昨年12月26日(30日再放送)にNHKBS1で放送した番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」で五輪反対デモに参加した男性がお金で動員されている、と事実と異なる内容の字幕を付けた問題。NHKは2月10日に公表した調査報告書で、これまで「 字幕の一部に不確かな内容があった」としてきた見解を改めて「字幕の内容は誤りだった」ことを認めた。さらに、調査チームがディレクターの撮影素材を調べたところ「五輪反対デモには行かない」との字幕の男性の音声が残っていたことが判明した。これは、報告書のいうように、単なる「字幕の内容に誤り」では済まない「ねつ造」と指摘されても仕方のない重大な事実だ。
報告書は、私から見れば、公式記録映画関係者に忖度したとしか思えない「前のめりの表現」が目立つ、突っ込みどころ満載の〝忖度内部報告書〟となっている。
コロナ禍での五輪開催について、国民の賛否が分かれていた時期に、放送法上も「政治的に公平」であるべきNHKが視聴者に対して描き方によっては、「五輪推進」とのメッセージとも受け取られかねない密着番組を、どうしてあえて作ったのか、との疑問は残る。今回はあくまでもNHKの身内の「内部調査」であり、その立場から全く離れた調査結果を出すことは残念ながら難しいと思う。ドキュメンタリー制作の背景や経緯などを含め、審議入りを決めた第3者機関である「放送倫理・番組向上機構(BPO)」は突っ込んだ審議をして、最低限、事実関係を明確にさせてほしい。
上層部の関わり一切触れず
番組を作った経緯について、報告書は「番組を担当したディレクターは、スポーツ番組の経験が長い中堅の職員で、20年9月に関西向けのニュースで河瀬さんのインタビュー企画を提案・担当した際、公式記録映画の密着取材を依頼し、了承を得られたことから、今回の取材・制作を進めることになった」とした。あくまでもこのディレクター側が密着取材を提案したとする。しかし、一貫して「五輪開催」にこだわってきたとされる上層部の関わりなどはなかったのか、この点を調査したのかなどは報告書では一切、触れていない。また、なぜ、視聴者の少ないBSでの放送だったのかも知りたいところだ。
NHKの調査チームは、本部の松坂千尋専務理事を責任者にコンプライアンスや総務部門を中心に弁護士を含めた15人のメンバー。1月24日、昨年12月26日の放送から1カ月近くたって視聴者らの抗議が相次いだことやBPOから報告を求められてやっと設置された。調査チームの立ち上げから18日間という短期間に14㌻にわたる報告書にまとめた。詳しくはNHKのホームページを見てほしい。ヒアリングは番組の制作や取材に関わった職員やスタッフ、問題のシーンでインタビューを行った男性や公式記録映画の関係者からも話を聞き、ドキュメンタリー制作担当者の取材メモや撮影素材などの関係資料も精査した、という。報告書で一応の論点は、最低限、触れられており、NHKへの信頼性をかけて努力した形跡も見られる。この点も書いておかなくては、公平性に欠くことになるだろう。
NHKはなぜ映画関係者への謝罪を優先するのか
私が今回の調査報告書を五輪公式記録映画関係者への〝忖度報告書〟と少し、皮肉を込めて呼んだのには理由がある。
NHKは1月9日の最初の謝罪以来、まだ十分な調査が行われないうちから、謝罪の対象の冒頭に「視聴者」ではなく、「映画関係者」を挙げるなど、ことあるごとに「視聴者」よりも「映画関係者」を優先するという姿勢が垣間見える。今回の報告書でも「はじめに」の部分で「今回の番組は、すべてNHKの責任で、取材・制作しており、東京五輪公式記録映画とは内容も異なります」とした上で、「お詫び」の一番目に「番組に協力いただいた監督の河瀬直美さんはじめ公式記録映画の関係者のみなさま」がきて「視聴者」は一番最後となっている。番組の全責任がNHKにあることは当然だが、今回の事態のNHKにとっての最大の課題は「公共放送として視聴者の信頼性を損ねたことの回復」にある。まず第1に「お詫び」の対象となるのはやはり「視聴者」ではないのか。このような姿勢が報告書には目立つ。
字幕問題が、今回のドキュメンタリー番組のディレクターらの大きなミスによって、全面的な協力関係にある映画関係者側に迷惑をかける結果となったことや、この6月に公開予定の映画そのものにも影響を与える可能性があることは間違いない。そのことに対して、NHK側が十分に配慮をし、謝罪することは番組制作者側としては、当然のことであろう。だからといって、今回の問題が起きた真因を探るためには、どうしても、映画関係者側のこれも全面的な協力が欠かせないことも事実だ。映画関係者へ配慮しすぎることの視聴者が抱きかねない逆効果も考えてほしい。
