「学術会議推薦6人任命拒否」関与したのは杉田官房副長官なのか 強くなりすぎた〃官邸ポリス〃 政権中枢占める警察官僚

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 2018年12月に出版された「官邸ポリス」(講談社)という本が昨年話題になった。著者は東大法学部卒の元警察官僚を名乗る。元警察官僚の杉田和博内閣官房副長官とおぼしき人物が官邸を牛耳り、キャリアだけの警察官僚極秘チームを作って政権を守るために暗躍し、「一強政権」を支える。そこには、森友学園問題やジャーナリスト伊藤詩織さんへの元TBSワシントン支局長の準強姦事件、前川喜平元文科事務次官が新宿の出会い系バーへの出入りしていたことを新聞に漏らして暴露した問題などが登場。第2次安倍晋三政権周辺で起きた出来事にこの「官邸ポリス」がことごとく関与していたことをうかがわせる〃告発小説〃だ。その内容はリアルで「本書の92%は現実である」と帯に書かれている。

「告発小説」そっくりの出来事

 官邸ポリスとは、単に「官邸入りした警察官僚」という意味にとどまらない。著者の幕蓮(まく・れん、ペンネーム)氏は本の中で、杉田氏を想定したとみられる主人公の「瀬戸弘和」にその役割と目的についてこう語らせている。

 「われわれは、あらゆる合法的な手段を駆使しつつ、現政権を支え、実質的に、この日本という国を導いていく。そんな唯一無二の存在になっていかなければならない」

 あくまで小説ではあるが、主人公の瀬戸の言葉は、杉田氏の気持ちを端的に表したものに見えてしまう。杉田氏は12年12月の第2次安倍政権の官房副長官に就任し、17年からは審議官以上の約700人の人事を握る「内閣人事局」のトップを兼ねてから、その思いは強くなり、さらに、ことし9月16日の菅義偉内閣誕生でも引き続き官房副長官と内閣人事局長を兼務した。

 日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人を菅首相が任命拒否した問題。多くの学会や学術団体が「学問の自由を侵す」との反対声明を出すなど反対の輪が広がっている。大学教授らが呼びかけた拒否の撤回を求めるネット署名も14万筆が集まり、13日に内閣府へ提出された。菅内閣の支持率も調査のメディアは異なるものの、発足当初は70%を超える勢いだったが、このところ50%台との世論調査結果(17,18日調査、内閣支持率朝日53%、共同通信60・5%)も出てきた。

杉田氏の関与裏付ける証言

 その中で任命拒否に杉田氏が関与したとの報道がこのところ相次いでいる。

 時事通信が10月12日に「杉田官房副長官が首相の決裁前に6人を推薦リストから外し、報告を受けた首相も名前を確認した」と報道。共同通信も同じ日「杉田官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると首相に口頭で報告していた」とのニュースを配信した。これに他のメディアも続いた。立憲民主党など野党4党は、「日本学術会議法では、学術会議の推薦に基づき、首相が任命する、と定めており、杉田氏に除外する権限はない」として、26日に召集される臨時国会での杉田氏の国会招致を求めたが、自民党は応じていない。

 この問題の最大のポイントは、誰が6人の任命を拒否したのかとの問題と拒否した理由である。9日の内閣記者会所属3社との首相グループインタビューで、菅氏は「105人の推薦名簿は見ていない。最終決裁を行った9月28日の直前に見たときは99人がリストにあった」などと答えている。もちろん拒否した理由は明らかにしていない。

 「任命できない会員候補が複数いる」と事前に首相に報告していたとの記事は、14日付の朝日新聞や東京新聞も報道した。また、杉田氏がこの問題の窓口であることを裏付けるような証言も出てきた。

 その一つは、「首相官邸の介入は16年の補充人事から」と証言した学術会議の大西隆元会長(東大名誉教授)だ。7日の毎日新聞デジタルによると、この時から官邸側の求めに応じて、会員の補充や改選に伴い推薦する候補者名を事前に説明するようになったという。16年12月、大西氏は官邸で「官房副長官」と面会し、17年10月の会員の半数改選について協議した。「官房副長官」は総会承認前の選考状況の説明と、改選数より多めに候補者を報告することを求め、大西氏は同意したという。3人いる官房副長官のだれだったかは明言しなかった、としている。

「影の首相」

 もう一つは、杉田氏の人事での介入を受けたことのある元文部科学事務次官の前川喜平氏の証言だ。前川氏はそのときのことを以下のように回想する。(朝日新聞19日付朝刊)

