本学術会議を政府機関ではなく、独立・中立の機関とすることだった。総合科学技術会議や審議会という組織とともに、政府から独立した機関が必要という考えで、阿部氏も同じ意見だ。しかし、2003年2月に小泉純一郎首相(当時)も議長として出席していた総合科学技術会議本会議で了承された「学術会議の在り方に関する報告書」に石井氏らの主張は盛り込まれていない。逆に「全くの民間の組織とすることも適当ではない」という記述が入った。
当時、専門調査会の専門委員として議論に加わっていた田村和子共同通信客員論説委員は、苦い思い出を明かす。「中間まとめと最終報告の違いにあぜんとした記憶がある」。阿部氏は「吉川弘之氏らによる政府機関である方がよいという意見が最終的に通った」と解説する。吉川氏は当時日本学術会議会長。日本学術会議会長は、総合科学技術会議議員も兼務するので、発言力は大きかったということだ。「中間まとめ」には「より独立した設置運営形態についてさらに検討する」という記述が入っていた。しかしこの「中間まとめ」の内容を石井氏が説明した2002年11月の総合科学技術会議本会議で吉川氏は「日本学術会議は現行のように国の特別の機関であることが望ましい」と石井氏の主張に真っ向から反対する発言をしている。
興味深いことは同じ会議で当時、日本学術会議を所管する片山虎之助総務相も吉川氏の主張に同調する発言をしていることだ。「日本学術会議は、現行法で国の特別な機関と位置付けられており、この法的位置付けを変える必要はないと思う。国の特別な機関だからこそ張り切ってやっているというところがあるので、これはぜひ維持していただきたい」。日本学術会議と総務省の考えは一致していたということだ。
結局、日本学術会議は、総合科学技術会議の最終報告書に沿った形でいくつかの改革を実施した上で、2005年7月、黒川清氏を会長に再選出し、再出発した。この時新しく取り入れられた新会員は現会員が推薦した中から選ぶという選出法も、今、菅政権と自民党から批判されているのは皮肉と言えよう。小泉首相以下重要閣僚が議員として出席した総合科学技術会議本会議で了承された「学術会議の在り方に関する報告書」に盛り込まれていた選出法だからだ。
政府機関としての存続、内閣府有識者会議も追認
日本学術会議が、政府から独立した機関に変わりうるチャンスはその後もあった。内閣府に設けられた「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」(座長:尾池和夫元京都大学総長)が、再出発して10年たった時点で、あらためて日本学術会議の在り方を検討したのだ。しかし、2015年3月20日に公表された報告書「日本学術会議の今後の展望について」の結論は、組織形態の変更は必要ないとするものだった。「国の機関でありつつ、法律上独立が担保されており、かつ政府に対して勧告を行う権限を有している現行の制度を変える積極的な理由は見出しにくい」と。
元東京大学総長の吉川弘之氏に続き、元京都大学総長の尾池和夫氏が「学術会議は政府機関の方がよい」としたのだから、日本学術会議が自ら変わることはあり得なかったということだろう。こうした経緯を見ると、機会はないことはなかったが、肝心の科学者の方に欧米主要国では当たり前となっている政府から独立した科学アカデミーと同じような組織を持ちたいという気持ちが希薄だったということになる。
政府は金を出すが口は出さない。こうした欧米主要国のような科学アカデミーが必要、と菅政権が考えるとはまず思えない。真に独立・中立の科学アカデミーを持つことが日本にとって重要な意味を持つ、と多くの日本国民が気づかない限り、日本学術会議の前途も暗いままだろう。