コラム「番犬録」第7回  国民不在の自民党総裁選 〃排外主義〃主張のオンパレード 「シカ発言」の高市早苗氏、首相候補として疑問 小泉進次郎氏の「ステマ的手法」も情けない政治状況浮き彫り  「分断より連帯、対立より寛容の姿勢」を訴えた石破首相の国連演説 トランプ政権はメディアに露骨な弾圧 「オールドメディア」は生き残りをかけ「言論・報道の自由」のため闘え

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 石破茂首相の退陣表明に伴う9月22日から始まった自民党総裁選がいよいよ終盤に入った。投開票は10月4日。5人の候補者に対しては、自民党員以外は投票できない。そのような意味では〃国民不在〃ということになる。自民・公明の与党が衆参両院で少数となった中で、一応、多数派となったはずの野党が首相候補者選びでまとまろうともしないことから「比較第1党」の自民党が不戦勝となる見通しだ。これに勝ち上がれば、勝者は首相の座を射止めることになる総裁選。目立ったのは、参院選敗北の原因を、躍進した参政党の〃排外主義〃に求め、各候補が「外国人問題」や「外国人規制」に重点を置いたことである。

 「裏金」に象徴される「政治とカネ」の問題や自民党と統一教会との癒着などのテーマは、候補者からは、もう過去のことと言わんばかりにほとんど語られず、裏金問題では高市早苗氏と小林鷹之氏は「決着済み」とのたまう始末である。国民の暮らしや減税などの身近な問題も語られはしたが、その内容は乏しかった。候補者は昨年、石破政権が誕生した時とほぼ同じメンバーだが、前回と異なり、メディアの世論調査でトップを争う有力候補の小泉進次郎氏や高市氏が「選択的夫婦別姓」や「靖国参拝」などで持論を〃封印〃したことも総裁選が盛り上がりを欠いた理由だろう。

 そういう中で目立ったのは、22日にあった総裁選の所見発表演説会で高市氏の口から飛び出した奈良公園の〃シカ発言〃。奈良県側の否定にもかかわらず、高市氏は「外国人観光客の中に足でシカを蹴り上げるとんでもない人がいる」と発言。「シカの虐待は、外国人」と決めつけて、外国人政策に取り組む姿勢を強調した。本当に虐待があったのか、それは誰だったか特定されているのかも不明なままでの高市氏の発言に対して、野党から「外国人差別や排外主義を煽る」との批判が出たのも当然である。朝日新聞によると、高市氏の秘書が25日、記者団に対して「公園周辺のパトロールのボランティアや旅館関係者から聞いた話を元にした」と説明。前の日の24日の日本記者クラブの共同会見でも2度にわたりこの問題で「その証拠は」などの質問が出たが、高市氏は「自分なりに確認した」と答えている。

 また、もうひとつ、高市氏が所見発表の際に「警察で(外国人を)逮捕しても通訳の手配が間に合わず、勾留期限が来て不起訴にせざるを得ないとよく聞く」と述べたことについても、その根拠はあいまいだ。毎日新聞によると、法務・検察幹部は「最後まで通訳が確保できなかったという話は聞いたことがない」と強く否定している。警察庁によると、24年に摘発された来日外国人は約1万2千人。警察当局は民間委託を含め約1万4千人の通訳を確保しているという。そもそも、高市氏は事実関係を調べた上で、所見を述べたのか。秘書が言ったことをそのまま鵜呑みにしたのか。その真偽をよく確かめずに発言したのだとしたら、責任は重い。

 あくまでも私の推測にすぎないが、高市氏のこの〃シカ発言〃は、このところ増えている排外主義的傾向を持った人たちへのアピールだったと考える。こんな形での受けを狙った発言だとすると、首相に選ばれるかも知れない候補者としてどうなのか。疑問符がつくのではないか。
 
