「ヒロシマ」と「ナガサキ」に原爆が投下されてから80年。半世紀に及ぶ恐怖の冷戦を何とか通過してまだ40年にもならないのに、平然と核の威嚇を振りかざしたり、核兵器保有を主張したりする国家指導者や政治家、ジャーナリストか横行するようになったことに危機感を抱く。70年近くなったジャーナリズムの世界でほぼ50年、核問題に関心を持ってきた者として、核廃絶のため少しでも役に立つことはできないかと考えている。身にあまる大きな課題かもしれないが、本稿は「核廃絶への道を探る」の1回目。
映画「オッペンハイマー」をめぐって
親しい米国人と原爆投下の話になって「日本上陸作戦で100万人の犠牲者が出るのを避けて早期に降伏させるためだった」「日本がポツダム宣言を拒否し徹底抗戦に出たからだ」などと言われ、関係がおかしくなったといった話がよくある。
米国の核開発にあたった科学者チームのリーダー、オッペンハイマー博士の栄光と苦悩を描いた米映画「オッペンハイマー」が2023年夏、世界で大ヒットし、のちに日本でも公開された。だが、「ヒロシマ、ナガサキのことは何も出てこない」と日本では不満の反応が多かった。
「原爆正当化」漸減だが
原爆投下については、日米の国民レベルで今も、こうしたすれ違いがある。先月末に米調査機関ピュー・リサーチ・センターが日本への原爆投下について聞いた調査結果を発表している(ワシントン共同電など)。それによると原爆投下を「正当化できる」とする回答は米国成人の35%、「正当化できない」は31%だった。2015年の同じ調査では「正当化できる」が56%、「正当化できない」が34%だったから、10年間で両者の間がなり縮まったが、正当化できない人が早く過半数になってほしい。
この調査結果を年齢層ごとにみると、65歳以上では「正当化できる」が48%、「正当化できない」が20%だった。50〜64歳では正当化「できる」40%、「できない」27%、30〜49歳になると逆転して29%と34%。18〜29歳はその差が広がって27%と44%になっている。
男女別では男性の51%が正当化「できる」、25%が「できない」、女性は逆に「できる」は20%と少数、「できない」が36%。政党別を見ると、共和党寄りが「できる」51%と過半数、「できない」はわずか20%、民主党寄りだと「できる」が少数の23%、「できない」が42%だった。
この調査は、米国では今なお、世代的に若い世代ほど原爆投下に否定的、政治の世界では、保守とリベラルの間にこの問題ではっきりした違いがあることがわかる。これは核廃絶への道がなお、容易ではないことをうかがわせるが、筆者はそうは思っていない。「100万人の命を救った」「日本が頑迷に降伏拒否」といった見方が返ってくるのは、原爆使用に国際的にも国内からも強い批判が出て、米政権内部でも動揺が広がって追い込まれたトルーマン政権側の批判そらし、あるいは弁解が、今も残っているからだ。
「原爆」は外交カード
このころ第2次世界大戦は欧州でもアジア・太平洋でも連合国勝利の終幕に向かい始めていたが、終戦後には民主主義陣営とソ連が率いる共産主義陣営との新たな対立の時代に入ることも見えていた。米国にとって原爆は対ソ戦略の重要なカードになるだろう。だが、ソ連も原爆開発を急いでいた。米国がいかにして原爆開発に成功したか、なぜ対日戦で使用し、何を得たのか。これらは全て厳重に秘匿しなければならない国家の極秘事項だったという事情もあった。
しばらくたつと、トルーマン大統領をはじめ当時の政権の幹部の中から「回顧録」が出版され、それぞれ「原爆投下」の正当化に努めた。その一方で、少数のジャーナリストが原爆投下の真相を求めて、日本を降伏させるためには原爆投下は必要なかったが、米ソ冷戦を見越してソ連を威嚇するためだったとする「原爆外交」という言葉が広く使われるようになった。
原爆開発から広島・長崎の投下に至る時期の米政府の内部資料は、1960年代に入ると「情報の自由法」の制定もあって、気鋭の歴史家やジャーナリストの要求で徐々に情報開示が進み、原爆投下をめぐる論文や著作の出版が活発化、優れた著作がいくつも出版されていく。
歴史の書き換え?
しかし、原爆投下を擁護する動きも根強かった。ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は1994年、戦後半世紀の企画として原爆開発から投下、冷戦という歴史の歩みをたどる「原爆展示」の準備を進めていた。在郷軍人会が「歴史を書き換える修正主義」と抗議の声を上げで保守派国会議員も動き出した。原爆投下批判の「公式の歴史」を外れる展示は反米主義などと激しい攻撃に出て、国を挙げての論争の末、企画した展示会は中止に追い込まれた。
こうした経緯の末、米国では原爆投下をめぐる対立は感情的な政治的対立のテーマにされてしまった感がある。日本にとっては歴史的事実としての原爆投下を広めて、米国の友人たちと冷静な議論ができるようになることが重要だと考えている。
原爆投下の決定はルーズベルト大統領の急死のあとを継いだ不馴れなトルーマンを大統領に担いだごく一部の強引な暴走によるもので、しかも彼ら自身、すぐに失敗だったとわかった異常な歴史的ハップニングだった。その反省は次のアイゼンハワー政権やケネディ政権へと引き継がれていく(8月3日記)