真に独創的な研究成果とは 急がれる若手研究者支援 引用栄誉賞から見える現実

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 自民党総裁選を引き合いに出すのは見当違いといわれそうだが、アカデミー賞や芥川賞・直木賞の取材と比較するのは許されるかもしれない。間もなく発表されるノーベル賞受賞者決定に絡む報道についてだ。共同通信勤務時代に科学記者として気が乗らなかった仕事はいくつかある。ノーベル賞もその一つ、という思いは、昨年のこの時期に書かせてもらった(「ノーベル賞候補に日本人2人」膨大なデータ重視の個別化医療研究 米学術情報サービス企業が重要性裏付け – ウォッチドッグ21 (watchdog21.com))。

 自然科学系ノーベル賞を日本人が受賞した場合、科学部記者の書く記事に期待されるトーンは最初から決まっている。いかに立派な人物に最も価値ある賞が与えられたか、という。読者の大半はそれで充分ということかもしれない。ただ、例えばそもそも数あるはずの候補の中からなぜこの年にこの業績が選ばれたのか。発表資料から読み取るのははなはだ困難で、記者にとっては何とも物足らない。同じ賞でも事前に候補作品・候補者が公表されているアカデミー賞や芥川賞・直木賞などの方が、事前取材も可能だろうし、よほど材料も多く記事の書きがいがあるのでは。とまあ考えたわけだ。

 一方、昨年の記事では、2002年以来、毎年、ノーベル賞受賞者決定の直前に発表される「引用栄誉賞」というものを知って、だいぶ考えを変えたとも書いた。これまで「引用栄誉賞」の選考手法には教えられることが多く、再度、思うところを書き連ねてみたい。

今年の受賞者に日本人3人

 国際学術情報サービス会社「クラリベイト・アナリティクス」の「引用栄誉賞」が、今年も9月22日に公表された。詳しく伝えた新聞記事は見ていないが、近い将来ノーベル医学・生理学賞を受賞する可能性が高い研究者として岸本忠三大阪大学免疫学フロンティア研究センター教授と平野俊夫量子科学技術研究開発機構理事長・大阪大学名誉教授、同じく化学賞に澤本光男中部大学先端研究センター教授・京都大学名誉教授の日本人3人が含まれている。

 「引用栄誉賞」を筆者が知ったのは、14年前、共同通信を退社した翌年の2007年だ。ノーベル賞のうち平和賞、文学賞を除く、物理学、化学、医学・生理学、経済学の4分野が対象で、選考方法は基本的に変わっていない。今年の発表資料を基に紹介すると、同社が持つ大規模学術データベース「Web of Science」には1970年以降、掲載された約 5,200万件の論文や会議録などが蓄積されている。このうち2,000 回以上、他の研究者に引用されている6,500 件、つまり全体の0.01%しかない重要論文の発表者をまず選び出す。さらにその論文で報告された研究成果の主発見者だったか、ほかの有力賞の受賞歴はあるか、さらにはその研究成果が今後ノーベル賞の対象になりそうな「注目領域」の重要成果かどうかも考慮して、受賞に値する研究者を決定する。物理学、化学、医学・生理学、経済学の分野でそれぞれ「注目領域」を三つまず絞り込み、各領域でそれぞれ最も貢献度が高いとみなされた研究者1~3人が選ばれるので、4分野合計で最大36人が毎年、受賞者となる。

59人がノーベル賞も受賞

 これまで「引用栄誉賞」に選ばれたのは376人に上る。このうちその年あるいは何年か後に実際にノーベル賞を受賞した研究者は59人いる。376中59人という数字は、それほど多いとはいえないのでは、と見る人がいるかもしれない。しかし、2002年以来、昨年までのノーベル賞受賞者は4賞合わせて184人。このうちの32%、3人に1人が「引用栄誉賞」の受賞者と知れば見方も変わるのではないだろうか。毎年の「引用栄誉賞」受賞者は、受賞の可能性があるとされた注目領域、研究者の数がいずれもノーベル賞の約3倍多いので、「引用栄誉賞」に選ばれた人の大半がノーベル賞も受賞というわけにはいかない、ということだ。

 今年の「引用栄誉賞」受賞者は16人。これまで飛びぬけて多くの受賞者を出している米国が今回もまた9人と最も多いが、日本の3人はそれに次ぐ多さだ。過去の受賞者数を見ても日本は今年の3人を含め、21人(米国籍の2人を含む)。アジア地域では突出して多い。昨年までの受賞者18人中4人が、その後、ノーベル賞を受賞している。山中伸弥氏(2012年医学・生理学賞)、中村修二氏(2014年物理学賞、現在米国籍)、大隅良典氏(2015年医学・生理学賞)、本庶佑氏(2018年医学・生理学賞)だ。この数字もアジアでは突出している。

