<広島、長崎への原爆投下から78年>3回続きの(下)「はだしのゲン」「第五福竜丸」が広島の平和教材から消えていく  核を必要悪とする「核抑止力」ではなく核兵器は「絶対悪」 世界で共有したいこうした認識

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 「被爆の実相」を直視することのタブー化は米国だけではなかった。日本でも、今年に入って作者の中沢啓治さん(故人)が6歳の時に被爆した実体験を基にした漫画「はだしのゲン」をめぐり、広島市の平和教育教材から削除されるとのニュースが伝わり、全国で波紋が広がった。

保守系団体から削除求める動き

 NHKのクローズアップ現代が8月2日に放送した「はだしのゲンはなぜ〃消えた〃?」は視聴者に大きな反響を呼んだ。累計発行部数1000万部以上、世界各国で翻訳され読み継がれてきた「はだしのゲン」。10年前から小学校3年生向けの平和学習教材に使ってきたものをなぜ広島市教委はことし、別のものに差し替えることにしたのか。市教委は「現場の声を聞いたところ、浪曲など今の子どもたちには理解できないシーンが漫画にはある。あくまで教材を扱いやすいものにする改訂」だとしている。また、番組でNHKは広島市の小学校の教員を対象にアンケート調査を実施した。この結果、「はだしのゲン」について「効果的でないと感じる部分もあった」が36%、「効果的だった」と回答したのは61%だった。現場の教員の6割以上が子どもへの教育効果を認めていることになる。それなのになぜ突然・・・。

 この番組で注目されたのは、「はだしのゲンは教材として不適切だ」との保守系団体から削除を求める声があり、この動きが今回のはだしのゲンの教材からの削除に何らかの影響を与えた可能性を示唆する内容となっていたことだ。番組はこの「広島の保守系団体」に「日本会議のメンバー」の名前を挙げている。私ははだしのゲンの中に昭和天皇の戦争責任の問題に触れる場面があることが保守系団体を刺激したのではないか、と考えている。

 この問題がメディアで報道されると、「はだしのゲン」は逆に売り上げが伸びて10倍になったという(朝日新聞デジタル、5月18日)。私も以前、読んだことはあるが、早速、電子書籍版で全巻購入し、3日間で読み切った。確かに、一部には保守のひとたちを刺激しそうな表現はあるものの「被爆の実相」をこれほど忠実に現している書物は少ないし、もっと多くの人々に読んでもらいたいというのが私の率直な感想であり、希望である。特に子どもたちに読んでほしい。

「ビキニ事件」でも米国による〃隠蔽〃の動き

 広島市教委が54年3月、米国が行った水爆実験で放射能を浴びた「第五福竜丸事件」(58年まで続いた水爆実験を広くとらえて「ビキニ事件」という人もいる)の記述も中学生向け教材から外したとの中国新聞(3月1日付)の報道も出た。「被爆実態を継承する学習内容ではない」というのがその理由だそうだ。被爆地広島の教育現場から子どもたちが「被爆の実相」を学ぶ教材が相次いでなくなっていく。

 「第五福竜丸事件」は戦後の原水爆反対運動の原点となる事件だった。広島、長崎への原爆投下から9年。3度目の被爆に市民たちは動揺し、怒った。これをきっかけに、放射能の恐ろしさが全国に知られるようになり、反対運動が広がり、55年8月6日には、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催された。しかし、「第五福竜丸事件」では、ソ連への警戒感(49年9月にソ連も原爆保有)もあったのだろうが、このとき、放射能被害という原爆の非人道性を知られることを恐れる米国による〃隠蔽〃があった、とされる。それに52年8月の講和条約発効による独立して間もないとはいえ、日本政府も協力していたことが公表された米文書からうかがえる。「第五福竜丸事件」も、「被爆の実相」を知る上で重要な出来事だった。

