この問題も「安倍案件」だった。陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」のことである。そもそも、このシステムは自衛隊が強く望んでいたものではないという。2017年11月の日米首脳会談で安倍晋三首相が「盟友」のトランプ米大統領から大量の兵器購入を迫られ、翌12月に導入を決定したものである。確かに、17年には、北朝鮮の弾道ミサイルの発射実験が相次ぐなど、米国と北朝鮮の間で緊張が高まった年ではあった。
しかし、維持・管理費を含めて総額4500億円(河野防衛相)から7千億円(1兆円説もある)ともいわれる非常に高い買い物であるこのシステムの購入を決断したのは、安倍首相自身である。このシステムはルーマニアやポーランド、ハワイに米国が設置しているが、米国にとって、外国が購入するのは日本がもちろん初めてだった。「自動車関税」の引き上げ(最近では、在日米軍基地経費の引き上げというのもある)をちらつかせた得意の「ディール(商売上の取引)」でトランプ氏は勝利した。強固な日米同盟を強調するための〃すり寄り外交〃で、元々トランプ氏に足下を見られていた安倍氏には、「外交の安倍」といわれることを否定することになりかねないので、とても断ることなどできなかったに違いない。
出来レースか、あまりに良すぎるタイミング
そんなときに、6月15日、河野太郎防衛相がイージス・アショアの配備計画の「停止」を突然、表明した。この事態を〃河野クーデター〃と書いた週刊誌もあった。その直前に、河野氏は安倍氏や菅義偉官房長官、国家安全保障局(NSS)の北村滋局長とは接触、12日には首相の了承を得ていたようだが、外相も自民党幹事長も与党公明党も知らなかった。河野氏のあまりにも目立つパフォーマンスと、謝罪などみえすいた反対派住民への配慮がゆえに、首相の「大失態」が陰に隠れてしまった。だから、安倍氏は6月18日の国会の閉会に伴う記者会見でイージス・アショアの配備計画中止(25日に「断念」)について、自分の失態を認めるどころか、堂々と「わが国の防衛に空白を生むことはあってはならない」などと言い始めた。そして敵基地攻撃能力の保有に関しても言及した。「抑止力は何かということを私たちはしっかりと突き詰めて、時間はないが考えていかねばならない。政府においても新たな議論をしていきたい」と自分の失態などなかったように、テーマを敵基地攻撃能力にすり替えた。首相のこの反応は、あまりにもタイミングが良すぎる。出来レースの疑いすら抱いてしまう。
その後、メディアもコロナ禍にかこつけてか、〃文春砲〃以外は、国会も閉会中とあってたいした問題追及もなく、30日から自民党はミサイル防衛に関する検討チームが敵基地攻撃能力について議論を始めた。この問題では、すでに196億円が米側に支払われており、当然、「違約金」も発生する。この税金をドブに捨てるような大失態の責任は誰が取るのか、その真の原因は何だったのかという肝心な問題についてきちんと議論される気配はない(さすがに、7月8日に衆院安全保障委員会でこの問題についての、閉会中審査を行うことで与野党が合意している)。
河野防衛相の断念の理由は「ブースター制御」
イージス・アショア配備計画断念の理由について、河野防衛相は迎撃ミサイルを打ち上げた際に切り離すミサイル推進補助装置のブースター(第1弾ロケット)の落下制御問題を挙げた。河野氏は「中止」表明3日後の18日に公式サイトでイージス・アショアについてツイッターの質問に答えている。非常に分かりやすいので、河野氏の説明を引用する。カッコ内は私が追加した。全文はかなり長く、省略してあるので、詳しくは河野氏の公式サイトを見てほしい。
-なぜイージス・アショアを導入しようとしたのか
北朝鮮が保有する日本を射程に収める各種の弾道ミサイルから、24時間、365日、わが国を守るために、自衛隊はイージス艦を運用している(現在7隻、来年3月から8隻)。17年の夏に、北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、ミサイルが日本の上空を飛び越える事態まで発生した。イージス艦は、日本海で弾道ミサイル防衛の任務に就いているが、整備や補給で港に入る必要があり、複数のイージス艦が交代で任務に就く必要がある。長期間の洋上勤務が繰り返されることとなり、乗組員の勤務環境は極めて厳しいものとなっている。陸上のシステムであるイージス・アショアを導入することにより、乗組員の負担も大きく軽減され、また、イージス艦を東シナ海などの安全確保のための任務に就かせることができるようになる(なぜか、乗組員の負担軽減が強調されている)。