 「政権にたてつく人間は排除する。官邸のその姿勢を、私自身、じかに感じたことがある。文部科学事務次官だった16年、『文化功労者選考分科会』の名簿を官邸に持っていった。この分科会は文化審議会の下に置かれており、選考する文化功労者のなかから文化勲章受章者が選ばれることもあって、人事について閣議で了解をとる必要があった」

 「約1週間後、呼び出されて官邸に行くと、杉田官房副長官から、10人の委員のうち2人を差し替えるようにと指示された。『政権を批判する発言をメディアでしたことがあった』『こういう人を選んじゃだめだよ。調べてくるように』と言われた」

 前川氏はこれとほぼ同じ証言を野党ヒアリングや他のメディアでもしている。これに対して官邸は「政権の政策に反対したことで委員を外したりはしない」との反論をしている。

 これらの経緯を考えると、杉田氏がこの問題の窓口となり、6人の任命拒否に関わっていたとみるのが自然である。約8年という長期にわたって政権中枢の官房副長官を務め、〃影の首相〃とまでいわれることもある杉田氏の権力はどこから生まれたのか。

「政権の守護神」としての役割担う

 この問題のキーパーソンは、やはり杉田氏だ。官房副長官は官房長官を補佐する特別職の国家公務員で、1998年から内閣法でその定員は3人と定められている。衆参両議院から選ぶ「政務」の副長官が2人で「事務」は杉田氏1人である。杉田氏は在任約8年と8年7カ月をつとめた古川貞二郎氏(元厚生事務次官)に次ぐ長期の副長官である。副長官には旧内務省系の自治省や厚労省、警察庁などから選ばれるが、そのほとんどが事務次官か警察庁長官経験者である。かつては事務次官会議(現在は次官連絡会議)を主催したことから「官僚の中の官僚」といわれる。警察官僚出身の副長官は08年から09年までの麻生太郎内閣の漆間巌元警察庁長官以来。杉田氏は同じ警察庁出身であるが、漆間氏よりも警察庁入庁も先輩で年齢も4歳上である。これも入省年度にこだわるキャリア官僚では珍しい人事といいえる。事務方のトップであるだけでなく、杉田氏は17年からは14年にできた「内閣人事局」の局長も兼ねる。高級官僚人事を握るだけでなく、「政権の守護神」としての役割もある。人事を使って官僚を自由に操る。一方で、不祥事などから政権を徹底的に守る。このためには、出身母体の内閣情報調査室や公安警察などを使うこともある。いわば〃首相親衛隊司令官〃としての役割もある。杉田氏は官房長官時代の菅氏と二人三脚で安倍首相を支えてきた。

 杉田氏と安倍前首相との接点は、安倍が第1次政権を放り出したあとの2008年2月、安倍氏が新潟県の自民党支持者のホテル経営者に呼ばれ席に杉田氏もいて知り合った。杉田氏が官房副長官になる端緒はここから開かれた、とノンフィクションライター、森功氏はその著書「官邸官僚」(文藝春秋)で書く。

 森功氏の「官邸官僚」や東京新聞16日付朝刊「任命拒否問題キーマン 杉田官房副長官に実権なぜ」などによると、杉田氏は1941年4月、埼玉県生まれで、県立浦和高校をへて東大法学部を卒業。66年4月に警察庁に入庁、その後、警備・公安畑を歩む。在仏の日本大使館にポリスアタッシェとして経験し、80年に警備局外事課の理事官、警備・公安関係の中でももっぱら外事関係の任務をこなしてきた。

(注)外事警察 「視察」「ヒューミント」「エス」…。スパイの摘発や機密情報の流出などの捜査、それに各国とのさまざまな情報戦に対応する「外事警察」の中で使われる専門用語です。外事警察はほとんど表に出ることはないまま極秘の任務を遂行し“影”で国の安全保障を支える秘密のベールに包まれた組織です。(NHK NEWS WEB 10月15日特集「変わる外事警察」)

 人脈利用し上り詰める

 82年、中曽根康弘内閣で官房長官を務めた後藤田正晴氏の秘書官となる。ここから、首相官邸との関わりが始まる。

 警察庁同期入庁のライバルが田中節夫氏(後の警察庁長官)。杉田氏と田中氏は将来の警察庁長官、警視総監というポストを争うと目されてきた。鳥取県警本部長を経て88年に警察庁外事課長に就任。89年警備局公安第1課長、91年に警務局人事課長と順調に出世した。