私が気になる報告書の2つの文章の整合性
私がこの点で報告書の内容で気になったのは、整合性が疑われる文章が続けて書かれていることだ。
問題の事実認定に入る前の「Ⅱ、番組の概要と制作体制」では「公式記録映画との関係性」という項目を設けてこう書いている。
今回の番組の一部は、公式記録映画のための取材や撮影を行う(監督の)河瀬(直美)さんなどをNHKが取材するという、いわば、二重構造になっています。問題となった字幕のシーンに登場する男性は、五輪に対する多様な声を取り上げたいとして、NHKが取材した約10名の中からディレクターの判断で選択しました。この判断に公式記録映画の関係者は一切関わっていません。また、番組内で映画スタッフが河瀬さんに自身が撮影した素材映像を見せている場面がありますが、この素材映像には当該シーンの男性は含まれていません。この場面を取材したディレクターやカメラマンの証言により、NHKとして確認しています。
(報告書5㌻、これを文章①とする)
この「文章①」のすぐ後の事実認定に当たる「Ⅲ、当該シーン・取材の経緯」の中の「取材の経緯」にはこうある。
当該シーンに登場する男性とは、五輪の開会式が開かれた2021年7月23日、映画スタッフが都内を取材中に、初めて会いました。同行取材をしていた(NHK)カメラマンによると、通りかかった男性から映画スタッフに声をかけてきたということで、映画スタッフはその場で後日、インタビューをする約束を取り付けたということです。(ディレクターは別対応で不在)。8月7日、映画スタッフからディレクターに、男性のインタビューに向かうという連絡があったということです。ディレクターは同行取材を行うため、映画スタッフとともに、都内で男性と待ち合わせたあと、近くの公園に移動してロケを行いました。ロケは映画スタッフが男性を撮影し、その様子をディレクターが撮影する形式で行われました。(カメラマンは別対応で不在)
(報告書6㌻、これを文章②とする)
この2つの文章を何度か読んだが、これでは、NHKディレクターと映画スタッフとの、取材での役回りなどの関係性や2つの文章の整合性がよく理解できない。「文章①」で「判断には、公式記録映画関係者は一切関わっていない」といいながら、「文章②」では、この男性を見つけ、インタビューをセットしたのは、映画スタッフとなっているからだ。2つの文章を短絡的に読むと、映画スタッフも男性の取材に主導的な働きをしているのに、なぜ映画関係者は一切関わっていないとえいえるのか、ということになってしまう。
原因究明に欠かせないテーマだからこそこだわる
じっくり、2つの文章を読んで翻訳してみると、間違った字幕を付けてしまった男性の映像を番組に盛り込んだのはディレクターで、映画スタッフは男性取材の段取りを行ってディレクターに同行しただけということか。「文章①」の2つの「デイレクターの判断」「この判断」という言葉が〝くせもの〟で、この言葉があいまいさを醸し出しているのではないか。この問題で、複数の友人にもこの部分を読んでもらったが、やはり私と同じ印象だった。中にはすっと読めてしまう人もいるだろう。2つの文章の整合性という点で「文章①」にもう少し、補足説明がいるのではないか。この部分になぜこだわるかというと、「なぜこの男性が取材対象に選ばれたのか」という今回の問題の原因究明に欠かせないテーマからである。
さらに、ここでの映画スタッフの役回りは何なのだろう。報告書には「競技場の外の人々の取材は、NHKディレクターとカメラマンが手分けして映画スタッフに密着して撮影を進めることになった」と書かれている。この表現だと、ディレクターらの役回りは、あくまでも「映画スタッフへの密着取材」である。だから、「文章②2」でも、映画スタッフは、はじめてこの男性と出会った際に映画の素材にすることを考えていたのか、あるいは、ディレクターからドキュメンタリー用に男性のような人物を見つけてほしいと頼まれたのか、どちらなのか全く分からない。だが、8月7日には、ディレクターと映画スタッフとこの男性の3人がそろって公園にいる。報告書には「映画スタッフ」が男性を撮影し、その様子をディレクターが撮影をする形式で行われた」と書かれている。
そもそも、この字幕の男性をインタビューの相手に選んだのは、「映画スタッフ」ではなかったのか。「映画スタッフ」は男性からどのように声をかけられたのか。さらに、なぜ、インタビューをすることになったのか。男性と会った時の具体的な詳しいやりとりやいきさつを知りたい。また、映画スタッフもこのシーンを撮っていたはずである。河瀬監督に見せた映画スタッフの素材映像にはこの場面はなかった、というが、見せていない映像にはこの場面はあるのか。ディレクターは男性の連絡先すら知らなかった。調査チームはどうやってこの男性の居所が分かったのか。あくまでも推測だが、おそらく、映画スタッフから聞いたのではないか。
