「日大のドン」としての〝君臨ぶり〟をあぶり出す 読み応えのある充実した第三者委調査報告書 気になる元理事長の判決確定後の動き

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日本大学の田中英寿前理事長が所得税法違反で有罪判決を受け、執行猶予が確定した一連の事件で、日大の第三者委員会(橋本副孝委員長)による調査報告書が3月31日に公表された。全文226㌻という膨大で詳細な報告書である。この報告書には、その前提として、東京地検特捜部による強制捜査があった後だから、教職員らから多数の告発証言が得られたという側面もあることをまず確認しておきたい。その上で、私はあえて、今後の日大の再生への期待という意味を込めて、この報告書に積極的な評価をしたい。それは、報告書自体が、田中氏による、人事権を使った教職員への恫喝を含む「強権的支配」や妻らをも巻き込んだ「大学の私物化」など田中氏の5期13年に及ぶ「日大のドン」としての〝君臨ぶり〟を生々しい職員らの証言であぶり出し、読み応えのある充実した内容となっているからである。

問題の深刻さ書き込んだ報告書

 日大のステークホルダーである約7万人の学生(直系の中高生徒などを含めると約12万人)とその父母、教職員、約120万人の卒業生(田中氏は卒業生の「校友会」の会長でもあった)にとって、今回の問題の深刻さを分かりやすい形で調査結果として書き込んでいることの意味は大きい。日大は4月7日、文科省に再生案や再発防止策を報告、現在の理事らは6月末で全員が退任し、事件発覚時の理事らが、将来にわたって役員に就くことを禁止、7月から新理事長は学外者を軸にして選んだ新体制に移る(4月8日付朝日新聞朝刊)方針を明らかにしている。このほか、再生策として①理事長と学長の任期は2期8年まで②理事会や評議員会の構成は3分の1以上を外部人材とする③(背任事件の温床となった)日大事業部は清算するーなどとしている。

 日大執行部には、4年前の2018年のアメフト部による悪質タックル問題の際に田中氏の責任まで追及できなかったという苦い経験があるはずである。このときの別の第三者委員会が、田中氏の最側近で元理事の井ノ口忠男氏が「タックルが故意に行われたものだと言えば、バッシングを受けることになる。そうしなければ、日大が総力を挙げてつぶしに行く」と選手とその父親を脅す衝撃的なシーンが書かれていた。このことで井ノ口氏は日大から追放されたはずだった。
今回の報告書は井ノ口氏が19年12月には事業部取締役に、20年9月には日大理事に復帰していただけでなく、辞めてから復帰する間も事業部に影響力を行使し続けていたことを明らかにしている。日大はその後も、自浄作用が全く効かずに、田中体制を放置し、結局、本来は「学問の府」であるべき大学に背任罪や脱税という形で東京地検特捜部による強制捜査が入らざるを得ない状況を作った。このことを新執行部をはじめとした日大関係者は深刻に反省して、「大学の自治」の拡充とともに、このようなことを2度と繰り返さないという決意とともに、ぜひこの報告書も日大再生の〝きっかけ〟のひとつとしてほしい。

「永久決別」のはずの田中氏、有罪確定後も大学に出入り  

 とはいえ、気になるのは、執行猶予判決が確定してからの田中氏の動きである。3月29日、東京地裁は、田中氏に対し、18年と20年の所得計1億1800万円を隠し、計5200万円の所得税を脱税したとして、懲役1年、執行猶予3年、罰金1300万円の判決を言い渡した。田中氏、検察側とも控訴せず、控訴期限の4月13日、判決が確定した。田中氏は昨年11月29日、東京地検特捜部に逮捕され、同年12月1日、辞任し、2日後には理事を解任された。大学側は、事件後、12月10日になって、やっと記者会見し、加藤直人新理事長(学長兼務)が謝罪した上で「田中氏と永久に決別し、影響力を排除する」と宣言。東京新聞4月16日付朝刊によると、有罪が確定したことから、日大は田中氏に対し、大学への立ち入りを禁止する内容証明郵便を4月14日付で送付していた、はずだった。

