第17回「若狹・越前の神々 白城神社」
鵜萱草不合命が祭神で名前も「新羅」そのもの
若狹・越前地方は、朝鮮半島の新羅、伽耶地方とのかかわりをうかがわせる神社ばかりか、地名や芸能などにもそれをうかがわせるものが多い。敦賀市白木の白城(しらぎ)神社は名前から見ても「新羅」そのものといった感じだ。
白木は敦賀半島の北端、白木浦に向かい、三方を山に囲まれた戸数わずかな半農半漁の集落で、白城神社はその中心に立つ。かつては福井県の陸の孤島といわれたが、敦賀原発、美浜原発が近くにできて道路などが整備された。
新羅出身の祖神祭ると社伝に
敦賀駅からバスでおよそ1時間、その間乗降客は3人だったが、白木に入ると民宿の看板が目についた。原子力発電所で働く人向けだという。
神社の周囲には縄文土器なども出土しており、往古から人々が住んでいた。そしてその子孫が、祖神を祀ったのが白城神社とされ、自分たちの祖先は、朝鮮王家だという言い伝えを持っている。島根県の三保神社の稿でも少し触れたが、ここでも鶏や卵を食べない風習があったという。例祭は白木祭と呼ばれ、特殊神事の能は伝統のあるものだ。
社伝を見せてもらうと、新羅出身の新良貴(しらぎ)氏の祖神、稲飯命(いないのみこと)、あるいは白城宿禰を祭るとする。「敦賀史資料編」も、白城神社は「祭神いまだ不詳といえども、口碑流言には鵜萱草不合命(うがやふきあえずのみこと)を祭ると伝ふ」とある。
神武天皇も新羅国と深いかかわりか
古事記、日本書紀の神話に出てくる鵜草葺不合尊と稲飯命は親子の関係になる。まず山幸彦は兄海幸彦の釣り針をなくして、探しに海王国に行く。そこで海神(鰐・わに)の娘の豊玉姫と結婚して、豊玉姫は鵜草葺不合尊を産む。鵜草葺不合尊は成長して豊玉姫の妹の玉依姫と結婚し4男をもうける。長兄が五瀬命、次男が稲飯命、三男は三毛入野命、四男は稚三毛野命で、つまり神日本磐余彦尊(神武天皇)である。神武の4兄弟の母は二代続けて鰐ということになる。
稲飯命について紀は東征の途中に暴風雨に遭い、「我が先祖は天、母は海神であるのに、どうして我を陸に海に苦しめるのか」と言って、海に飛び込んだとあり、別の説として新羅に帰ったとも記している。
こう見てくると、神武も新羅(加耶)国とかかわりが深いことになるが、出羽弘明氏は「新羅神社と古代日本」のなかで、「この伝説は、一種の天孫降臨を示すものであろう」とする。また、上垣外憲一氏は、神話である以上、他系統の伝承が混ざっているだろうとした上で、新羅王の脱解は丹波国で玉作りをしていた王で、昔氏は倭国と交易していた新羅の氏族だと推測する。
歴史たどるほど新羅とのかかわりの深さ
若狹、越前地方には、新羅から天日槍(あめのひほこ)集団が渡来し、天日槍の後裔が新羅国王の祖として鵜草葺不合尊を祭ったとするいい伝えもあり、歴史をたどるほど新羅とかかわりの深さが感じられる。