 一方、もうひとりの有力候補者である小泉氏も、25日発売の週刊文春によると、小泉陣営の広報を担う牧島かれん衆院議員のスタッフが「総裁まちがいなし」「ビジネスエセ保守に負けるな」など24種類の例文を記載したメールを送り、投稿を呼びかけた、と報じた。読売新聞によると、小泉氏は26日「(牧島氏の)事務所の独自の判断との報告を受けた。最終的な責任は私にある」と謝罪した。産経新聞の「産経抄」はこう書く。

 「高市氏陣営の山田宏参院議員がX(旧ツイッター)でこう憤ったのも当然である。『牧島さんは、党広報本部のネットメディア局長であり、今回の総裁選の偽情報問題対策の責任者です』」

 産経新聞で法政大学の藤代裕之教授(メディア社会学)が「国や政府への信頼を損なう行為だ。透明性ある選挙の実施とそれを保証する制度設計が必要だ」と話す。

 特に問題なのは「ビジネスエセ保守に負けるな」という言葉だと思う。「エセ」とは「見た目は似ているが、実際は本物ではない」という意味だ。私は初めて聞いた言葉だが、これは高市氏に対する誹謗中傷に当たらないか。
 
 小泉氏は選挙戦を有利に運ぼうと「ステルスマーケティング(ステマ)」的手法で(メール投稿を)仕掛けたことが波紋を広げている、と東京新聞は書いた。〃シカ発言〃と〃ステマ的手法〃という二つの言葉。総裁選での各候補のスカスカの主張に比べて国民の目には最も印象に残るものになったのではないか。このそれぞれの言葉が、事実上の首相選びである総裁選に大きな影響があるかも知れない。とすると・・・。何とも情けない政治状況としか言いようがない。馬鹿にされているのは国民である。

 今回はこのほか①日本に原子力潜水艦は必要か②石破首相「対立より寛容の姿勢」を訴える③トランプ氏による「言論統制」の第2弾ーなどのテーマで発信した。

▼日本に原子力潜水艦は必要か 有識者会議報告書が「次世代の動力」と言及

 日本に原子力潜水艦は必要なのか。「集団的自衛権」の行使を可能とした安倍晋三内閣による安保関連法成立からちょうど10年を迎えた9月19日。防衛省の有識者会議は海上自衛隊が進める敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つミサイル垂直発射装置(VLS)搭載の潜水艦について、原子力潜水艦導入も念頭に置いた「次世代の動力」の活用を検討するよう提言した。23ページの報告書のこの部分をもう少し正確に引用すると、提言①の「VLS搭載潜水艦」の項目で、こう書かれている。

 「潜水艦は隠密裏に展開できる戦略アセット(資源)である。長射程のミサイルを搭載し、長距離・長期間の移動や潜航を行うことができるようにすることが望ましく、それを実現するため、従来の例にとらわれることなく、次世代の動力を活用することの検討を含め、必要な研究を進め、技術開発を行って行くべきである」

 この報告書は、必ずしも、原潜について、直接に言及したものではない。ただ、朝日新聞によると、「非公開の有識者会議では原潜導入も議論され、一時は報告書明記も検討された」という。しかし「世論のハレーションが大きいので、原潜への直接の言及は避けて、最終的に『次世代の動力』との表現に落ち着いた」と書かれている。「原潜導入」となると、世論を刺激し、大騒ぎになるから「次世代の動力の活用」とのあいまいな言葉でお茶を濁したということなのか。全く納税者である国民を馬鹿にした対応だ。原潜は現在、米国、ロシア、中国、フランス、イギリス、インドという核兵器保有国が持ち、オーストラリアも保有を目指している。

 また、ここ10年ほどをみても、「武器輸出3原則」を「防衛装備移転3原則」に、F35Bという最新鋭の垂直離陸戦闘機を乗せることができるヘリ搭載の「いずも」「かが」を事実上は空母なのに「いずも型護衛艦」と、さらに、最近でも「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と呼ぶなど、憲法との整合性など国民世論を気にしてか、言い換えることが多くなっている。あくまで冗談だが、いくら何でも「原潜」を〃次世代の動力潜水艦〃と呼ぶわけにはいかないだろう。

