<広島、長崎への原爆投下から78年>3回続きの(上)米国は原爆投下の過ちを認めるべきだ  いまだに米社会に根強く残る「正当化論」 「被爆の実相」のタブー化 映画「オッペンハイマー」や「バービー」の〃騒動〃が教えてくれたもの

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 7月21日に米国をはじめ世界で公開された米国の映画「オッペンハイマー」と「バービー」を組み合わせた画像が被爆者らの気持ちを逆なでしているとしてインターネット上で物議を醸している。「オッペンハイマー」は〃原爆の父〃と呼ばれる物理学者の半生を描いたもので、「バービー」は着せ替え人形のバービーの実写版のコメディー映画。二つの映画に直接の関係はない。ところが世界での公開日が同じ日だったことや人気監督の作品だったこともあり、原爆の爆発を想像させる背景の中でバービー役の俳優がオッペンハイマー役の俳優の肩に乗り、バービー役の髪の毛がキノコ雲に置き換えられたりした合成画像が旧ツイッターの「X」で拡散された。

今もタブー

 バービーの米国公式アカウントが「思い出になる夏になりそう」との好意的な反応を示したことなどからネット上で大きな騒動になった。タイトルを合体させた「バービーハイマー」という造語まで生まれる社会現象となった(東京新聞8月8日付朝刊、「こちら特報部 バービー騒動」)。日本では「バービー」は8月11日、公開されるが、「オッペンハイマー」の公開日は決まっておらず、公開されるかもまだ分からない。

 「オッペンハイマー」は3時間余りの大作だが、原爆の被害のシーンはほとんど登場しない、という批判がある。このことについて、7月26日、米誌ニューズウイーク日本版で在米のコラムニスト冷泉彰彦氏がこの問題を取り上げた。

 「現在のアメリカでは、広島の悲惨な映像を公開すること、あるいは首脳が見ることは一種のタブーになっています。それは、そうした行動自体が『アメリカにとっての謝罪行為』であり、国家への反逆だという言い方で批判される危険があるからです。バイデン(米大統領)はそれゆえに、(5月の広島サミットで)原爆資料館の一部しか見なかったし、この『オッペンハイマー』も同じ理由から惨状の描写を控えたと考えられます。この点に関しては、被爆国である日本として、改めて真剣な問題提起をするべきです」

 「原爆正当化論」あらためて正当化

 この記事がネットニュースに掲載されたのを一つのきっかけに「バービー」と合わせて日本のテレビや新聞もこの問題を大きく扱うようになった、と私は考えている。二つの映画ともまだ見ていないので映画自体の批評は控えたい。ただ、この問題については「大騒ぎするほどの話ではない」との意見もネットでは散見されるが、少なくとも、広島、長崎への2回の原爆投下に関して、「戦争を早く終わらせた」などの「原爆正当化論」が米国社会に根強く残っていることをあらためて浮き彫りにしたことは間違いないだろう。1945年8月6日と9日の広島と長崎の原爆の日に当たって、原爆投下から78年たっても米国社会に残る「正当化論」や日本でも漫画「はだしのゲン」の広島市教委の動きで指摘され始めたバックラッシュについて、冷泉氏の問題提起も含めて考えてみたい。

12人の米兵被爆死も隠蔽

 6日の広島原爆投下直後からの日本軍部による「新型爆弾」の発表に始まり、この後も、敗戦間際まで日本は米国のトルーマン大統領(当時)の発表にも関わらず、国民の戦意喪失や戦争継続をするために、なかなか原爆と認める発表をしなかった。神戸市外国語大学準教授の繁沢敦子氏の「原爆と検閲」(中公新書)によると、8月7日の朝日新聞は「若干の損害」とのみ書き、3日後の長崎についても、2日遅れの8月12日「被害は比較的僅少なる見込み」と書いている。占領下の連合国軍最高司令部(GHQ)は原爆の被害について、日本人のみならず、米国のジャーナリストにも詳細な報道、特に放射能による被害について、報道を統制した。このことについて、繁沢氏は「終戦からわずか1カ月の間に相当数のジャーナリスト-そのほとんどが米国人であったが、被爆地を訪れ、相当量の原稿を書きながら、それが本国の媒体で時に消され、あるいは人目につかない扱いを受けた」と指摘する。原爆投下直後の広島の被害をまとめた歴史的な名著、「ヒロシマ」を書いた米ジャーナリストのジョン・ハーシー氏も検閲を受けたことが中国新聞の報道により明らかになっている。

 また、広島で原爆投下前に捕虜となった爆撃機の乗組員ら米兵12人が被爆死していた事実も長い間、日本、米国両政府の手で隠されてきた。自らが落とした究極の非人道大量虐殺兵器で味方まで犠牲にしたことを米国民に知られることを恐れてのことだろう。1995年のワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館での原爆資料の展示に対する元在郷軍人らの圧力による中止(朝日新聞はスミソニアン博物館が戦後80年の節目となる25年に原爆投下後の広島、長崎の写真の展示を計画していることを明らかにしている。ただどのような展示内容となるかはまだ不明で、その内容が注目される)など「被爆の実相」に関して、米国内ではタブー化されてきたことは歴史的事実であることをまず確認したい。

被爆の実相のタブー化

 このことについて、「敗北を抱きしめて」でピューリッツアー賞を受賞したジョン・ダワー氏は2013年の「忘却の仕方 記憶の仕方」(岩波書店)で「日本の2つの都市への原爆投下は(米国人の意識に刻み込まれた)『勝利した良い戦争』の物語に、こぎれいにはめ込まれている。この語り口によれば、日本の軍国主義指導者に降伏を説くには原爆が必要であり、日本本土を侵攻すれば、失われていただろう無数の米国人の命を救ったことになる」というのが米国が原爆投下を正当化する際の「標準的な台本」だという。冷泉氏の指摘と重なるが、「被爆の実相」のタブー化と隠蔽は米国内でいまだに続いていると見るべきだろう。

 朝日新聞8月8日付朝刊は「原爆観 米社会に変化の兆し」の見出しで「米研究者は社会の中で一度固まった構図を変えるのは容易ではない、と話す。それでも90年代と比べ、変化は起きている」と書いた。その一つに、90年代には、第2次大戦を戦った退役軍人が大きな影響力を持っていた。また、学界では、主に原爆の投下が正当だったかどうかという観点からの研究が進められたことを挙げている。しかし、確かに米国での「正当化の支持」は下がっているものの、原爆投下を「正当」と考える米国人はまだまだ多いし、朝日新聞の記事は、希望的観測を含めた楽観論に見えてしまう。

米の若者の3割が原爆投下正当化

 ダワー氏のこの指摘は、米国人に対する世論調査で裏付けられる。原爆投下直後の1945年のギャラップ調査が米国人の85%が原爆投下を「正当」としていた。「被爆75年」に当たる20年、NHK広島放送局が実施した日米の18歳から34歳までの若者を対象に実施したインターネット調査によると、75年前に米国が原爆を投下したことについて、米国の若者は41・6%が「許されない」と答え、「必要な判断だった」と答えた31・3%を上回った(20年8月3日、NHK NEWS WEB)。

 しかし、逆にいえば、米国の若者のうち、まだ3割以上も原爆投下を正当化しているわけだ。これは、決して小さな数字ではない。まだ、原爆を投下した唯一の国、米国では「原爆投下正当論」は幅を利かせているということだろう。

                                          (続)