  ところが、田中氏は4月13日に大学の施設を訪れ、同窓会組織の校友会(田中氏は校友会会長だったが除名)の会長代理と業務の引き継ぎを行い、15日にも校友会本部のある日大桜門会館を訪問。東京新聞4月23日付朝刊によると、さらに、田中氏の主治医である日大の専任副学長が18日に大学の公用車を使って田中氏の自宅兼ちゃんこ屋(田中夫人が経営)に持病の薬を届けていたことも判明した。いずれの件についても文科省は「田中氏との決別に疑念を抱かされる」との見解をメディアに公表している。19日には、末松信介文科相が記者会見で、日大を口頭で注意したことを明らかにした。このようになぜか、政権ですら、田中氏の動きを警戒しているようにみえる。

さらに、週刊ポスト4月29日号には、田中氏がジャーナリストの時任(ときとう)兼作氏のインタビューに応じた「日大・田中英寿前理事長激白 『新体制で大学は崩壊する』」との記事が掲載された。その中で、田中氏は「いまさら日大に戻る気はまったくないよ。ただ、この再生案(4月7日に大学が発表)では日大が崩壊してしまう。それだけが気になっている」と前置き。「今回の再生案の背後には、外部から日大を乗っ取ろうとする意図が見え隠れしている」「うちの医学部や歯学部を欲しがっている大学は多々ある」「文科省の介入も気になる。以前、天下りについてあれこれ要求してきた文科省の次官を怒鳴り飛ばしてやったが、いまはそんなことはできないだろう。相当な数の天下りを入れてくる可能性は否定できない」などと語っている。

 この中には、「天下り」など見過ごせない今後も問題になりそうな証言も含まれているが、自分の行ったことに何の反省もない「言いたい放題」というのが正直な私の感想である。その上で「学生への謝罪がない」という指摘についても「俺が校友会経由でどれだけ学生たちに奨学金を出してきたか。全力で大学と学生のために尽くしてきたか。大学のことを真剣に考えてきたからこそ、日大がダメになる再生案に断固反対しているつもりだ」と挑戦的な姿勢をみせている。田中氏は政界や官界に食い込んでいることはこれまで、週刊誌などの報道で明らかにされている。何を暴露するか分からない、という不気味さが長い間、マンモス大学を牛耳ってきた田中氏の底力だともいえる。

中立性・独立性が高い調査委員会

報告書の話に戻りたい。この第三者委員会の委員3人はいずれも弁護士。橋本副孝委員長は年金確認中央第三者委員会委員、早稲田祐美子委員も知的財産権の専門家でいずれも第2東京弁護士会の元会長。垣内正委員は昨年まで東京地裁所長を務めた。補助弁護士は14名、公認会計士3名。いずれも、厳しい条件を課している「日弁連第三者委員会ガイドライン」に準拠して選任されており、その中立性や独立性は高い、みていいだろう。

  調査期間は 文科省への報告を意識してか、22年1月21日から3月31日まで約2カ月10日とやや短い。補助弁護士の数が多いのと、内部調査とみられる別の弁護士らの「背任事件調査チーム」による調査関連資料を閲覧・検討していることから、これだけ短期間で調査できたのだろうと推定される。さらに、調査体制についても、 補助弁護士、公認会計士のほか、関係資料、ヒアリング対象者への連絡などで日大職員6名による第三者委員会事務室を設置。関係者のメールなどのファイルの調査でデジタルフォレンジック調査を行っている。調査体制は一応、十分で専門性もある。調査範囲については、 日大や事業部の役員、評議員、教職員、過去の役員ら106名から延べ136回のヒアリングを行った。事件の被告となった田中氏、元理事で日大完全子会社の元取締役井ノ口忠男氏、医療法人前理事長藪本雅巳氏=いずれも2つの背任事件で特捜部に逮捕起訴された=にもヒアリングや質問状への回答を打診したが、協力は得られなかった。田中夫人については、健康状態も考慮して、ヒアリングの打診はしなかった、という。田中夫人に打診ぐらいはすべきだったのではないかとは思う。

