米国に根強く残る「被爆の実相」を直視する〃タブー〃を象徴する出来事がことし5月19日の主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)の首脳による原爆資料館視察でも起きていた。
痛烈な告発
毎日新聞広島支局の根本佳奈記者が6月8日付朝刊に書いた「記者の目 G7サミット 地元で取材して 核廃絶へ、うなりになれば」からその一部を引用する。私がなぜこの記事をあえて取り上げたかと言うと、原爆被害を被爆者取材を通して現地で見つめてきた支局記者が冷静な目で原爆を投下した米国やそれに追従する日本政府の姿勢を被爆者に代わってこの記事で痛烈に告発しているように思えたからである。
ついでに指摘しておきたいが、特に新聞報道で原爆資料館の首脳視察が「非公開」だったことについて、米国に英仏を含めた「核保有国への配慮」とひとくくりに報道したことには強い違和感がある。なぜならば、言うまでもないことだが、「ヒトラーのナチスが米国より先に核兵器を持ったら大変だ」との危機感を伝えたというアインシュタインのルーズベルト大統領への手紙(ハンガリー出身の物理学者レオ・シラードが頼んだ)をきっかけに、当時の金で22億ドル(3兆円)もかけて「マンハッタン計画」がすすめられ、原爆開発の総指揮官、レズリー・グローブス将軍やオッペンハイマー・ロスアラモス研究所長の下、世界で初めて原爆を開発、45年7月16日に初の原爆実験を行った(トリニティー実験)。
三つの原爆投下目的
米側は、「戦争を早く終わらせるためにはやむを得なかった」などとその行為を正当化したが、すでにナチスドイツはこの年5月に降伏していた。当時は敗戦しか選択肢がないほど追い詰められていた日本に対して広島、長崎と2発も続けて投下し、1945年だけで21万人もの死者を出す極めて非人道的な行為を行ったのは米国である。しかも、1945年7月26日の米英中による日本に降伏を求める「ポツダム宣言」の前日の7月25日に第20航空軍に対して原爆投下命令書が出ていた事実は重要である。また、投下は長崎以降も準備されていたことや、投下の目的が①日本を降伏させる②ソ連を威嚇するためーのほかに、ウラン型(広島)とプルトニウム型(長崎)2種類のタイプの原爆の破壊力や人体への放射能の影響を含む殺傷能力などの効果を知るための「人体実験」という側面を指摘する学者もいる(木村朗鹿児島大教授「核の戦後史」=高橋博子氏との共著、創元社)。
もちろん、太平洋戦争は日本側が仕掛けた戦争であり、もっと早く降伏していれば、原爆は投下されなかった、と考えることもより重要であり、日本の責任を免責するものではない。朝日新聞の報道によると、日本政府に対して、フランスも資料館視察にあれこれと注文を付けていたようだが、原爆投下国の米国の〃圧力〃とはその意味は本質的に異なる。
被爆者への「口止め」
「『広島サミット』なのに、どこか遠い国のことのように思えた。厳粛な祈りの場であると同時に市民の憩いの場でもある広島市の平和記念公園は白いシートを張った高さ2㍍ほどのフェンスで囲まれ、関係者以外は閉め出された。公園内にあるガラス張りの原爆資料館(広島平和記念資料館)も目隠しのフィルムで覆われていた」
こういう書き出しで始まる根本記者の記事。この中には首脳らに英語で「被爆の実相」を証言した被爆者の小倉桂子さん(85)への外務省による「口止め」という重要な事実が含まれていた。メディアすべての記事をチェックしたわけではないので、このことに触れた他のメディアもあったかも知れない。改めて朝日新聞5月20日付朝刊を調べたが、社会面に「85歳小倉さん、G7首脳と対話」の記事はあるものの、外務省による〃口止め〃の事実には触れていない。だからこそ、首脳視察から3週間後に書かれた毎日記事は私にインパクトを与えた。
外務省とメディアの板挟み
首脳らは約40分の原爆資料館視察で何を見たのか、どんな感想を抱いたのか、被爆者の話をどんな表情で聞いたのかー。このことは被爆者だけでなく、唯一の戦争被爆国の日本国民が一番知りたかった事実ではないのか。岸田文雄首相は、常々、被爆地広島出身の政治家であることを強調し、就任以来「核なき世界」をアピールし、20年10月には「核兵器のない世界へ」(日経BP社刊)との本も出版した。そして、サミット議長国としてようやく広島開催にまでこぎ着けた。その岸田氏が米国側からの要求があったとみられるものの、来年、大統領選を控える米国のバイデン大統領に配慮し、忖度した結果が首脳の視察の「非公開」だった。誰が見てもそう考えるだろう。
根本記者の記事に戻るが、小倉さんは「どんな質問があったのか、どんな反応だったか。話したいけど『言ってはいけない』とくぎを刺されているんです」と語ったという。根本記者はこのときの小倉さんについて「口止めする外務省と、視察の実相を伝えようとするメディアの間で板挟みとなり、憔悴しているように見えた」と書いている。
