今からもうすでに4年半以上前になる。上皇ご夫妻は天皇と皇后時代の2016年(平成28年)1月26日から30日にかけてアジア太平洋戦争の激戦地、フィリピンを訪問した。皇太子時代以来54年ぶりの訪問だった。
「戦後75年」連載「東京裁判」とは何だったかを考える 第3回 判決とその教訓 岸信介ら8元閣僚釈放し終結
1948年(昭和23年)11月4日、東京裁判の判決文朗読が始まった。1週間かけた朗読がやっと終わり、11月12日午後、ウェッブ裁判長がアルファベット順に各被告に判決を言い渡した。
「戦後75年」「東京裁判」とは何だったかを考える 第2回 起訴、開廷から結審まで 検察に全面協力した天皇の側近木戸幸一
検察側がA級戦犯を選定するに当たり日本側から2人の有力な協力者が現れた。1人は1945年(昭和20年)11月24日に内大臣府が廃止されるまで内大臣として昭和天皇側近ナンバー1の地位にあった木戸幸一である。木戸は西園寺公望元首相ら「元老」がいなくなったあと、首相選びなど重要な決定について、元首相らの「重臣」とともに、天皇に進言する立場にあった。
「戦後75年」「東京裁判」とは何だったかを考える 第1回 A級戦犯逮捕と天皇の戦争責任問題
35年前に西ドイツ(現ドイツ)のワイツゼッカー大統領は、日本よりも一足早くナチスが連合国に降伏した「1945年5月8日」を「ドイツ史の誤った流れの終点」とし、ナチスからの「解放の日」であると強調した。ドイツのシュタインマイヤー大統領は、ことし5月8日の終戦75周年記念式典で次のように演説し、この日を改めて「解放の日」であり「感謝の日」と位置づけた。(東京新聞8月12日付朝刊社説「『解放の日』へ決意込め)
「戦没者追悼式」 8・15やっぱりコピペ安倍式辞「歴史の教訓」はコピーせず
8月15日の全国戦没者追悼式での首相式辞を昨年と比較すると、ほぼコピペで、心のこもらない安倍晋三首相の姿勢があらためて明確となった。内容は、新型コロナ、積極的平和主義が追加されたが、昨年あった「歴史の教訓を深く胸に刻み」という文言が削除されていて、天皇の「お言葉」「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」とは対照的だ。アジア諸国への加害責任については、第1次安倍政権では言及していたが、第2次安倍政権では消えていて、今回もなかった。