「新型コロナウイルス感染症対策分科会」「Go To トラベル」を東京除外で了承 これでよいのか助言機関の在り方 問われる政策決定者とアカデミアとの関係 

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 旅行需要喚起策の観光業支援事業「Go To トラベル」は7月22日からスタート。ただし東京発着除外で―。16日に公表された新型コロナウイルス感染症対策の新しい展開が新たな論議を呼んでいる。筆者は話題の本「女帝 小池百合子」(石井妙子著)の中に次のような記述があるのを思い出す。「彼女は、『敵』を作り出して攻撃し、『敵』への憎悪を人々の中にも植えつけ、その憎悪のパワーを利用して自分の支持につなげていくという手法を何度となく駆使している」

 個人的には、菅義偉官房長官との対立が今回も小池百合子都知事に都合がよい方に働くか気になるところだが、政治の話は手に余るので、分相応のテーマに戻りたい。7月16日の決定に「新型コロナウイルス感染症対策分科会」はどのような役割を果たしたのか。そう思われた人はいないだろうか。分科会は、感染症や公衆衛生の専門家を中心とした「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が廃止された後に設けられた助言組織である。会長に選ばれた尾身茂氏をはじめ専門家会議の主要な構成員は分科会にも残ったが、専門家会議にはいなかった経済学者や県知事、労働団体幹部、新聞社役員などが新たに加わった。

 尾身氏が、参院予算委員会で今の時期に全国的なキャンペーンをやることに疑問を呈する発言をする。安倍晋三首相、赤羽一嘉国土交通相との会談で、東京都を外す形で22日から「Go To トラベル」をスタートすることが事実上決まる。分科会が東京を対象外とすることで22日のスタートを了承―。16日のこうした動きから、分科会あるいは少なくとも尾身会長が、事前に政府から方針の内容を知らされていたと考える人は多いだろう。

中立的助言組織とは

 重要な政策決定に関して行政府の外から科学的助言をするという仕組みが、日本で適切に機能しているだろうか。「Go To トラベル」の条件付きスタートという新しい動きにあたっても、あらためて考えさせられる。16日に開かれた分科会の様子を伝える新聞の写真には、尾身会長の両側に西村康稔経済再生担当相と加藤勝信厚生労働相が座っている。分科会も専門家会議同様、新型コロナウイルス感染症対策本部(本部長・安倍晋三首相)の下に置かれた機関だから当たり前。違和感を持たない日本人がほとんどだろうが、国際的にみれば、政府と一体であってはならない助言組織とはまずみなされないのではないか。

 7月5日、日本記者クラブで駐日ドイツ大使とロベルト・コッホ研究所所長の記者会見が行われた。柳田邦男氏が文芸春秋の7、8月号で詳しく紹介しているのを読むと、ロベルト・コッホ研究所の新型コロナウイルスに対する対応は早く、メルケル首相の果断な行動に大きく貢献したことが分かる。記者会見で印象に残ったのは、イナ・レーペル大使とローター・ヴィーラー所長が異口同音に強調したことだ。「検査体制はどうあるべきかを決めるのは、あくまで専門家の任務」。レーペル大使はこのように明言し、ヴィーラー所長も「われわれは話したいことを話す権利がある。政治的な働きかけもない。どうすればよいかを判断するのが政治家の役割」と語った。要するに、科学的助言は政府の意向とは関係なく、科学者の判断にのっとって行われるのがドイツのやり方ということだ。                            

問われる政府とアカデミアの関係

 新型コロナウイルスをめぐる今回の動きであらためて問われているのは、政策決定者とアカデミアとの関係ではないだろうか。どうもドイツでは当たり前のことが日本ではできていないということだ。そもそも日本でアカデミアという言葉が、新聞や放送で使われるのはめったにないと思われる。念のため、最近、公益社団法人日本工学アカデミーが公表したある文書の中で記されているアカデミアの定義を紹介しておく。「広く学界(学究的世界)を意味し、学界に関係する個人、団体などを漠然と指すか、もしくはそれらを総称する」