 原潜を日本が導入することの一番の問題は、憲法第9条に基づく「専守防衛」に反するのではないかである。専守防衛は敵国からの武力攻撃があって初めて必要最小限度の防衛力を使うなど憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢を意味する。日本で考えられる直接の脅威は中国と北朝鮮である。それにロシアを加えることもできる。いずれの国も日本海を隔ててはいるが、距離的には近い。そんなに長距離・長期間潜航する原潜が日本の「抑止力」のために必要だとはあまり思えない。しかも、日本の川崎重工や、三菱重工の持つ通常動力型潜水艦の技術は世界のトップレベルにある。

 また、「平和利用」を目的とした「原子力基本法」にも反する。さらに、莫大な開発や運用費用がかかる。現在、海自は25隻の通常動力型の潜水艦を所有しているが、その建造費は1隻約740億円、米海軍が20年に契約した核兵器搭載可能な原潜は1隻当たり約1兆円(産経新聞)という。導入するとなると、1隻では済まない。コスト面でも莫大であるだけでなく、その費用対効果はどうなのか。それでなくても、長い航海による長期間の勤務で人手が集まらないといわれる海自で乗組員をどう獲得するのか。

 そもそも、原潜は動力に原子力を使った殺傷兵器である。放射能漏れも考えられる。唯一の被爆国であり、「核廃絶」を訴える広島や長崎の被爆者たちだけでなく、国民世論の納得を得られるかどうか疑問である。

 19日、報告書を榊原定制(さだゆき)座長(元経団連会長、関電取締役会長、元東レ社長)から受け取った中谷元防衛相は「大いに活用したい」と述べている。石破茂内閣も来月初めには自民党新総裁が決まり、中谷氏も新内閣では退く可能性もある。だから、自分が防衛相のうちに報告書を出してほしい、との強いこだわりがあったそうである(朝日新聞)。

 昨年2月に設置したこの有識者会議は18人のメンバーだが、元防衛相、元防衛事務次官、前統幕長らが顔をそろえ、部会には三菱重工業の宮永俊一名誉顧問(元社長)がいる。防衛ジャーナリストの半田滋氏はフェイスブックで「利益相反する発注側と受注側が一緒になって防衛費増を訴えるのだから茶番というほかない」と厳しい指摘をしている。この中でマスメディアから唯一、山口寿一・読売新聞グループ本社社長がいるが、マスメディアの姿勢としてどうなのか。

 問題が決して簡単ではないので、この議論が今後、どのように進むか見通すことはできない。報告書が国民世論へのアドバルーンという側面もあると思う。ただ、高市氏と河野太郎氏が2021年の総裁選で「原潜導入」に触れたことがあるし、日本維新や国民民主もこの問題には前向きだ。他国を直接攻撃できる国産長射程ミサイルの国内配備計画も着々と進み、いつのまにか、厳しく制限されてきたはずの武器輸出も殺傷能力を持つ戦闘機までが解禁され、英伊との共同開発も進む。国民総生産(GDP)1%枠で推移してきた防衛費は2%近くに倍増、さらに、米国から3・5%との圧力もかかっている。「専守防衛の空洞化」だけでなく、日本が「戦争のできる国」になりはしないか、とても心配である。 (9月21日)

▼総裁選は「外国人規制」という名の〃排外主義〃の競い合い

 自民党の「解体的出直し」とは「外国人規制」という名の〃排外主義〃の競い合いのことだったのではないか。

 9月22日告示された自民党総裁選。小泉進次郎氏と高市氏を軸に、茂木敏充氏、小林鷹之氏、林芳正氏が立候補。この間、テレビを独占する〃電波ジャック〃ともいわれる自民党総裁選だが、5人の候補者の多くがこもごもと述べたのは、裏金問題に象徴された「政治とカネ」よりも「外国人規制」問題が目立った。