 事件は1954年3月1日の現地時間の早朝、当時、米国の国連信託統治領だったマーシャル諸島(オーストラリアとハワイの中間にある。86年10月、「マーシャル諸島共和国」として独立)のビキニ環礁で米国が水爆実験を行った。この水爆の威力は広島型原爆の1000倍と言われる。公海上で操業中だった遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(静岡県焼津市)が強い放射能を帯びた雪のように降る白い粉末状の「死の灰」を浴びて、乗組員全員の23人が被ばく、半年後に無線長だった久保山愛吉さん=当時(40)=が亡くなった。3月16日付朝刊に読売新聞が掲載した「邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇 23名が原子病」との記事が被ばくの事実を明らかにした。同社の焼津通信部安部光恭記者による歴史に残る見事なスクープだった。第五福竜丸は米国の設定した危険水域外で操業していた(禁止海域の境界から30キロ東、ビキニ環礁からは160キロほど東に離れた場所)が、米国が水爆の威力を誤ったため、死の灰が予想以上に広がった。近くには、1千隻近くの日本漁船がいた。

乗組員に〃スパイ疑惑〃

 読売報道の少し前の3月14日、福竜丸は焼津港に帰港。乗組員は東大病院などで手当てを受けた。米政府は日本の新聞報道を受けて17日になってようやく「水爆実験」を公表した。24日、米原子力委員会委員長は「実験場のごく近くにしか放射能はない」と発表。さらに、31日には福竜丸の乗組員23人のほか、マーシャル諸島住民236人と米兵28人が被ばくした事実を認めたものの、「福竜丸が危険区域に入ったからだ」との見解を出した。そして、「損害が誇張されている」との考えを明らかにしている。この後、米国は乗組員にスパイの疑いをかけ、CIA(米中央情報局)に調査させるが、もちろんそのような事実は見つかるわけはない。この調査に外務省も協力した。「スパイ疑惑」については米報道機関により事件直後から大々的に宣伝されたが、疑惑が晴れたこともCIAが調査したこともその後の公開文書で明らかにされるまでは報道されることはなかった。

 そして、米側はその法律上の責任を認めることなく、55年1月、米政府から日本政府に200万ドルの慰謝料が支払われた。この金を受け取った後は、米政府に対して一切、被ばくした人を含めて、文句を言えないような和解内容となっていた。54年9月23日に亡くなった久保山さんについて、日本の主治医は死因を「放射能症」と診断したが、米政府はこれを認めず「放射線傷害から回復過程にあったものの、入院中の感染症型の肝炎によるもの」とした。以上、「核の戦後史」(木村朗、高橋博子著、創元社)による。

 この本の後半部分を担当、米公文書などを分析した高橋博子奈良大学教授(文化史学)によると、米政府は54年3月1日から5月13日にかけてビキニ環礁で「キャッスル作戦」と呼ばれる計6回の核実験を実施した。最初に爆撃機に搭載できる水爆は可能かを試すため「ブラボーショット」と呼ばれる実験を行った。米原子力委員会は当初は、単に「原子力装置」を爆発させたと発表したが、この時点では「水爆実験」であることを隠していた。

「人体実験」

 3月11日には「マーシャル諸島の住民や米兵が思いがけなく若干の放射能にさらされた」と発表。しかし、97年に公開された公文書によると、米議会の委員会での54年3月11日付文書では、水爆実験の後、236人のマーシャル諸島住民(現在の公式見解では239人)と28人の米兵が「非常に高レベルの放射線によって被ばくした」と記述されていた。住民が被ばくしたことが問題視されて「ソ連がこの不幸な出来事を使ってプロパガンダを行う恐れがある」とも書いてあった。これは「若干の放射能にさらされた」との公表と大きく異なる。その事実を隠蔽しようとしたのではなかったか。この本では住民への「人体実験」の可能性にも言及している。

 さらに高橋教授は、54年12月27日付のアリソン駐日米大使からダレス国務長官に送られた書簡を情報公開請求で見つけた。この書簡には、アリソン大使と重光葵外相との会談内容を報告するもので、重光が渡したメモを紹介。メモの第1項は「(日本側が慰謝料200万ドルを要求する)ビキニ保障問題の解決」だが、第6項に東京裁判で終身刑となったA級戦犯の仮釈放を暗に要求する内容があったという。第五福竜丸事件で日本政府がA級戦犯の仮釈放まで要求していたとは。被ばくした乗組員と一体、どちらが大切なのか。当時の日本政府の姿勢そのものが問われる内容ではないかと思う。