「強権的支配」や「大学の私物化」を暴く内容

 報告書は東京地検特捜部が摘発した①日大板橋病院の建て替えの設計・監理業者選定②医療機器等の調達に係る2つの背任事件と田中氏の脱税事件について詳細に丁寧な調査をしている。脱税事件については、田中氏らから事実関係の説明を受けることができなかったので、公判を通じて明らかになった事実関係が記載されている。報告書はこのことを「調査の限界」としているが、関係者が逮捕、起訴されていることからやむを得ないことと考える。

 この3つの事件以外に報告書は、この事件以前から事業部に関連した類似の事案を多数、調査であぶり出した。報告書によると、日大が食い物にされた理由として、田中氏が重用したのが、「理事長付相談役」との名刺を使う井ノ口氏だった。日大完全子会社の「事業部」取締役として、井ノ口氏は意中の業者に発注を繰り返し、商流に必要のない関連業者を介在させ、値引きによる返金分の一部を得させていたことが報告書では見てとれる。リベートも受け取っていた。田中氏は理事長に再選された後、「総長制」を廃止して、理事会を形骸化させ、役員や職員の人事を一手に握った。自分の意に添わない職員らは飛ばされた。報告書ではこのように生々しい事実が紹介されている。

 この問題を解くキーワードは、「強権的支配」と「大学の私物化」だ。報告書の事実認定の中で、例えば、「強権的支配」では、当時の日大芸術学部長が理事会で、理事長入室時に出席者全員が「起立」することになっていたのに、ひとりだけ起立せず、理事らが行くことが慣例となっていた田中氏の妻が経営する「ちゃんこ屋」にもいかなかった。このことで、この学部長だけでなく、芸術学部の幹部全員の人事が4年間も凍結されたケースが報告書には記載されている。また「大学の私物化」では、日大の完全子会社である「事業部」が舞台として使われ、①田中氏のために、都内の2軒のマンションが借り上げられて月40万円が使われた②夫人の飼い犬への世話係を月36万円で雇ったーなど部下の事業部取締役で日大理事だった井ノ口氏によりやりたい放題の私物化が行われていたことが報告書で明らかにされている。

  これらは、報告書の生々しい事実認定の一部を紹介したにすぎないが、報告書の内容には、それにも増して以下のような2つの意義があることをまず、確認しておきたい。

 その意義の1つは、東京地検捜査では立件されなかった(できなかった可能性も)田中氏の背任容疑について、報告書は田中氏が「部下である井ノ口元理事を重用してその専横的な行動を容認。井ノ口氏の事業部における強圧的な支配の後ろ盾になっていた。井ノ口氏が受領した現金についても、田中氏は日大関係の取引を巡る何らかの不正行為の結果だと認識できた。背任事件で日大が被った損害への責任もある」としてその法的責任や損害賠償責任を認定したことである。

 もう一つは、田中氏の5千万円脱税の執行猶予付きの東京地裁判決は4月12日に確定したが、田中氏は脱税の事実を認めたため、公判では、田中氏の利権構造などの検察側の立証は行われなかった。井ノ口氏と医療法人前理事長藪本雅巳氏の背任事件については、まだ、初公判も開かれていない。このような中で、田中氏の利権や支配の構造にまで報告書が踏み込んだことにも報告書の意義があると考える。

いまだにある教職員や学生の報復への懸念

 報告書は、田中氏の逮捕・起訴後にも、教職員や学生にはまだ、田中氏からの報復へのおそれを感じていたことを指摘している。このことは、田中氏の有罪確定後の大学への出入りをみてもまだ、懸念材料である。