 参政党の国政選挙の躍進の理由を「排外主義的主張」に求め、もともと体質的に同じような保守思想を持つ議員が多い自民党ならばこその当然の帰結ともいえる。それは「違うだろう」と言いたくなるが、「排外主義の台頭」は米国のトランプ政権を見るまでもなく「世界的傾向」であることは残念ながら間違いない。参政党だけでなく、他の野党、日本維新の会や国民民主党も同様の考え方を隠していない。

 東京新聞や朝日新聞から各候補の「外国人規制」の主張を以下にまとめてみた。5人のうち、外国人政策に触れなかったのは官房長官の林氏だけだった。

 まず世論調査で有力候補とされる2人。小泉氏は「外国人の不法就労や地域住民とのあつれき、治安の悪化などにより、地域の皆さんの不安につながっている現実がある。外国人問題に関する司令塔機能を強化し、総合的な対策を進めていく」。

 高市氏は「日本人の気持ちを踏みにじって喜ぶ人が外国から来るなら、何かしなければならない。日本古来の伝統を守るために体を張る。警察で逮捕しても通訳の手配が間に合わず、勾留期限が来て不起訴にせざるを得ないとよく聞く。外国人との付き合い方をゼロベースで考える。公平で公正な日本を実現する」。

 高市氏は、所見発表演説の際に、地元の奈良公園で、外国人がシカに暴行している可能性があると、主張した。奈良県は東京新聞の取材に「(この)行為者が誰であるか、外国人であるかどうかは特定されていない」と説明。にもかかわらず、所見表明で「奈良のシカを足で蹴り上げる、殴って怖がらせる人がいる。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものを、わざと痛めつけようとする人がいるとすれば、何かが行きすぎている」と述べた。

 茂木氏は「国民の安心・安全のため違法外国人ゼロを目指し、法令順守を徹底する。ルールを守れない外国人には厳しい対応を取る」。茂木氏は告示に先立つ20日、推薦人になった新藤義孝衆院議員の案内で「クルド人問題」に揺れる埼玉県川口市を視察。18歳のクルド人による無免許暴走事故の現場を訪れ「こうした悲劇や迷惑行為がこれ以上拡大しないよう、外国人問題についてより一層の厳格な対応を政府に求める」とアピールした(新藤氏のフェイスブックから)。

 小林氏は「出入国管理を含めた外国人政策を厳格化する。外国人による安全保障上の重要な土地や住居用不動産の取得規制を強化する。外国勢力の情報干渉には刑事罰を設け、わが国の民主主義を守る」と言う。

 いずれも、ニュアンスに違いはあるものの、かなりの人が一見すると、「なるほど」と納得してしまう恐れのある主張ばかりが並んでいる。

 だが、少し立ち止まって考えてほしい。これまで技能実習生の形で外国人労働者の受け入れを拡大し、外国人観光客を増やす「インバウンド(訪日外国人観光客)政策」を推進してきたのは自民党政権である。少子化による人手不足解消のために、いつの間にか205万人(23年10月時点)もの外国人労働者を漫然と受け入れてきた責任が自民党にあることはもちろんだが、「外国人問題」での入管当局による人権無視も目立つ。

 この点で9月17日に東京弁護士会が出した「『国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン』に抗議し、差別と偏見のない多文化共生社会の実現を求める会長声明」は重要である。

 声明は「『ルールを守らない外国人』という安易な否定的表現を政府があえて用いることにより、日本に在留する外国人全体が排外主義と差別にさらされるリスクが増大することが想定される。そして、これがヘイトスピーチをはじめとする人権侵害を助長し、ひいては日本社会の分断へとつながって行くことが強く懸念される」と述べている。そもそも、各候補者の「外国人政策」についての主張には、外国人労働者の人権問題が触れられていない。