「被爆の実相」とはそもそも何か 

  まず前提として、岸田首相もよく使うが、必ずしも定義がはっきりしない「被爆の実相」とはそもそも何かを、私なりに考えてみたい。短い文章ではとても全体像を書き表せるものではないが、広島を拠点に平和推進活動を担う「HIROSHIMA SPEAKS OUT」のHPなどを参考にしてまとめてみた。また、「黒い雨」については、毎日新聞記者、小山美砂氏の「黒い雨訴訟 なぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか」(集英社新書)を参考にした。

 「被爆の実相」とは、1945年8月6日の広島、9日の長崎への米軍の原爆投下により受けた被害全体のことである。3000度を超す熱線が人と建物を焼き尽くすー。爆発直後の熱線や爆風、その後に起きたことは・・・。中沢啓治さん氏は、「はだしのゲン」で被爆当日のことをこう描いている。

 「黒こげの人が防火用水の水を飲んでいた。目玉が飛び出た人や、腹から腸が出た人にも出会った。近所のおばさんは、身体にガラスがびっしりと突き刺さり、動くとガラス同士が身体の中で触れあってジャリジャリという音がした」

 さらに、投下翌日の体験を「はだしのゲンはピカドンを忘れない」(岩波ブックレット)でこう書いている。

 「8月7日。広島の空は、また8月の太陽がギラギラ照りつけます。畑でほとんどの人間が死んでいます。そして、6日当日より市内からの幽霊の行進がいっそう激しくなって、ぞろぞろぞろぞろ、ふえてくるのです。今度はもう倒れ込む場所もありません。どうするのかと見ていますと、死んでいる人間の手足を持って、畑のすみに引っ張っていきます。畑のすみに、焼けただれた人間の死体の山がいっぱいできます。そのあいたところに、またつぎの人間が倒れこんでいく。そして、8月の暑さでたちまち死体が腐って、異様な死臭がただよいだすのです。くさくて、むかついて、どうしようもありませんでした」

 これらは、「はだしのゲン」に描かれた原爆被害の悲惨さ、残酷さのほんの一部である。「被爆の実相」は被爆者の数だけ、それぞれの悲しい物語があるのだということを戦後に生まれたわれわれはもっと知るべきだとつくづく思う。

被爆めぐる裁判決着せず

 そして人類史上これまでに使われたことのなかった放射能による急性障害(45年中の終わりぐらいまでの嘔吐、発熱、倦怠感、脱毛などの症状)とその後の、原爆白内障、白血病、甲状腺がん、乳がん、肺がんなどの「後障害」、原爆投下後に降ったいわゆる「黒い雨」による身体的被害。「黒い雨」に打たれた人は、直接被爆した人と同じ症状に苦しむことになる。市内にいて直接被爆をした人やその後、家族を探したり、救援に入った人なども被害が広がった(これを「入市被爆)という)。「胎内被爆」の問題もある。被爆によりいわれのない「差別」を受けたり、いわゆる「原爆症」への恐怖に脅え続ける被爆者たちも多い。

 1945年中の死者は広島14万人(当時の人口は40万人といわれている)、長崎7万人(同24万人)の推定計21万人。23年8月6日現在での広島の原爆死没者名簿に登載された死者は新たに5320人増えて計33万9227人、長崎での8月9日現在の死没者名簿には新たに3314人が登録され計19万5607人となり、総計は53万4834人となった。被爆者手帳をもっている人は内外で11万3049人、でその平均年齢は85歳01歳となっている。被爆の「語り部」は近くいなくなる。その継承の問題もある。

