「日本学術会議の会員任命拒否」菅首相に批判集中しない根底に官尊民卑の思想 これでよいのか立法府とアカデミアの関係 ようやく出てきた連携の動き

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 しばらく目にしたことがなかったなあ―。日経新聞の「私の履歴書」欄で11月に連載された小宮山宏三菱総合研究所理事長の記事を読んで、そんな感想を持った。「官尊民卑」という言葉が出てきたからだ。新聞、放送で連日のように報道されている割には、日本学術会議の会員6人の任命を拒否した菅義偉首相に、国民の批判が集中しているようには見えない。そうした現況の根底に、菅首相に限らず官が民より偉いとみる日本社会の根強い伝統がありはしまいか。さらに民になり切れないアカデミアのこれまた長年変わらない現実も…。そんな思いにもかられた。

小宮山元東大総長への助言

 小宮山氏の記事中の「官尊民卑」は、次のような文脈の中で使われている。東京大学総長の任期が終わりに近づき、次の仕事を考えていた時、株式会社三菱総合研究所の理事長にという話が寄せられた。最終的にそれを受け入れるのだが、その折に助言してくれた人の言葉の中にあったのが「官尊民卑」。日本社会はまだまだ「官」を上に見るから、三菱総合研究所のような「民」に行くのがよいかどうかはよく考えた方がよい、という意味で用いられた言葉だ。

 「官尊民卑」から思ったことをもう一つ。昨年開かれた日本学術会議主催のあるシンポジウムで、小林傳司大阪大学副学長が話していたことだ。大阪大学をはじめとする旧国立大学は、2004年に文部科学省の機関から国立大学法人となった。この結果、大阪大学の事務職員たちが落胆したというのである。国家公務員でなくなったためにだ。国立大学の事務職員が国家公務員という身分を失ったからといって気にする人は、当の事務職員たちにも一般の人間にもあまりいないのでは。そう考えるのは東京に住んでいる「民」であって、「官」側の人間は違う。とりわけ東京以外の土地では大阪という大都市圏ですら、ということだろうか。

 くどいようだが、40年以上前にさかのぼる話をついでに紹介する。文部省と合併して文部科学省になる前の科学技術庁を拠点に取材活動をしていた当時、ある課長にこう聞いてみたことがある。「日本は国会と比べて省庁の力があまりに強すぎるのでは?」。あっさりと否定されてしまった。「米国の方がよほど強い。議会が決めたことを大統領が拒否できるのだから。日本は国会が決めたら省庁はその通りするほかない」。米国の事情に疎いため二の矢は継げずに引きさがらざるを得なかった。大統領の拒否権というものがあり、これを再度議会がひっくり返すには3分の2以上の賛成が必要。従って大統領の拒否権というのは日本にはない行政府の大きな強み、と知るのはだいぶ後のことだ。

 ただし、課長の言葉を額面通りに受け取ったわけではない。その課長に限らずキャリアと言われる官僚たちが、閣僚あるいは特別に影響力の大きな与党議員以外の国会議員一般に対し、それほど大きな恐れや敬意を抱いているようには見えなかったからだ。その課長自身、別の懇談時に漁業団体を支持基盤とする国会議員を「お魚屋さん」と呼ぶのを聞いたことがある。

福島原発国会事故調査委員会は例外

 前置きが長くなったが、本題に移る。日本学術会議の会員6人の任命拒否は、菅首相だけでなく特に安倍晋三政権から続く、行政府の科学者、アカデミア軽視を露呈した出来事と筆者はみている。ただし、今回は、立法府にもさらに輪をかけた科学者、アカデミア軽視が根付いているということについて考えてみたい。まず、以前の拙稿でも記したが、アカデミアとは何かということをあらためて説明させていただく。再び公益社団法人日本工学アカデミーの報告書の中で記されている次のような定義を借用する。「広く学界(学究的世界)を意味し、学界に関係する個人、団体などを漠然と指すか、もしくはそれらを総称する」

 立法府のアカデミア軽視の根底に、そもそも日本では立法府が行政府と同等な影響力を持つ必要がなかったという現実があるのではないだろうか。同じ議院内閣制でも英国のように与野党間で何度も政権交代が起きたわけでもない。ほんの一時期を除き自民党が国会で主導権を握るのが常態化している。自民党の議員が政策に影響力を行使したいときは、自民党の部会の中で議論し、それぞれ関係する府省に圧力をかけて政策実現を図るというやり方が定着している。