 「規制」や「厳格化」など外国人労働者を取り締まる言葉が強調され、リスペクトする姿勢が全く見られない。これからも、少子高齢化が進む日本で外国人労働者は特に医療・介護分野などで必要で、さらに増えていくだろう。前にも「体感治安」という言葉の〃くせもの性〃について、指摘する記事を書いたが、そこでは「差別禁止法制」や政府から独立した「人権機関」の設立は不可欠である。まずせめて「不法滞在」という言葉をやめて滞在資格が切れた「非正規滞在」という言葉に置き換えてはどうか。マスメディアの報道でこの点は気になっている。 (9月23日)

▼石破首相「分断より連帯」を国連で訴え トランプ氏とレベルの違う世界納得の内容

 国連総会の9月23日の一般討論演説。石破茂首相と米国のトランプ大統領との演説内容のレベルがあまりにも違うので驚いた。まもなく辞めるので、〃レームダック(死に体)化〃しているとはいえ、石破氏の演説は日本の政治家として世界を納得させる内容だったのではないか。もう少し誇ってもいい。

 石破氏は、演説の中で先の大戦後、日本はアジア諸国の「寛容の精神」に支えられ「不戦の誓いの下、世界の恒久平和実現に力を尽くしてきた」と強調。「分断より連帯、対立より寛容の姿勢が重要だ」と訴えた。その上で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの地上侵攻を強く非難。安保理の常任理事国ロシアによるウクライナ侵攻を挙げ「安保理は十分に機能を発揮できていない」と国連の安保理改革を求めた(共同通信)。

 日本の首相が「分断より連帯、対立より寛容の姿勢」を国連という世界の舞台で訴えたことが重要だ。

 一方で、トランプ氏は、「米国第一」を掲げる立場からグローバリズムに背を向ける姿勢を鮮明にして、移民受け入れのため国境を開放する国々は「地獄に落ちるぞ」と警告した(産経新聞)。さらに、トランプ氏はノーベル平和賞への自身の意欲について言及し、世界各地で和平の仲介に取り組んでいることから、「誰もが」トランプ氏は受賞に値すると考えている、と主張した(米CNN)。

 ノーベル平和賞がほしくてほしくてしょうがないトランプ氏の本音を世界にさらした。言うまでもなく、ノーベル平和賞は「ほしい人」に与えられるものではない。世界の誰もがそれに「ふさわしい」と納得できる人物に与えられるものだということは小学生でも知っている。元首相の佐藤栄作氏の受賞には疑問符が付くが・・・。本当にトランプという人は「自分だけ」のことしか考えない、恥ずかしさを自覚できない人であることが改めて分かった。

 また、石破氏は広島で被爆した歌人正田篠枝さんの短歌を引用「多くの一般市民が一瞬にして命と未来を奪われた」と訴えた。短歌は「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。8月6日の広島市の平和記念式典で、この歌を2度読み上げた、と共同通信は伝えている。

 米国人にとってはいまだにタブー視する人も多いという米国による原爆投下について、被爆国日本の首相が改めて国連の場で「非核」を訴えた意味も大きい。

 パレスチナの国家承認について、石破氏は演説で、イスラエルが「2国家解決」への道を閉ざすならば、「新たな対応を取る」とけん制したものの、やはり、英国、フランス、カナダなどが「国家承認」に踏み切った中での日本の対応は「国家承認」しないよう圧力をかけてきたトランプ氏にこびを売った、と言われても仕方がない。だが、「世界平和」を考えると、石破氏とトランプ氏のどちらが政治家としてまっとうなのか。

 石破氏はニューヨークで記者会見し、戦後80年見解について「メッセージという言い方で、私なりの考え方を述べたい」と初めて明言した。その時期は10月4日の自民党総裁選終了後、首相退任までの間だという。「なぜあの戦争を止めることができなかったか。政治はいかなる役割を果たし、いかなる役割を果たさなかった」との論点で書くと説明した(共同通信)、という。たとえ、レームダック化していても、日本の現役首相が見解を世界に向けて発信する意味は大きい。ただ、まだ最後まで自民党内の「復古主義派」の抵抗も予想されるので要注意である。(9月25日)