 90年代初め、警察庁次長で長官目前だった城内康光(後に警察庁長官)氏派のエースとされ将来の長官候補とされていた。ところが、93年、コースから外れて神奈川県警本部長に飛ばされた。城内氏の逆鱗に触れたといわれる。総務審議官だった杉田氏がカンボジアの視察をし、大変厳しい状況だとリポートした。それが警察庁批判と映り、城内氏の怒りを買ったらしい。神奈川県警本部長は警察庁内における上がりポストといわれていた。いったん出世街道から外れた。

 94年7月、城内氏と確執があったといわれる国松孝次長官体制が誕生、同年10月警備局長に返り咲いた。そこでオウム真理教事件や95年3月の長官狙撃事件に遭遇。警察としては失態ともいわれたが、杉田氏は今度は飛ばされることはなかった。97年4月、日本版CIAと呼ばれる内閣官房内閣情報調査室(内調)室長に。ここで力を発揮。内調は格上げされ、給与から言えば、警視総監と同じになった。2001年中央省庁再編に伴う初代の内閣情報官となった。2001年4月、これまでは警視総監OBが就く緊急事態に対処する「危機管理監」に就任した。

 しかし、2004年、危機管理監を退任すると内調の外郭団体である財団法人「世界政経調査会」会長に天下り。政権中枢から外れた。同時期にJR東日本、JR東海に顧問として迎えられる。「ここで労組対策を担う。そこで〃JR東海のドン〃葛西敬之氏が杉田氏の手腕に目をとめ、それが、官房副長官就任への足がかりになった」と森氏は分析する。

 「官邸官僚」によると、財界の安倍首相応援団「四季の会」を主宰している葛西氏が12年12月の第2次政権の発足に当たり、杉田氏を官房副長官に据えるよう、安倍首相に強く進めたのだという。葛西氏は見込んだ官僚たちと定期的に会合を開き、杉田はその中心だった。1次政権崩壊後の新潟県での初めての出会いから約5年後、杉田氏は強力な官邸官僚として、本来は事務次官経験者から選ばれる官房副長官に抜擢された。

 このとき、すでに71歳だった。杉田氏は、トップエリートでありながら、2度の挫折があったものの、人脈を利用して官房副長官に上り詰めたといえる。この辺が〃苦労人好き〃の菅首相と気の合う理由なのかもしれない。

「警備公安内閣」の危惧

 安倍政権になってから警察官僚の重用が目立つ。19年9月には、日本の安保・防衛政策の要の国家安全保障会議(議長は首相)をサポートし、その事務局を担当する国家安全保障局(14年1月、設立)の局長ポストに、内閣情報官の北村滋氏が谷内正太郎氏(元外務事務次官)の後任とし就任した。北村氏はやはり警察庁の公安警備畑出身で64歳。外務省や防衛省を押しのけて警察庁がポストを獲得した。北村氏は参院で強行採決し13年12月に成立した「特定秘密保護法」の名付け親といわれる。この法律は、杉田氏や北村氏があまり乗り気でない安倍首相を説得して推進したものだといわれている。その北村氏が当時の中村格刑事部長に指示し、ストップをかけたのではないかと言われるのが、元TBSの山口敬之(のりゆき)氏のジャーナリスト伊藤詩織氏への準強姦事件だ。15年5月、同容疑で山口氏に逮捕状が出たが、直前に中村氏の命令で逮捕に待ったがかかり、事件はつぶされた。この事件は週刊新潮の報道で明るみに出た。この中村氏もいまや警察庁NO2の警察庁次長で次期長官といわれている。宮内庁長官も上皇陛下の生前退位問題で官邸のいうことを聞かない長官を更迭して、元警視総監の西村泰彦氏を次長で送り込み、西村氏は、現在は長官となっている。この人事をやったのも杉田氏といわれる。

 政権の重用によって杉田氏をトップに警察官僚は少しずつ政権の中枢を占め始めている。本来は国民のために国の治安を守るはずの警察が時の政権を守る。警察法第1条では、その目的を「個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、かつ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めること」と定めている。現状をみると、残念ながら、これでは「警備公安内閣」と危惧せざるを得ない。

 小説「官邸ポリス」が描いた構図が現実化しているように見える。特定秘密保護法、安保関連法制、共謀罪、いずれも安倍政権が国民の多くの反対にも関わらず強権をもって成立させたものだ。今回任命拒否された学者6人はそのほとんどがこれらの法案に反対した人たちである。菅政権は決して任命拒否の理由を明らかにしないだろう。なぜならば、理由を明らかにすれば、内閣支持率が落ちるということと、「政権のやることに反対したり、異論を挟む」と、こういうことになるよとの威嚇効果を狙ったものと見られるからである。杉田氏はもう高齢なのでいずれ辞めるだろうが、〃官邸ポリス〃はすでに政権内で確固たる地位を築いている。