 筆者自身の経験では、とっくに開発の意義が無くなっていた原子力船「むつ」の開発中止も、こうした手順でようやく決まった。放射線漏れ事故を起こした後、ずるずる開発プロジェクトだけが維持されたおかげで、科学技術庁職員だけに限ってもいかに多くの労力が費やされたか。さらに国の予算も。ある時、開発計画中止を望む担当室長に頼まれ、「むつ」はもし座礁して船が傾くと原子炉も傾くため、燃料体上部の一部が冷却水の水面上に露出して炉心溶融が起きてしまう、なんて話も確か記事にした。しかし、開発が中止されたのは何年もたってからだった。行政府が決めて走り出した国家プロジェクトを行政府以外の力で途中でやめさせるのがいかに困難か、と思ったものだ。

 昔も今も、自民党議員が国会で行政府とまともな論戦をする見返りはそれほど大きくない。野党議員は論戦で政策実現を図るのは現実的に困難だから、批判や主張を行政府にぶつけることで存在意義をアピールすることに重きを置いている。これが現実ではないだろうか。

 2011年3月に起きた福島第一原子力発電所事故の際、政府は外部有識者から事故調査委員会を設置した。さすがに国会も独自の調査が必要と考え「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」を制定、国会に事故調査委員会を設置し、委員会は事故の原因と対応についての評価と原子力政策に対する見直し提言を行った。委員に任命されたのは、日本学術会議会長などを務めた医学者の黒川清委員長以下、さまざまな専門家から成る国会外部の有識者。重要な問題について、国会が国会の責任で原因究明にあたり、今後の対応策を提言する。当たり前に見えることが起きたのが、日本では後にも先にも福島第一原発事故だけというのが現実ということだ。その福島第一原発事故調査においても、報告書に盛り込まれた提言に対するその後の国会の対応は甚だ不十分、と黒川氏の不満は大きい。

議会に科学技術評価機関持つ欧米主要国

 そもそも日本の立法府は、欧米先進国に比べ独自の調査機能が貧弱だと言われている。衆議院、参議院とも常任委員会に調査室が置かれており、議員からの調査依頼に対応してはいる。ただし、科学技術に詳しい職員はほとんど配置されていない。国立国会図書館の文教科学技術課科学技術室も議員からの依頼に応じ、文献調査を行っている。こちらも理系の職員は限られている。与党議員であれば科学情報を得たい場合は、府省に問い合わせる手があり、実際にそのようにしている議員は多いといわれる。しかし、野党議員は衆参両院の常任委員会の調査室や国立国会図書館に聞くことが多いので、こちらに理系の職員がほとんどいないか少ないというのは、立法府としての調査機能が行政府に比べるとはるかに見劣りするということだ。

 日本工学アカデミーが8月に公表した「『立法府とアカデミアの知的情報共有に関する調査・試行研究』成果報告書」によると、英国には、議会下院図書館に加え、議会科学技術局という機関があり、科学技術に関した政策課題を独立して調査するほか、上院や下院の委員会支援などによって国会議員による政策決定を支援している。ドイツには連邦議会技術影響評価局、フランスには科学技術選択評価委員会があり、それぞれ議会に対する助言や情報提供を行っている。スイスの技術評価センターも政府、議会双方に対する助言機関として活動している。

 米国にはこれら欧州の議会支援機関のモデルとなった議会技術評価局というのが1972年につくられている。科学的根拠に基づく政策立案を目指し、活発な活動で知られる。実際に具体的な科学技術政策に関する評価報告書を頻繁に公表してきた。筆者も1980年代に、いくつかの報告書を記事にしたことがある。日本にもこんな組織があったら、科学技術政策に関して確たる裏付けに基づくより説得力のある記事が書けるのだが、と思ったものだ。1995年にいったん廃止されたが、2004年に連邦議会会計検査院が行政活動監視院に衣替えし、議会技術評価局の機能は一部復活した形となっている。要するに欧米先進国では科学技術政策の立案、実行を行政府に任せきりにせず、議会も独自の調査機能と政策立案能力を持っているということだろう。

アカデミアとの連絡ルートさえない日本の国会

 議会のこうした機能と関連することではあるが、日本の立法府にはもう一つ大きな問題がある。行政府は審議会という形でアカデミアとの間に必要最小限といえなくもない関係は保っている。これに対し、立法府とアカデミアの間にはそうしたルートが全くないことだ。今問題となっている日本学術会議も、審議会とは別に内閣府に属する政府機関として行政府に科学的提言をする役割を負っている。しかし、法律上も実質的にも国会との連携はない。例えば、米国の科学アカデミー、工学アカデミー、医学アカデミーはそれぞれ、あるいは合同で米政府と議会のいずれからの委託にも応じた調査・研究を実施し、提言もしている。政府、議会双方からの調査・研究委託費が主要な活動資金となっているが、政府、議会から完全に独立した助言機関としてアカデミアが十分に機能している、ということだ。

 こうした議会とアカデミアの対等な関係は、米国に限ったことではない。英王立協会、ドイツ国家科学アカデミー・レオポルディーナといった欧州主要国のアカデミアの代表的機関もまた、それぞれの国の政府だけでなく議会とも深い関係を保っている。