▼米国防総省で「事前検閲」の動き トランプ氏は「放送免許剥奪」に言及

 9月26日付の朝日新聞社説。その冒頭。「新聞のない政府か、政府のない新聞か。どちらかを選ぶとすれば、ためらうことなく後者を選ぶ」。よく知られた第3代米国大統領トマス・ジェファーソンが言った言葉である。亡くなったのが1826年だから、この言葉は200年以上も前のものということになる。米国憲法修正第1条の「言論・報道の自由」は米国が民主主義にとって非常に大切な価値として掲げ続けてきた原則だ。朝日社説は今の米国のメディア状況を「危機に瀕している」と書いたが、それではとても物足りない。トランプという〃独裁者〃により、自分に都合の良いメディアにするために、徹底的に脅して、飼い慣らそうとし、「言論・報道の自由」を破壊しようとすらしている。そのぐらい、米国のメディアはひどい状況にあるのではないか。

 前に書いた出来事に付け足すと、最近、米国防総省はメディアに対し、同省の事前承認を受けていない情報を報道しないことなどを求める新たな指針を示した。朝日新聞によると、9月19日以降に国防総省での取材要領をまとめた文書がメディアに示された。この中で、国防総省の情報は、機密指定されていない場合でも、事前に承認を受けなければならない、と求めている。

 確かに、米国はかつて、日本の占領下で日本の新聞を中心としたメディアの報道内容を厳しく規制し「事前検閲」していた。特に、「占領軍」や「原爆被害」については規制が厳しかった、といわれる。これは、いまでも「権威主義国家」に見られる「言論統制」と同じである。ただ、だからといって、「民主主義」にとって、いいことではないが、これは70年以上も前のことだ。

 さらに、国防総省は、取材のために省内に出入りする記者は、今回の指針について署名しなければ、現在所持している記者証も取り消される可能性がある、と脅している。独自取材や調査報道で得た未公表の情報を当局側の同意なく報じることを事実上禁じる内容となっている、という。ウオーターゲート事件で見られたように権力が国民に隠している秘密を暴露することこそがジャーナリズムの大きな目的であり、使命である。

 また、トランプ氏は「放送内容が民主党寄り」だとのいいががりを付けて「敵対的」だと判断したテレビ局に対し、連邦通信委員会(FCC)が放送免許を剥奪する可能性に言及した(共同通信)。政府から独立した機関であるはずのFCCのカー委員長はトランプ氏が選んだ人物。ABCのトーク番組の司会者、ジミー・キンメル氏が保守系活動家、チャーリー・カーク氏の射殺事件をめぐり、トランプ支持者らを批判したことについて「最も悪質な振る舞い」と批判。一時は番組休止まで追い込んだいわくつきの人物だ。その後、「言論弾圧批判」を受けてさすがに、ABCは番組再開を決めたが、当然の措置だ。

 世界の中でも、模範的な「言論・報道の自由」の国だったはずの米国。多くのメディアがこれに反発して記者団体などが声明を出す動きが出ているが、国民的に大きなうねりとはなっていないようだ。

 では日本では「大丈夫」かというと、残念ながら、そうなっていない。総裁選でトップを争う候補者である高市氏が総務相時代に放送法の「政治的公平性」の問題に絡んで放送局の「電波停止」の可能性に触れる発言をしたり、参院選で躍進した参政党が記者会見での「事前登録制」に言及しても、メディアや記者たちの中からこれに抵抗する大きな動きにはならなかった。いまこそ、「オールドメディア」は自分たちの存在や生き残りをかけて「言論・報道の自由」のために闘え。(9月26日)

                                    (了)