切り捨てられた在日韓国人被爆者のメッセージ

 また、当時、日本にいて被爆した朝鮮の人々の問題も重要である。朝鮮人被爆者は広島と長崎で7万人(死者4万人)と推定する説もあるが、70年に建てられた「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の特記事項には「当時、広島市内には、(強制連行や徴用によって)数万人に上る朝鮮人がいて被爆したといわれています」とある。このうち、約2万3千人が韓国や北朝鮮に帰国したと推定されており、「韓国原爆被害者協会」に登録されているのは、23年2月現在、1853人(立憲民主党辻元清美参院議員のことし5月の岸田内閣への質問主意書)。

 在韓被爆者への損害賠償については、07年11月、最高裁は被爆した韓国人の元徴用工40人について、「いったん被爆者手帳の交付を受け被爆者の地位を取得した」との要件を前提に国家賠償を認めた。15年には「在韓被爆者医療費訴訟」で被爆者側が最高裁で勝訴。これで被爆者援護法に定められた援護のうち、介護手当以外の全ての援護が在外被爆者にも適用されるようになった。しかし、被爆した朝鮮人の数ですらはっきりしないのが現状である。

 NPO共生フォーラムの笹川俊春氏氏はことし5月26日の朝日新聞に広島市の援護からの排除と故人の声を奪う〃二重差別〃について書いている。「昨年の8月6日、平和記念式典の前に上映された被爆者証言ビデオに在日韓国人被爆者のメッセージが含まれていた。戦後、長い間、朝鮮半島に居住する同胞の被爆者(故人)が日本政府による被爆者援護の対象外だったため、故人はメッセージの初稿で『切り捨てられた』とつづった。この6文字が広島市の要請で収録前に削除された」という。

 「黒い雨」の体内被ばく(体内に取り込まれた食物や空気中に含まれる放射性物質によって、体内から被ばくする場合を指す)について、国は被爆者手帳の交付を渋っていたが、21年、広島高裁は「身体に放射能の影響を受けるような事情にあった者」と広くとらえる事実認定をして、原告勝訴の判決を下し、これが確定した。広島県内で3763人を新たに被爆者と認定したが、184人が却下され、23人が新たに訴訟を起こしている。広島の裁判では、国は判決を受け入れたが、広島と同じような長崎の「被爆体験者訴訟」では、最高裁で原告敗訴が確定していたこともあり、被爆者手帳の交付を訴える「被爆体験者」の訴えを厚労省は拒み続けている。裁判上、原爆をめぐる訴訟はまだ解決していないのが現状だ。私はこれらのことをすべて含めて「被爆の実相」と呼びたい。亡くなった方を含めて被爆者自身が「被爆の実相」である。

 このような「被爆の実相」を踏まえた上で、「核なき世界」を目指すという岸田首相には以下のことを是非、実現してもらいたい。岸田氏は「夢想と理想は違う。理想には手が届くのだ」とG7後の記者会見で語った。(産経新聞5月21日付)。「核廃絶」は夢想でもなければ、理想ではない。世界唯一の被爆国として成し遂げなければならない「現実」である。そのことをご自分の心にしっかりと心してほしい。

 岸田氏は、「広島サミット」について、その後も何度もその成果を誇っているが、結果として、「核抑止」の力を強調し続けていることは、「核廃絶」からますます遠くなっていることを自覚してほしい。

一度もない米への抗議

 5月の広島サミットでのG7首脳が まとめた核軍縮に関する共同文書「広島ビジョン」からは核軍縮への具体的な道筋は全く見えてこず、逆に「核抑止力」を強調する形となり、被爆者から強い批判を浴びたことはじゅうじゅうご承知だと思う。ロシアによる「核の脅し」を伴ったウクライナ侵攻が進行中なので余計、「核なき世界」への動きは遠のいてしまったように見えることは確かである。唯一の原爆投下国の米国内での国民世論の正当化論は、時がたつにつれ、少しづつ薄れつつあることも事実であろう。

 しかし、日本政府が米国に対して、原爆投下について「毒ガス以上に残虐な兵器で、原子爆弾を使用したことは、人類文化に対する新たな罪悪であり、帝国政府は全人類および文明の名において米国政府を糾弾するとともに、このような非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求する」(要旨)と厳重抗議したのは、敗戦直前の1945年8月10日付の抗議文だけである。その後、占領中のみならず、52年のサンフランシスコ講和条約発効の独立以降も、日本は米国が原爆で日本で一般市民を無差別に殺戮したことに抗議したことはない、との「核の戦後史」(創元社)での高橋博子奈良大学教授の指摘は重い。

