「ドラマ」と「週刊文春報道」の双方に残る「もやもや感」 Netflix版『新聞記者』で起きたこと

投稿者:

 国有地の極端な値下げ問題から始まる安倍晋三政権(当時)をめぐる「森友学園疑惑」。その中でも、私は2017年2月17日、安倍首相が衆院予算委員会で国有地払い下げなどに「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と踏み込んだ発言をしたことで、財務省の関係文書の改ざんが始まり、近畿財務局職員の赤木俊夫さんが自死に追い込まれたことが、一番の問題だと考えている。

 「官邸の関与」があったかどうかが焦点だが、岸田文雄政権となっても、遺族の赤木雅子さんの求める「再調査」や「第3者委員会」による調査はかなえられていない。財務省調査では、佐川宣寿理財局長(当時)が改ざんを指示したことになっているが、官邸からの指示の有無についても、きちんとした調査は行われた形跡はない。岸田政権も安倍首相発言と赤木さんの自死との関係性を否定している。いまだにこの問題がメディアや野党から何度も蒸し返されるのは、このような事情による。まず、このことをしっかりと踏まえたい。

森友問題描いたドラマが全世界で同時配信

 そんな中で、森友問題を描いたNetflix版「新聞記者」が1月13日に全世界同時配信された。東京新聞社会部の望月衣塑子記者の原作を映画化した「新聞記者」(2019年公開)が20年3月、日本アカデミー賞作品賞など3冠を受賞したことを受けてつくられた作品である。ドラマは、この映画と監督もタイトルも同じだが、新たな物語として作り上げたNetflixのオリジナルシリーズの連続ドラマである。

 配信直後は、Netflixの視聴ランキングの第1位となるほどの人気作品だ。森友問題に関心の高い視聴者からは、ソーシャルメディアなどで「森友問題に深く踏み込んでいる」との賞賛の声が広がった。ところが、1月26日に文春オンラインが、翌27日に週刊文春の2月3日号が「森友遺族が悲嘆するドラマ『新聞記者』の悪質改ざん」との6㌻にわたる特集を組んで制作者側の対応を厳しく批判した。その批判の先は、赤木俊夫さんの妻の雅子さんと制作側を〝仲介した〟東京新聞社会部の望月衣塑子記者にまで向けられている。これまで雅子さんに寄りそう報道を続けてきた週刊文春がこのような報道をしたこと自体、私には、衝撃的で、週刊文春の報道通りならば、「記者と取材対象との信頼関係」というメディアの在り方の問題も問われる。

 本来、問題の本質は、「森友公文書改ざん事件」の追及をメディアは終わらせないことにあるはずである。ドラマの評価に加えて、週刊文春報道がこの問題についての私の「モヤモヤ感」を増幅させている。

「フィクション」をめぐり揺れ続ける「ドラマ」への評価

  Netflix版「新聞記者」全6話を見たその直後の私の感想は、①あまり新聞を読まない若い人たちにも知ってほしい内容が一応、網羅されている②エンタメとしてよくできた見応えのあるドラマーという評価だった。さらに、Netflix(本社は米国)のもつ世界での視聴者数が2億人(日本での会員数500万人)というメディアの力で全世界に配信することの意味も大きいのではないかとも考えた。

 ところが、このとき、「モヤモヤ感」が残った。その正体は、ドラマの内容に森友問題の「事実に忠実でない」ことが多く盛り込まれていたことだった。「フィクション」といえども、報道された公知の事実を積み重ねただけで十分、説得力のあるドラマが出来上がるのではないか、とも考えた。正直言ってこのドラマへの私の評価は、まだ、揺れ続けている。

「架空のもの」と制作側は強調

 小説、映画、ドラマなどの「フィクション」の世界では、その表現は原則、自由であるべきである。しかし、例え「フィクション」であったとしても、できるだけ事実を忠実に描く手法も存在する。今回の場合、第1話のエンドロール部分に「この作品に登場する人物や出来事は、架空のものであり、実在するものを描写するものではありません」とのテロップが出てくる。これは、このドラマが「フィクション」であるという制作者側の強いメッセージである。制作者側は、ドラマを見る人の興味を引くために、実際とは異なる役回りや状況設定があってもおかしくない、と考えたのだろう。