少ない中国の受賞者

 こうした事実から、不審に思われた読者はいないだろうか。最近、一般紙も伝えるように研究論文の被引用数から判断される国・地域別の研究力比較では、中国が米国を追い抜く勢いで急上昇し、他方、日本の研究力は低下する一方、とされているからだ。2018年に他の研究者に引用された回数が上位10%に入る影響力が大きい論文数で中国が世界一になり、日本はインドにも抜かれ10位に下がった。こんな科学技術・学術政策研究所の調査報告書が8月10日にも公表されたばかり。ところが中国からこれまで引用栄誉賞に選ばれた研究者は米国籍と思われる人も含め数人しかしない。論文の被引用数を最重要視しているのは、科学技術・学術政策研究所の調査報告も引用栄誉賞も同じなのに、どうしてこのような違いが出るのか。

 大きな理由は、ある研究成果が真に独創的で、産業化につながるなど実際に社会に大きなインパクトを与えるまでには相当な時間がかかることが多いという現実にある。ノーベル賞受賞者の業績を見てみると、受賞理由になった研究成果を論文として発表したのは30歳代という受賞者が多い事実が明らかになっている。今回、引用栄誉賞を受賞した岸本忠三、平野俊夫両氏の授賞理由、「インターロイキン‐6」の発見、役割解明に関する最初の重要論文が発表されたのは1980年代半ば。澤本光男氏の金属触媒によるリビングラジカル重合の発見と開発」に関する最初の重要論文の発表も1990年代半ばだ。どちらの論文も発表後30数年間あるいは20数年間に被引用数が急激に増え続けている。加えて、これらの論文を引用した研究者の専門分野も大幅に広がっているのが目を引く。つまり多方面に大きなインパクトを与え続けている研究成果であるのが共通の特徴だ。

 他方、中国の論文数、被引用数の多い論文数がいずれも近年、急増している事実は明白だが、3氏あるいはこれまでの日本人受賞者のように長年にわたり論文の影響力が増え続け、研究分野だけでなく薬品開発や新材料開発といった社会貢献にまで進展している研究成果はまだ少ない。こうした実情が、引用栄誉賞受賞者数の少なさから見て取れる。

危機意識との乖離は

 さて、では日本もまだまだアジア地域では研究力は上、と安心していられるのだろうか。指導的立場にある政治家はともかく、日本の科学技術・学術界の危機意識は実は非常に高い。今回の「引用栄誉賞」発表の記者会見でも皮肉なことに、そうした日本の危機的状況を映し出すような発言が、岸本、平野、澤本氏からそろって聞かれた。

 「研究費を得るためにとか、こういう病気の研究が必要といった国の言うことは考えず、本当に面白いこと、自分がやりたいと思うことを大切にしてほしい」(岸本氏)。「夢はかなえるためにある。そのためには目の前にある山を乗り越えるよう努力することが大事。頂上に立つと人生、研究も充実する。若い人は夢を追い続けてほしい」(平野氏)。「絶えざる好奇心でいろいろなことに興味を持ち、他人がやっていない自分自身の新しさを常に追求してほしい」(澤本氏)

 これらは、政府が進める科学技術・学術政策に対する批判とも読み取れる。これぞと思う研究者、研究課題に重点的にまとまった額の研究費をつける。他方、大学の研究者に満遍なく配布される基盤的研究費は年々、減り続けてきた。こうした近年の科学技術・学術政策を真っ向から批判する発言とみてよいのではないだろうか。革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)をはじめ、さまざまな大規模研究開発プログラムや競争的研究資金制度がつくられ、実施されてきたものの、この中から20年後、30年後まで大きな影響を与え続けるような論文が果たしてどれほど生み出されたものか。どこかがきちんと総括する必要がありそうだ。

進む研究の保守化

 大学や企業の工学者や科学技術政策に関わった元行政官たちが会員となっている公益社団法人日本工学アカデミーが2017年5月と、2019年4月の二度「わが国の工学と科学技術力の凋落をくい止めるために」と題する緊急提言を公表し、政府、学界、産業界に対策を求めている。2019年の緊急提言の中に、新たな領域を切り開くような研究が少なくなっている日本の現状に強い危機感を示す次のような記述がある。

 「わが国の研究が保守化しており、世界の流れから外れる傾向にあることが懸念される。すなわち、これまでに実績のある研究領域で、さらにそれを発展させるような研究の比率が増大し、新たな領域を切り開くような研究の比率が減少している。これに対処するため、研究の評価において世界水準の視座から、学術分野や技術分野を判断できる評価者を広く世界から集めることが必要である。大学は、新たな学問分野を生み出し、社会全体に貢献するような本来の基礎研究を担うことが求められている。このため、大学においては新領域等に参入する研究者の育成・増加を図り、国においてはそれを積極的に支援する競争的資金等を整備するべきである。特に、若手研究者は、未踏の世界の中からインパクトの大きいテーマを探し出し、そのテーマに挑戦し、結果を出すことが期待される」

  端的に言えば、多くのノーベル賞受賞者のように30代といった若い時代に真に独創的で社会的にも大きなインパクトをもたらすような研究成果を生み出せるような研究環境に日本の大学はもはやない、ということだろう。この緊急提言を出した当時の日本工学アカデミー会長、阿部博之元東北大学総長に日本の研究支援体制について尋ねた時に返ってきた言葉を思い起こす。「too late!」。大規模研究開発プログラムや競争的研究資金制度であっても、ピークを過ぎた年配の研究者たちが選考委員となって選定するような研究課題は、もはや時代遅れの可能性が高い、という痛烈な指摘だった。