 米政府の「日本への原爆投下は正しかった」との正当化の姿勢は相変わらず続いている。米国の「核の傘」を意識して日本がそのことに配慮して何もものを言わない以上、「核廃絶」は成し遂げられない。原爆投下国の米国こそが広島、長崎の「被爆の実相」にきちんと向き合い、2度の原爆投下について、その過ちを認めるところから始めるべきだと考える。「正当化」を続けることは、核廃絶への道の大きな障害にもなっていることを米国は自覚すべきだ。16年にオバマ大統領が検討した核兵器の先制不使用宣言に関して安倍晋三政権が「抑止力の低下」を懸念して強く反対、このことでオバマ氏は断念したと東京新聞は報道した(21年4月6日)。岸田首相は少なくとも理念として「核なき世界」を掲げているのだから、安倍首相の考えを踏襲するのではなく、むしろ、最低限、米国に「核先制不使用宣言」を促すべきではないのか。

 「核抑止論」について、被爆地の松井一実市長は8月6日の平和記念式典で「世界中の指導者は核抑止論の破綻を直視すべきだ」と訴えた。同月9日、鈴木史朗長崎市長も「核抑止に依存していては、核兵器のない世界は実現できない」と指摘した。朝日新聞や東京新聞が核抑止論を批判する一方で読売新聞や産経新聞は「核抑止論」を容認するという日本のメディアでの分断はある。国連の常任理事国であるロシアがウクライナ戦争で核による恫喝をしたことで、国民の間に「核抑止」を認める人が増えているのも事実だろう。

暗い核軍縮巡る状況

 また、核兵器保有を米ロ英仏中5カ国にのみ認め、核軍縮交渉を義務付けた核拡散防止条約(NPT)の5年ごとに開かれる再検討会議に向けて8月11日、第1回準備委員会がウイーンで開かれたが、イランの反対で議長総括を残せないまま閉幕した。これまでの核保有国と非保有国の対立に加えて、米欧と中ロの核保有国の間での分断があらわになる会議で、共同通信は非保有国の軍縮筋の話として「ロシアのウクライナ侵攻が続く限り核軍縮を巡る状況は暗い」と伝えている。

 元々、NPTは不平等条約であり、ロシアのウクライナ侵攻のような出来事があれば、うまく機能しない。核抑止は相手側が核兵器を使えば、こちらも使うということであり、実際にそのような事態になれば、世界は終わりである。それなのになぜ「核抑止論」がはびこるのか、私は不思議で仕方がない。

 岸田首相が「核抑止論」にこだわる限り、核保有国と非核保有国の〃橋渡し役〃などとても実現できない。また、「核抑止論」がはびこる限り、「核廃絶」はできない。まずは破綻した「核抑止論」をいったん後ろに下げて17年7月、国連総会で採択され、21年1月に発効した核兵器禁止条約(署名国92,批准国68)への署名・批准に向けて日本も舵をきるべきだろう。

情けない日本の姿勢

 首相は「核保有国が参加していない」などの理由で参加を拒んでいるが、最小限、今年11月の第2回締約国会議にはオブザーバー参加してほしい。NATO加盟国であるドイツやオランダ、ノルウェーも昨年6月の第1回締約国会議にオブザーバー参加している。岸田首相は核禁条約署名・批准を「出口」と位置づけているが、これは「入口」にすぎず、締約国会議のオブザーバー参加は「入口の前の入口」にすぎない。同盟国米国と仲良くすることと米国の属国のように振る舞うことは全く異なる。沖縄が置かれた現状を見て、「日米地位協定」に一言の注文も付けられない日本の姿勢を見ていると、何とも歯がゆく、情けない。せめて、原爆被害については、きちんと米国にものをいうべきではないか。核を必要悪とする「核抑止力」ではなく、核兵器は「絶対悪」であるとの認識を世界で共有したい。
                                       (了)