 だが、「栄新学園」と名前を変えていても、このドラマを見れば、誰でも「森友学園問題」を扱ったものであることは分かる。それであるのに、なぜ、制作者はその「フィクション性」を強調するのだろうかー。

「見せたかったのは、国家の陰謀ではない」と藤井監督

 メガホンをとった藤井道人監督は、その理由について「このドラマで見せたかったのは国家の陰謀ではありません。集団や組織に対する個人の在り方でした。これは、どの世界でもコミュニティーが存在する限りあるものです。個人の在り方とは一体何か。作品を通じてこのメッセージを届けたいと思いました」(1月22日、東洋経済オンライン、コラムニスト・長谷川朋子氏「Netflixがあの『新聞記者』をドラマ化した理由」)と語る。

 なるほど、藤井監督の言い方はやや哲学的で分かりにくいが、ドラマの狙いを「国家の陰謀ではない」や「個人の在り方」と言い切っている。森友学園問題には、これを取り上げた報道などに、特に安倍政権を支持した側からの「でっち上げ、陰謀論」批判がつきまとう。藤井監督のこれらの言葉は、前の映画「新聞記者」を見ても、これらの動きに迎合したものとは思わない。Netflixにより世界中で理解してもらい、ヒットさせるためにと考えたことなのだろうが、これだけでは、このドラマが「フィクションだから事実と異なってもよい」という理由にはなり得ないのではないか。どこから見ても、この作品は「森友公文書改ざん問題」を土台にした「フィクション」であることは間違いないからである。。

ドラマと事実が異なるいくつかの点 

 だから、メディアコンサルタントでコピーライターの境治氏は(1月29日、ヤフーニュース「Netflix『新聞記者』は事実のどこを『改ざん』してしまったか」)で「このドラマは、事実からかけ離れた部分があまりにも多い。このままでは事件についての誤った認識が広がってしまう。裁判まで影響しかねない」と危惧する意見も出てくるという。

   境氏はドラマと事実が異なる点を指摘している。そのいくつかをお借りして紹介し、私なりの考えを付け加えたい。

 境氏は、ドラマでは、総理夫人の男性秘書が値下げ価格を記した書面を財務省理財局長に渡し「総理の指示です」と告げるが、事実は、土地の値下げについて安倍元首相の直接的な指示は確認されていない、と指摘する。これに私の考えを付け加えると、メディアなどの追及を避けて、ドラマでは、なぜか、男性秘書は内閣情報調査室へ異動となる。夫人と財務省との連絡役をしたとみられる実際の秘書は女性で、外交官としてイタリアに赴任するというのが事実だ。ドラマでは、この男性秘書は重要な設定で、人気俳優の綾野剛が演じている。この秘書の行動が赤木俊夫さんらしい人物(ドラマでは「鈴木和也」=吉岡秀隆が演じる)自死に結びつくように描かれている。この秘書に命令するのは、上司の「内閣官房特別補佐官」で官邸の関与をにおわせているのだろうが、この点で改ざんを含めて官邸の「指示」があったかは全く未解明である。ここまで短絡させるのは、やはり「国家の陰謀ではない」という藤井監督の言葉と矛盾しないか。

 また、鈴木和也の妻真弓(赤木雅子さんらしい=演じるのは寺島しのぶ)から渡された米倉涼子扮する松田杏奈記者(これも望月衣塑子記者らしい)が「遺書」の特ダネを、社会部デスクから握りつぶされる場面があるが、実際には赤木俊夫さんの「遺書」を雅子さんからゆだねられたのは、NHK出身の相澤冬樹記者(当時、大阪日日新聞記者)であり、掲載したのは「週刊文春」だった。これも事実と大きく異なる。私の考えを付け加えると、メディア各社が赤木さんの遺書を巡り、その入手を競っていた時期に、いくら「上層部の意思」とはいえ、大特ダネなのだから、社会部デスクが握りつぶすことなど、普通はあり得ないのではないだろう。こうした場面は、現実的でなく、メディアへの悪意すら感じてしまう。境氏はこのほか、4点を上げているが、詳述しない。