立法府とアカデミアの「政策共創」の動き

 行政府に対するアカデミアの政策提言機能をもっと強化すべきだという声は以前からあったが、ようやく立法府とアカデミアの連携についても何とかしなければならないとする具体的な動きが出てきたことを紹介したい。

 前述の『立法府とアカデミアの知的情報共有に関する調査・試行研究』プロジェクトのリーダーを務めた永野博日本工学アカデミー専務理事(当時、現顧問)が中心となって、6月25日に衆議院第一議員会館で「政治家と研究者を混ぜると、何が起きるか(国会議員とアカデミアの関係構築)」と題するワークショップが開かれた。数少ない工学部卒の国会議員である伊佐進一衆議院議員(公明党)、大野敬太郎衆議院議員(自民党)が参加し、それぞれ科学者と政治家が連携することに大きな期待を表明した。

 「あらゆる事象にかかわっているのが科学で、世の中のすべての事象に関係しているのが政治。科学者と政治家の対話がないのは由々しいことだ」。伊佐議員は、このように述べる一方、「行政府とかかわっている科学者は、何となく政府が求めている人が多いと感じている。この構図も変えていくべきだ」と現状の問題点も指摘していた。数多い審議会の委員は行政府が好ましいと思う科学者だけではないか、という意味だ。伊佐議員は、旧科学技術庁と文部科学省で科学技術政策に関わった元官僚だから、この辺の事情には人一倍詳しい。

 「アカデミアがこの人なら、という科学者を選んでくれるとありがたい。現状は、それぞれの分野を代表する科学者がだれなのか、立法府にはわからない」。富士通研究所、米カリフォルニア大学バークレー校客員フェローを経た後、政治家に転じた大野敬太郎議員も、行政府とアカデミアの関係とは別の協力関係を、国会、アカデミアの双方で築きたいという強い希望を述べた。一方「企業で研究開発をしているときは、政治を使うことはやってはいけないことと思っていた」と率直に語り、立法府とアカデミアの新しい関係構築には、科学者が政治にもっと大きな関心を持つことが必要であることも強調した。

 日本工学アカデミーは、このワークショップ開催をてこに「政策共創推進委員会」を7月に発足させた。「政策立案にかかわる広範な関係者との連携をもとに、国会議員および立法府関係者と科学者、メディア関係者などが協働し交流できる場を提供し、立法府と科学者の政策共創の実現を図る」ことを目的に掲げている。永野博氏を委員長に、小林喜光日本工学アカデミー会長(三菱ケミカルホールディングス会長、総合科学技術・イノベーション会議議員)、久間和生日本工学アカデミー副会長(農業・食品産業技術総合研究機構理事長、元三菱電機副社長)、城石芳博日本工学アカデミー専務理事(日立製作所研究開発グループチーフアーキテクト・技術顧問)、小林信一広島大学高等教育研究開発センター特任教授らが委員に名を連ねる。

 10月27日には、自由民主党本部で科学技術・イノベーション戦略調査会(渡海紀三朗会長)の基本問題小委員会(船田元座長、大野敬太郎事務局長)が、「政策決定におけるアカデミアの役割」をテーマとする会合を開いた。この席に永野日本工学アカデミー政策共創推進委員長が講師として招かれ、自民党議員たちと政治と科学の情報交流の必要性やこれまで対話ができていなかった理由などについて活発な意見交換がなされている。

 さらに12月9日には政策共創推進委員会発足後、初めての「政治家と科学者の対話の会」が、衆議院第一議員会館で開催される。科学的根拠に基づく政策決定という、民主主義国家では当たり前のことが当たり前にできる国になるには、行政府だけでなく、立法府もまた、アカデミアの役割をきちんと認めることが不可欠ではないか。ようやく動き出した日本工学アカデミーと一部国会議員との協働が、これからどのように発展するか。より多くの国民が関心を持ってよいのでは、と思う。

【日本工学アカデミー】1987年設立の公益社団法人。正会員809人、賛助会員 51社・団体、客員会員 31人。30カ国が参加する国際工学アカデミーに日本を代表して加盟している。日本には科学アカデミーに類する機関として、ほかに日本学術会議と日本学士院がある。日本学術会議は内閣府に属する政府機関で、日本学士院は文部科学省の特別の機関。政府から完全に独立している欧米の主要科学アカデミーとはまずこの点で異なる。さらに日本学術会議は、会員の任期が6年と限られており、日本学士院は栄誉授与機関として機能しているものの提言活動は行っていないなど、ほかにも欧米主要国の科学アカデミーとは同等視できない面を持つ。日本工学アカデミーは両機関に比べ歴史は短いが、政府からの活動資金支援を一切受けていない独立性の高い機関という特徴を持つ