 第三者委員会は、日大の教職員(約7000人)らへの記名アンケートで943名から意見を入手し(回答が少ない、との批判もあろう)、報告書に「アンケートで寄せられた声」として17㌻にわたり紹介している。教職員の声の中で、私が注目したのは、アンケートに回答すること自体に教職員の間に「不利益を被るのではないか」との不安の声がまだまだあることである。さらに、報告書は「結語」で学生が執筆・編集する「日本大学新聞」のコラムを紹介。「(大学新聞は)アメフトタックル問題では関連記事を一切報じなかった。理事長の逮捕を受けて学生記者全員で話し合ったが、これまで不祥事は1行も書いていないことから、今回も書かないという意見が多数を占めた」。その理由は「書けば、何らかの報復があるのではないかー。誰もがおびえていた」からだった。このように教職員だけではなく、学生までもが「田中支配」におびえていたことを報告書で知り改めて愕然とする。第三者委報告書の「結語」としては異色の内容だが、それだけにこの事件の持つ特殊性をよく現している。

〝官製委員会〟との側面も

  一方で、報告書評価に当たってマイナスとみられる要素もある。それは、今回の第三者委員会を立ち上げた経緯についてである。

 報告書によると、当初は20年9月、地検の捜索を受けた後、顧問弁護士らにより、その後は顧問契約のない弁護士らも加わって日大が作った「背任事件等調査チーム」の1回目の中間報告書が同年12月13日に公表された。その報告書が田中氏の背任での責任などで「不十分」な内容だったこともあり、メディアから批判的な記事を書かれた。このこともあってか、文科省はその4日後、日大に対して、より独立性・中立性の高い第三者委員会への移行を含めた調査体制の見直しを求めた。ここでやっと日大は重い腰を上げて、今年1月21日、今回の第三者委員会を立ち上げた。このような経緯をみると、日大は本来は組織の自浄作用を発揮するための機関であるはずの「第三者委員会」を自ら積極的に設置したのではないことが分かる。いわば、文科省の強い指導(圧力)で作られた〝官製委員会〟としての側面があった。もちろん、この経緯を報告書はきちんと記載している。委員会の委員自体の責任ではないが、検察が起訴した後に、このような〝官製委員会〟を設けること自体、組織の自浄作用を旨とする第三者委員会の在り方として、やはり問題が残りそうである。

かつて田中氏は・・・

   いまから54年前。私は共同通信社会部で警察署担当の新人記者だった。1968年、国税当局は日大の使途不明金を発表、その額は20億円から約34億円に上った。これを機に学生や教職員が古田重二良会頭を糾弾し、学生らは全共闘を結成してバリケードストライキで抗議した「日大闘争」を最前線の記者として取材した。そのとき、不正に対する私と同世代の日大全共闘文理学部の幹部(確か「文闘委」といったと思う)の皆さんに取材したが、イデオロギーからではなく、率直な正義感から「絶対に不正を許さない」というごく普通の学生たちの澄み切った目の輝きはいまでも忘れない。

 田中氏はそのとき、経済学部4年生で、日大全共闘とは、体育会系の相撲部のメンバーとして対立する立場にあったという。そのこともあって日大に就職して、その後の権力を築いたとの報道もある。そうすると、田中氏の原点は〝日大全共闘つぶし〟にあったといえるのかもしれない。この歳になって、人間の生き方はさまざまで他人が介入する余地はない、とつくづく最近は感じる。日大全共闘は壊滅し、その後、田中氏は日大で生き残って出世を遂げ〝王国〟を築いた。

 田中氏はアマチュア横綱に3度輝き、大相撲の元大関琴光喜や幕内遠藤らを輩出した日大の指導者として長く君臨した。JOC副会長もつとめた。そこにとどまっていれば、晩年は名誉ある人生が送れたはずだ。ご本人は、あくまでも「日大のためだ」というだろうが、やはり調査報告書をみると、ほぼ同じ世代の私からみて、ご本人は不満だろうが、その生き様は結果として「私利私欲」と言われても仕方がなかったのではないか。田中氏とやはり同世代のかつて日大全共闘で闘った人たちは、このような田中氏をいま、どうみるのか。その後、様々な人生をたどったはずの人々に改めて聞いてみたい気がする。

 (この文章は、4月20日にWEBで公開された私も委員として属する「第三者委員会報告書格付け委員会」(久保利英明委員長)での「日大報告書」の格付け個別評価を「ウオッチドッグ21」用に書き直したものです。興味のある方は、格付け委のHPをご覧ください。http://www.rating-tpcr.net/)