週刊文春の特集記事には・・・

  1月27日発売の「週刊文春」2月3日号特集記事は、衝撃的内容だった。その記事には何が書かれていたのか。読んでいない方のために、簡単に紹介しておく。

 週刊文春によると、遺族の赤木雅子さんにドラマ化を持ちかけるきっかけは、東京新聞望月記者からの手紙で、それには今回ドラマのプロデューサーである河村光庸(みつのぶ)さんの手紙も同封されていた。この後、Zoomで望月記者、河村さん、雅子さんの3人が会い、この場で河村さんからドラマへの協力を依頼されたが、雅子さんは、河村さんが何気なく話した一言から思い込みの強い人だと考えて、ドラマへの協力を断った。

 その後も望月記者と雅子さんの信頼関係は続き、雅子さんは、写真や遺書などの資料も取材に役立ててもらおうと、望月記者に貸し出したという。その後、雅子さんの相談相手の相澤記者を含めた4人の会談が20年8月に行われ、雅子さんは「財務省には散々真実をねじ曲げられてきた。ドラマの登場人物が明らかに私だと分かるのであれば、多少の演出はあるにしても、事実をできる限り正しく伝えてほしい」「ドラマを盛り上げるために、主役を女性記者にするのは分かる。ある程度の演出も理解できる。でも遺書公開の過程や裁判にかかわる重要な根幹部分は変えないでほしい」などと訴えた。

 望月記者は「多くの人にこの問題を知ってもらうにはドラマは追い風になります」と雅子さんを説得。河村さんは「持ち帰ってネットフリックス側と相談する」とその場を去った後、河村さんと望月記者からの連絡は途絶えた。そして、制作発表の直前の20年9月にプロデューサーの河村さんから雅子さんに「あくまでもフィクションなので」と雅子さん側の要望は受け入れずに制作に着手するという内容のメールが届いた。

   記事は「赤木さん宅の部屋の雰囲気 、家族の写真、夫の手書きの遺書・・・。大切なものが都合よく切り取られ、利用され、乗っ取られてしまった。(雅子さんは)そんなやりきれなさを感じているという」という言葉で結んでいる。

謝罪の席に望月記者がいないことを雅子さんが非難

 週刊文春によると、プロデューサーの河村さんは昨年12月27日、雅子さんと相澤さんと会い「言い訳にしか聞こえないと思いますが、おわびしなければいけないと思っていまして、どうおわびするのかずっと考えていました」と謝罪した。これに対して雅子さんは「夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、いま、あのときと同じ気持ちです」と答え、この場に望月記者がいないことを非難した、という。

  この河村さんの謝罪前の12月15日、雅子さんが国などに夫、俊夫さんの自死について、損害賠償を求めた大阪地裁での訴訟で、国側は突然、約1億円の請求を全額認める「認諾」という手続きで裁判を強制終了した。このとき、「訴訟を起こしたのは、お金ではなく、あくまでも実態解明」とする雅子さんは「ふざけんな!」という厳しい言葉で国の裁判の幕引きを批判した。

 雅子さんは、この問題が起きたきっかけは望月記者で、謝罪の際にいなかったことに対し、「不誠実だ」と見なしているようだ。私は社会部出身なので、望月記者の社会部記者として記者会見で官房長官を質問攻めにし、どのような圧力やバッシングにも屈しないその姿勢にも共感する。新書版の「新聞記者」(角川新書)を改めて読んで、記者として業界紙記者だった「反権力」という父の志を継ぎ、地方支局での警察、検察や社会部で東京地検特捜部担当として数々のスクープをものにした「敏腕事件記者」であることも知った。

 この問題は、文春報道により、「記者と取材対象との信頼関係」の問題にまで発展している。望月記者は、一刻も早く、「なぜこうなったか」の経緯を雅子さんに説明する責任があるだろう。その経過を記事で公にしてほしい。今回の問題で「高笑い」しているのはだれか。なぜ、このようなことが起きたのか・・・。東京新聞や望月記者のファンとして、今回のことはとても残念である。いま、私は週刊文春報道により、ドラマの評価とは何か別の〝もやもや感〟を感じ始めている。

【追記 望月記者が週刊文春報道に反論】

    東京新聞社会部の望月衣塑子記者は2月8日、ツイッター で2月3日号の週刊文春記事に以下のように反論した。

   週刊誌報道について

  取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。

(本稿は2月5日公開の記事の全面差し替えです)