朝日新聞5月20日付朝刊の「時時刻刻」は「首相官邸幹部は『米国は直前まで〃あれは見る、これは見ない〃と注文を付けてきていた』と明かす」と米国側の動きを暴露している。しかし、官邸記者クラブや外務省記者クラブと官邸の間では、「視察非公開」に至った詳しい理由や一連の記者会見についてどのようなやりとりが行われたのかも明らかになっていない。とにかく、何事にも対米追従姿勢の強い岸田首相の強い意向があったことは間違いないだろう。バイデン大統領らが「被爆の実相」の一部を垣間見たことはそれなりに評価する。しかし、「口止め」については被爆者代表として証言した小倉さんだけでなく、被爆者にとっては、傷んだ傷にさらに塩を塗りつけるような耐えられないほどのひどい仕打ちではなかったか。だから、岸田首相の遠縁で核廃絶運動を命がけで続けてきたサーロー節子さんは、広島ビジョンの「核抑止力容認」と合わせて広島サミットに「失望」し「大失敗」と言ったのだと、私は考えている。
慰霊碑の英訳「Evil」を「Mistake」に
もう一つは、6月21日のネットメディア「現代ビジネス」でジャーナリストの長谷川学氏が明らかにしたG7首脳への広島の原爆慰霊碑にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の「過ち」について、広島市の英訳(公訳)は「Evil」だったが、「悪魔」と受け取られる可能性があるため、外務省の通訳によって首脳らに対して「Mistake」と言い換えて伝えられた、との記事だ。(現代ビジネス「スクープ 『Evil=悪魔』か・・・?岸田首相が原爆慰霊碑『過ちは繰返しませぬから』の英訳で講じた『秘策』の中身」)
長谷川氏によると、広島サミット開催は岸田首相の悲願だったが、自民党内には「原爆を投下した米国への批判と受け取られるリスクもある」との危惧もあり、1950年に建てた原爆慰霊碑の文言の内容を各国首脳にどう説明するかが問題になっていた。83年に慰霊碑近くに広島市が設置した英文の説明板は「安らかに・・・」を「Let All The Souls Here Rest In Peace;For We Shall Not Repeat The Evil」と英訳している。もし、この英訳をバイデン氏らが読んだら「日本人は核保有国を悪魔と見なしている」と受け取られる恐れが多分にあった。だが、この説明板の設置者は広島市であり、政府が頭ごなしに説明文の内容を変更することはできない。
助け舟
そこで、NGOの国際IC協会の藤田幸久会長が助け船を出し、4月21日に岸田首相と会い、「Evilは本来の意味に即していないので、Mistakeと訳して首脳に伝えるべきだ」と提案したという。このとき、会長は、慰霊碑を建てた当時の浜井信三市長と親しかったドイツ人の著書では、浜井市長が話した『過ち』を「Mistake」と訳しており、マハトマ・ガンジーの孫も浜井市長が会った際に「Mistake」と話していたーなどの歴史的経緯を説明した、という。
会長が松井一実現広島市長と電話で話したところ、松井市長も「Mistakeの方が碑文の本来の意味に近い」という認識を持っていることが分かり、それを政府側に伝えたことがサミットの時に実現した、という。「Evil」は碑文の考案者でもあり、英文学が専門の雑賀(さいか)忠義広島大教授が浜井市長の依頼を受けて、米国の大学関係者に意見を求めるなどして練り続けものだという。この記事の筆者の長谷川氏は最後に「国際情勢の変化を踏まえ、広島市は、碑文の英訳をMistakeに改めることを検討すべきかもしれない」と書いている。
米への追従姿勢
私は「Evil」を「悪魔」と訳すと、「Devil」ではないので強すぎると思うが、そういう意味もあるのだろう。「悪」「邪悪」という意味でとらえても、「うっかり」という感じもある「Mistake」(間違い、誤り、失敗)とはニュアンスが大きく異なるのではないか。10年5月25日の中国新聞によると、雑賀氏が書いた直筆の別の英訳が見つかった、と報じている。この報道によると、雑賀氏は「過ち」を「The Fault」(欠陥、過ち、間違い)と書いており、広島市が碑文を発表した52年ごろに使われていたという。この「Fault」はその後、雑賀氏により「Evil」と変えられた。少なくとも、さらに別な草稿が見つかる可能性も否定しないが、雑賀氏は「Mistake」は使っていなかったことになるのではないか。
雑賀氏は61年に66歳で亡くなっている。浜井市長も68年に62歳で死去している。当事者の2人はもういない。一般的には「過ち」は「Mistake」なのだろうが「Evil」はもっと強い言葉だ。原爆の深刻な被害を考えると、この言葉にご自身も被爆者である雑賀氏のかなり深い思い入れを感じるのは、私だけだろうか。どうしても、ここにも日本政府の米国に対する過剰な追従姿勢を感じる。「被爆の実相」を考えるとやはり「Evil」でいいのではないか。
(続)