-なぜ、イージス・アショアの配備のプロセスを中止したのか
イージスのミサイルの「SM3ブロック2A」のブースターについて、その落下が周辺住民に被害が及ぼすことがないように、ブースターは確実に山口県のむつみ演習場内に落下させると(周辺住民に)説明してきた。しかし、ブースターを確実に演習場に落とすためには、ソフトウエアの改修に加えて、ミサイルそのものの改修が必要だということが明らかになった。改修には2千億円のコストと12年の期間が必要になる。わが国周辺の厳しい安全保障環境を考えると、このコストと期間をかけることは合理的でないと判断した(河野氏は〃コストカッター〃として有名でここでも、「コストと時間」を強調した)。
-この決定を受けて、日本の弾道ミサイル対応をどうするのか
当面は、イージス艦と航空自衛隊のPAC3(全国に34基配備)による弾道ミサイル防衛を継続する。速やかに今後の対応について、国家安全保障会議(NSC)で議論を進めていく(具体的な対応はNSCに丸投げした)。
元海将が指摘する二つの問題
イージス・アショアは、①(ミサイルを探知する)レーダー②(レーダーとミサイルをつなぎコントロールする)指揮通信システム③(敵のミサイルを迎撃する)迎撃ミサイル発射機からなり、2025年に山口県と秋田県に計2基が配備される予定だった。河野氏の説明によると、2基の取得費用、要員の教育訓練経費、30年間にわたる維持・運用に必要な経費などを合わせて4500億円程度になると見積もっていた。米側とこれまでに契約したのは1787億円。すでに196億円が支払われている。では、河野氏はこのうち③に関連するブースター制御を計画断念の理由にしているが、本当にそれだけなのだろうかー。
自衛艦隊司令官を務めた元海将の香田洋二氏は二つの問題点を指摘する。
「イージスは米海軍が空母の艦隊防空のために開発した技術。周りが海なのでブースターの地下落下先を考える必要はない。その落下制御が極めて困難なことは容易、かつ十分に予見できたはずである」とする。6月24日の日経ビジネス「ブースターは一部、陸上イージスが無理筋なこれだけの理由」(香田氏との対談)によると、香田氏は今回の問題で「ブースターの落下はコントロールできない」と断言。防衛省の官僚が秋田や山口で周辺住民に「演習場内、人家などに被害を与えないところに落下させる」と説明したことがそもそも問題だという。「配備するために想定された予算規模や時間を考慮すれば実質的に不可能だ」とまで言い切っている。香田氏は防衛省内局(背広組)の住民への説明のまずさを問題にする。
レーダー選定にも大きな問題が
香田氏はさらに、ブースター以外の第2の問題として 「現時点で判断すると、レーダーの選定がずさんだった」点を挙げる。①の問題である。香田氏によると、防衛省は19年7月に米ロッキード・マーチンが開発するレーダー「SPY-7」を採用した。ところがこのレーダーは開発中でまだカタログしかなく、実際の性能などを検証する段階にはなかった。しかし、米海軍はレイセオン製の「SPY-6」の採用を決めて、すでに試作機をミサイル防衛システムの発射テストに使用していた。イージス・アショア導入時期は2025年だが、「SPY-7」の納入予定は25年で、「SPY-6」は1年遅れの26年という提案だったという。香田説と異なり「SPY-7」を日本が使うことについて米国防総省が渋ったという話もある。現在の公刊情報によれば、「SPY-7」の開発完了は数年遅れる見通しだという。香田氏によると、「SPY-7」はいつ納入されるのか不透明で、結果として防衛省はレーダーの選定に失敗したともいえそうだ。一方、このレーダーは大量の電磁波が出る。住民への影響だが、香田氏は「レーダーの現物がないので検証のしようがない」としている。この点でも住民にきちんとした説明ができるわけはない。
香田氏は要するに、「SPY-7」は納入時期が不透明で、電磁波についても現物がないので検証できないということになる。ブースターだけでなく、レーダーにも大きな問題があった。このことについて、河野氏は知ってか知らずか全く説明してない。
