安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選に立候補を表明した菅義偉官房長官。14日投開票の総裁選は、菅、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長の選挙戦となる。だが、既に党内7派閥のうち5派閥が菅氏支持に回り、菅が優勢となっている。
「時代遅れの法廷イラスト」 「裁判の公開」の原則から写真禁止見直しを NZでは判決言い渡しをTV放映
日本では裁判中の写真撮影が禁止されているため、河井克行前法相夫妻の初公判での2人の様子はイラストで見るしかなかった。スマホで撮影し即送信という現代に、法廷内撮影の禁止は時代遅れだ。対照的に、ニュージーランドでは銃乱射事件の判決言い渡しで、被告・裁判長の動画がテレビで流された。撮影・報道している海外の例を参考に、日本でも憲法の「裁判の公開」という原則に立ち、被告ら関係者の人権を尊重して法廷内撮影を可とするルール作りに乗り出す時だ。
「戦後75年」「特攻」について考える 第3回 戦艦大和の海上特攻 大艦巨砲主義は過去の遺物となっていた
全長270メートル、基準排水量6万5000トン、世界最大口径の46センチ主砲を9門装備。建造費用は当時の国家予算の6%に当たり、当時でも約1億4千万円だった。GDPや物価など指標が全く異なるので、このような比較は難しいが、現在の一般会計予算でいえば6兆円と1隻だけで防衛予算を超える計算だ(ちなみにイージス艦は1隻1700億円である)。「戦艦大和」は当時、「不沈艦」といわれた世界最大の戦艦であった。
「戦後75年」「特攻」について考える 第2回 陸軍特攻と沖縄戦 特攻出撃命じ生き残った司令官ら
途中でレイテ湾への突入をやめた栗田艦隊よりも戦果が上がった神風特別攻撃隊「敷島隊」の予期せぬ「成果」で「特攻」の意味が変わった。「栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する」目的の限定的な特攻から全軍的な特攻へとその目的が変容した。
「戦後75年」「特攻」について考える 第1回 「1億総特攻」への道 志願でなく、強制であり命令だった
作家小田実(1932年~2007年)は、「特攻機のゆくえ」(1965年3月1日から4日まで産経新聞に掲載)という文章の中で「私には、まず、彼らが基地を飛び立ってから、どんなふうな行路をとって目的地に達したかが気にかかる。その行路の途中で、いったい、彼らが何を見、何を考えたかーそれがこの20年来(終戦から)、私の心にひっかかってきた」と書いた。その上で「(だから、)特攻機のゆくえを最後まで見届けるリアリスティックな眼を持ち続けたいと願っている」と結論付けている。「特攻隊」については、国に殉じた「英霊」として、その死をロマンチックに美化する考え方がある。一方で「無駄死に」「犬死に」という言葉を投げかける人たちもいる。小田は終戦時13歳の少年だった。だから、特攻隊に行った世代とわずかしか違わない。少し早く生まれていれば、自分も特攻に参加していたとの想像力が十分に働く世代だった。だから特攻隊員の気持ちを「追体験する」ことができた。