 ついでに「アカデミー」の定義も同じ文書から拝借する。「学問や芸術における指導的な人材を会員とし、立法、行政、司法などから独立して、アカデミアや社会のために活動する、権威ある団体を言う。新会員を会員による厳正な入会審査によって選ぶものとする」。

 「立法、行政、司法などから独立して」というところに特に注視していただきたい。さらに自分たち(アカデミア)のためだけでなく「社会」のためにも活動する、という記述にも。

 実際、欧米主要国には、「アカデミアや社会のために活動する」強力な科学アカデミーが存在する。メルケル氏がコロナ対策で積極的な対策を次々に打ち出すにあたって、重要な助言をしたのは、ロベルト・コッホ研究所の研究者たちだけではない。国立科学アカデミー・レオポルディーナの提言が大きな影響力を持った事実は、以前の拙稿「『なぜPCR検査が少ないのか』 不十分な準備と検査能力の不足 部分最適に安住する社会の欠陥露呈か」https://watchdog21.com/posts/2997 でも紹介した。

 科学を重視しているとは到底思えない大統領の下にある米国政府も新型コロナウイルス感染拡大が起きた後、科学的助言をナショナルアカデミーズに求めている。「新しい感染症とその他の公衆衛生に関する脅威に対する政策はいかにあるべきか」。政府から求められた課題に対し、ナショナルアカデミーズは感染症、公衆衛生、臨床医学からリスクコミュニケーションなどさまざまな専門家からなる委員会を設置し、科学的検討を進めている。ナショナルアカデミーズは、米国の科学アカデミー、工学アカデミー、医学アカデミーの連合体で、巨大な知的集団といえる。

 世界で最も長い歴史を持つ科学アカデミーである英国の王立協会も、さまざまな任務の一つに「政策立案者への科学助言の提供」を明記している。「学問や芸術における指導的な人材を会員とし、立法、行政、司法などから独立して、アカデミアや社会のために活動する、権威ある団体」。前述の定義にふさわしい科学アカデミーが日本にあるか、が問題だ。

科学アカデミーのあるべき姿とは

 「Japan Academy of Science」と英語表記される機関は日本にもある。日本学士院だ。特に優れた学術上の功績があると認められた科学者しか会員(任期なしの終身)になれないという点は、欧米主要国の科学アカデミーと似ている。会員には栄誉だけでなく年金も支給される。ただし、政策提言など積極的な社会的活動はない。先進国7カ国首脳会議(G7サミット)の前に7カ国の科学アカデミーが参加国首脳あてに共同声明を出すのが通例になっている。この共同声明に名を連ねているのも、日本学士院ではなく日本学術会議だ。日本学術会議が国際的には日本を代表する科学アカデミーということになる。

 しかし、前述の日本工学アカデミーの文書は、日本学術会議について「会員は必ずしも学界を代表する科学者とは言えない」としている。最大で6年という任期があることを挙げて、「就任時点で選任要件を満たした専門家」とみなしている。さらに言えば、「立法、行政、司法などから独立」しているのが当たり前の欧米主要国科学アカデミーと異なり、日本学術会議は内閣府に置かれた政府機関という大きな違いもある。

 とはいえこうした違いが、新型コロナウイルス感染対策についての科学的助言を政府が日本学術会議に求めようとしない理由にはなるまい。自分たちが好ましいと思う専門家を集めた助言組織より、日本を代表する日本学術会議に助言を求めた方が、科学者の議論の過程も透明になるのは間違いない。国民からのより大きな信用も期待できるはずだ。報道機関も国民の多くも、政府とアカデミアの関係についてもっと関心を持ってよいのではないだろうか。

 ちなみに日本工学アカデミーは、日本学士院や日本学術会議と異なり、政府からの支援を受けていない完全に独立した団体(公益社団法人)。会員は、学界だけでなく産業界、官界などで工学や科学技術に深く関わってきた人たちから成る。「立法、行政、司法などから独立」している立場から、科学技術政策についてもこれまで何度も提言をまとめ、実際に政府に対する助言活動も行っている。日本学士院や日本学術会議同様、その役割、活動に対する報道機関の関心は薄いが、こちらの活動については、別の機会に紹介したい。