このレーダー問題については、週刊文春7月2日号が「安倍『亡国のイージス』当初から迎撃不能 防衛省秘密文書入手」との〃文春砲〃が出ている。この記事では、防衛省外局の防衛装備庁職員が三菱商事社員とともに、米ニュージャージー州にあるロッキード・マーチン社を訪れた際の上司への報告文書の内容が暴露されている。ここには「SPY-7」の大本で、性能的にはほぼ同一とされる長距離識別レーダー「LRDR」について、「LRDR自体には射撃管制能力はないが・・・」と書かれていた。元海将の伊藤俊幸氏は「射撃管制能力というのは迎撃ミサイルを目標に誘導する能力のこと。イージスのレーダーには、飛んでくる弾道ミサイルを探知、追跡し、迎撃ミサイルをそこへ誘導して、目標へ衝突させる能力が必要。にわかには信じがたいのですが、もし射撃管制能力がないのならば、追加で別のシステムを組み合わせる必要があります」としている。この文書については、当時の岩屋毅防衛相は「担当者の出張は大臣まで報告はなく、内容は承知していない」との答えだった。どちらにせよ、このレーダーは怪しい。選定の経過などをもう一度きちんと調べる必要があるのではないのか。
待ってましたとばかりの政権対応
イージスの語源はギリシャ神話の主神ゼウスが娘のアテナに与えた「盾」のこと。イージス・アショアは「陸上イージス」という意味だそうだ。日本の弾道ミサイル防衛(BMD)は、北朝鮮などからミサイルが飛んできたら、日本海にいるイージス護衛艦が艦対空ミサイル「SM3」で迎撃し、撃ち漏らしたら航空自衛隊の地対空迎撃ミサイル「PAC3」で対処する、というのが従来の対処の仕方だった。これに加えてイージス・アショア2基の配備が実現すれば、海上自衛隊のイージス艦(計8隻=うち1隻は来年3月就役)、航空自衛隊のパトリオット・PAC3(全国に34基)の3極構成になる予定だった。これらの兵器は一応、「専守防衛」をクリアするものだった。
河野防衛相のイージス・アショアの計画断念以降、待ち構えていたかのように、6月24日、政府の国家安全保障会議(NSC)で、イージス・アショアの撤回方針が決まり、同時に代替案の検討が始まった。9月までにNSCでアショアに代わるミサイル防衛などについて集中議論し、秋に有識者懇談会を設置。12月に外交・安保の基本方針「国家安全保障戦略」と防衛計画の大綱(防衛大綱)、中期防衛力整備計画(中期防)を改定し、撤回を正式決定する予定だ。
イージス・アショアに代わる対処方針としては、①現状のまま②イージス艦をさらに増やす④浮舟式の人工島を作り、そこにアショアを配備するなどが考えられるが、なぜか安倍政権はここに至って「敵基地攻撃能力」を持ち出し始めた。敵基地攻撃能力は、弾道ミサイルの発射拠点を直接攻撃する能力のこと。自民党の歴代内閣は「憲法違反ではない」との立場をとり続けている。安倍首相は6月18日の記者会見で、敵基地攻撃能力について「新たな議論をしていきたい」と答えている。敵基地攻撃能力を認める論者は、憲法や国際法にも違反する「先制攻撃」とは違うことを強調する。発射拠点を見つけるには多くの軍事衛星が必要であるし、北朝鮮は車載型のミサイルが多く、すぐに移動できるので、その補足はかなり困難を伴うという軍事評論家もいる。現在の北朝鮮情勢を考えれば、それほど前のめりになる話なのか。安倍首相の総裁任期は来年9月までで、どうもそれまでに悲願の憲法改正は難しい状況だ。だから、そのレガシーとしてこの問題を置き土産にしたいというところかもしれない。
いきすぎたご機嫌取りは〃国益〃を損なう
敵基地を攻撃できる能力を日本が持つことは、「専守防衛」という戦後日本の安全保障体制を根本的に変えることになりかねない。いわゆる「盾」中心から「矛」重視へシフトすることだ。6月30日に開かれた自民党のミサイル防衛に関する検討チームで始まった議論でも、「時期尚早」との慎重意見もあった。公明党も議論に慎重姿勢を示している。
イージス艦は来年3月に8隻体制となる。イージス艦には約90発の各種ミサイルを搭載できるが、弾道ミサイル迎撃用の「SM3」は8発しか積んでいない(田岡俊次氏、「AERA」6月24日)という。なぜかというと、1発40億円もするからだという。田岡氏は「1隻1700億円以上もするイージス艦に8発とは、『万全の体制』どころか形ばかりだ。ミサイル防衛にかかわった自衛隊の高官たちに『イージス・アショア導入よりは、イージス艦の搭載弾数を増やす方が合理的では』というと「おっしゃる通り」との反応がある」という。安倍首相の米国からの「兵器爆買い」で、防衛予算は大幅に膨らむ一方だ。また、FMS(対外有償軍事援助)と呼ばれる米国政府を窓口にした政府間取引がどんどん増えており、これはいわば「兵器ローン」(東京新聞の造語)で、19年度には、ついに防衛予算を超えている。戦闘機なども新しい部品が足りない状況になっているという。予算が限られている以上、新しいものばかり買う(買わされる)のではなく、いまある兵器のメンテナンスもしっかりできるようにすべきである。安倍政権の兵器購入は、優先順位がちがうのではないのか。トランプ氏へのいきすぎたご機嫌取りは、それこそ、〃国益〃を損なっている。