誤解しないでほしいが、私はだからといって、「映画スタッフ」側にも責任があったといいたいわけではない。少なくとも、映画スタッフは、この男性を選び、インタビューをすることに関わっていたことは事実ではないだろうか。編集・構成でこの男性のシーンを盛り込み映像化した責任は報告書がいうようにすべてNHK側にある。だが、この男性をどうして選んだのかに、ディレクターが誤った字幕を出してしまったヒントがあるような気がしてならない。このところも、映画スタッフ側にNHKが忖度しているように見える。もし、その事情を聴いているのならば、報告書にしっかりと盛り込むべきだった。
公式映像とNHK映像の混在も真相検証をしにくくしている
報告書が指摘した映画のための取材や撮影を行う河瀬監督をさらに取材するという「二重構造」の問題もこのドキュメンタリーを考える上で重要だ。雑誌「世界3月号」の「メディア批評」で神保太郎氏は「不思議なのは、99分の番組に、河瀬監督チームが撮影した映像が約3分の1の28分も引用されていることだ(神保氏のカウント)」という。画面左上には「撮影:公式記録映画」とテロップがある。神保氏は「そもそもなぜ河瀬監督はNHKにこれほど多くの映像を提供したのか」と指摘する。確かにテロップがあっても、公式記録映像とNHK映像の混在が、問題の真相の検証をしにくくしていることも事実だろう。
また、週刊文春1月20日号「NHK密着番組が捏造」という記事には「20年末、演出振付家のMIKIKO氏が五輪開閉開式の責任者の座を奪われ、佐々木宏氏のもとで演出チームが再出発したときのことだ。河瀬氏はこの会見に公式記録映画の撮影班を入れたいと要請。連れてきたのがなぜか、公式記録撮影班ではなく、自分密着のカメラマンだった」と指摘している。「自分密着のカメラマン」とはNHKのカメラマンのことだろう。あくまでも映画は公開されていないので、まだ何とも言えないが、公式記録映画とNHK映像は、「五輪競技」だけでなく、撮影という点でも協力しあっていた可能性がある。
デモへの偏見はなかったか
次に「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」との字幕をディレクターが盛り込もうと考えた理由についてだ。報告書では、ディレクターは「様々な立場の人から見た東京五輪を撮影しようと努力する映画スタッフの様子を描きたいと考え、その一場面として構成に入れた」とヒアリングに答えているという。計6回の試写のうち 字幕の修正は2回、2回目のプロデューサー試写までは「アルバイト」という言葉が入っていたが、3回目のプロデューサー試写、専任部長試写を経て、最終的にコメントを完成させる段階でプロデューサーから「アルバイト」という言葉には、何らかの仕事で定期的にお金をもらうイメージがある、として「アルバイト」表現は変更された。この変更自体、「お金をもらっている」という点では、同じであまり意味はない。ディレクターだけでなく、プロデューサーにも「五輪反対デモ」への予断と偏見があったと言われて反論は難しいのではないか。
あくまで仮定の話だが、ディレクターが8月7日にこの男性にインタビューした際に「記憶があいまいだ」としながらも、男性は「デモに参加することで2000円から4000円もらうことがある」と答えている、という。これが「五輪反対デモ」を指しているのではないことが、後の調査で判明するが、メーデーなどで組織動員の際には、足代や昼食代は出る労組もあるようだ。だからといって、そのことが直ちに字幕で強調するような問題となるのだろうか。香港やミャンマーの市民デモを見ても分かるように、デモは民主主義社会にとって、市民の基本的な表現手段であり、これを「敵視」するのは偏見である。NHKのディレクターやプロデューサーが番組の構成や試写の時にこのことを考えなかったことはジャーナリズムの担い手として悲しい。単なる「確認しなかった」「裏付けがなかった」という問題ではあり得ない。
この字幕の修正の経緯を見ても、試写は繰り返され、様々な人たちがチェックしたが、予断と偏見に基づいた「五輪反対デモはお金をもらって行っている」とのメッセージを結果として、公共放送が視聴者に送ってしまったことには変わりはない。
2017年1月、東京MXテレビが沖縄での米軍ヘリパッド建設反対運動に参加している人たちに「反対派は日当をもらっている」などとの放送に対して、誹謗中傷したとして、BPOから「倫理違反」や「名誉毀損」と認定され、MXテレビが謝罪するという問題が起きた。今回、過去に同じメディアで起きた出来事からディレクターたちは何も学ばなかったのか。